死神の契約確認
『ごめんなさいっ!! 許してっ!』
『許してくれ、綾人っ!!』
『目を醒ましてっ……』
うるさいっ!
もう分かったからどっかに行ってくれ!!
謝る振りをして僕を責めるなっ!!
僕のことはもう放っておいてくれっ……
怒鳴りながら僕は目が醒めた。
(また、この夢だ……)
携帯電話を手探り、時刻を確認すると午前二時だった。
近頃僕はよく悪夢に魘されていた。
夢というのは不思議なもので、目醒めた瞬間から思い出そうとすればするほど思い出せなくなっていく。
狭い隙間にものを落とした時によく似ている。拾おうと手を伸ばすと指先に当たって更に奥へ奥へと転がっていくような、そんなもどかしい感覚だ。
細かい内容は思い出せないが、帆乃里が謝っていたことは覚えている。今日は駿稀も謝っていた。
帆乃里と駿稀が僕に謝る。それは間違いなくあの日のことだ。帆乃里と駿稀が一緒に暮らしていると伝えてきた、あの忌々しい想い出。僕と帆乃里が結婚して、辿り着いたゴール。それがあの結末だ。
(大丈夫……未来は確実に変わってきている……)
競馬場へ向かう電車の中、帆乃里は恐らく気付いてしまった。駿稀が好きだという恋心に、気付いてしまったのだ。
帆乃里はそれに戸惑い、煩悶している。そして思い留まろうとすればするほど、更に思いを募らせてしまうのだろう。
そんな帆乃里を見てしまったのが、きっと悪夢を見てしまう原因だ。
二人が結ばれるのを願っていたくせに、帆乃里の気持ちが駿稀に傾いていくとどす黒い嫉妬や醜い感情が溢れてきてしまう。そんな自分に嫌悪感が湧く。
(これでいい。よかったんだ。……あとは駿稀の方にも歩み寄ってもらうだけだ。駿稀ならきっと帆乃里を幸せに出来る)
駿稀は前回、帆乃里の告白を断った。
そしてその日の夜、帆乃里は泣いて僕に謝ってきた。
「ごめんね。仲良しグループの中に恋とか愛とか持ち込むとか、最低だよね。私のせいで……みんながバラバラになったらどうしようっ」
あの日の帆乃里の顔が、声が、涙が、頭の中でフラッシュバックする。
帆乃里はフラれたことの悲しさより、自分のしてしまったことで僕たち四人の友情が壊れてしまうことを悔やんで泣いていた。でもそうと分かっていても、告白せずにはいられなかったんだろう。帆乃里はそんな猪突猛進な奴だ。
駿稀も適当な奴に見えて、意外とそういうところには気を遣っている。俺たち四人で仲良くやっているのに、恋愛関係を持ち込んだら関係がぎくしゃくすると怖れていた。
帆乃里に想いを寄せられていることに薄々は気付きながらも、恋愛関係になることは避けていたのだ。
そして僕はそれを知っていた。知っていながら黙っていた。帆乃里が駿稀に告白して傷付くまで待ち、慰めることで心の隙間を埋めてやりながら距離を縮めていった。
姑息で卑怯な僕らしいやり方。そうまでしても、帆乃里の恋人になりたかった。
でも今度は逆だ。駿稀と帆乃里が結ばれるよう、僕が動けばいい。それで僕の無念は、きっと晴らせる。
「貴方、本当にそれで報われるの?」
「わっ!?」
暗闇からいきなり声がして、僕は布団から飛び起きた。
慌てて携帯電話を翳し、青白い光りを暗闇に当てると、
「ひぃいっ!?」
そこにはゴスロリ服を着た死神の少女が座っていた。
「失礼ね。女の子の顔を見てそんなに怯えるなんて」
「お、女の子の前に死神だろっ!?」
「違う! 断固否定! 死神の前に女の子なの!!」
どちらが先だろうが後だろうが死神には変わらない。不毛なやり取りはやめ、僕は部屋の電気をつけた。
「そもそもお前は鳥だったろ? なんで女の子の姿で出て来るんだよ?」
「そんなの気分次第よ。それはさておき……」
大きな目でジトーッと見詰められ、居心地の悪さに窮する。
「な、なんだよっ……まだやり直したいことをやり直せてないからなっ!」
ここで命を奪われたらそれこそ死んでも死にきれない。
「別にそんなこと言ってないでしょ。ただ貴方が本当にやり直したいことを、ちゃんとやり直せているか確認しにきただけよ」
「ああ。やり直せているよ」
「そう? ならいいけど」
奥歯にものが引っかかった言い方に腹が立つ。確かに妻を親友と結ばせることなんて、普通に考えればしたいことではない。
でも苦しくても、帆乃里のためにしてやらなければならないことなんだ。
「やり直したいことっていうのは、別に愉しいことばかりじゃないんだよ」
「別に私は何にも言ってないけど?」
人の頭の中を覗くこいつは僕の考えていることなんて全て分かってるはずだ。そのくせ惚けてくるとは実に腹立たしい。
どうせ少女に見えるけど実年齢は百歳を優に超してるババァに違いない。
「誰がババァよ!!」
「やっぱり聞こえてるんだろうっ! 心の声がっ!」
「そりゃそうよ。私たち死神はなんでもお見通しなの。逆らおうとか誤魔化そうとしても無駄よ。貴方のことなんて文字通り丸見えなんだから」
「俺の考えてることは丸見えか……なるほどな。じゃあ、こうしてやろう」
悪魔的なことを閃いた僕は真っ直ぐに死神を見据えた。
「な、なによっ」
よく見れば切れ長の目は涼しげで綺麗だし、病的なほどに白い肌ともよくマッチしている。紅く艶めいていた唇は見るものをハッとさせるほど惹きつけていた。
僕はとても口では言えないようなことを想像してやった。
「ばっ馬鹿っ!? 変態っ!! なに考えて……私は死神だぞっ!!」
死神はいつもの余裕ぶった態度が霧散し、顔を真っ赤にして狼狽える。効果覿面だ。
「ちょっ……も、もういいからっ!! ええっ!? そ、そそそそんなとこまでっ!? や、やめろっ!! 嫌ぁっ!! もうやめてぇええ!!」
顔を背けても逃さない。死神の視界に入るように顔を覗き込む。
「へ、変態っ!! と、とにかくさっさと無念をやり直してよね!」
真っ赤な顔でそう言い捨てると、死神は半透明になって、そのまますうっと溶けるように消えていった。
彼女の言う通り、確かに死神である前に女の子のようだった。
しかし僕の心の迷いを衝いてきた死神の言葉も、分からなくはなかった。
子供を作ることを望んでいた僕の言動が、不妊症の帆乃里を苦しめたのであれば、僕が子供を欲しがる言葉を控えれば済む話ではある。
だがそれは表面的な一つの問題に過ぎないのかもしれない。
確かに言動を気遣えばその問題だけは回避できるかもしれない。しかし一つの困難さえも乗りきれなかった僕たちが、この先起こるかもしれない次なる試練に耐えられるとは思えなかった。
たとえば僕が失業したら?
たとえば大きな事故でもしたら?
たとえばどちらかが病気で動けなくなったら?
不妊の問題を乗りきれなかった夫婦が、次のその苦難を乗りきれるとはとても思えない。
逃げるように見えるかもしれない。けど、帆乃里には僕と結婚するよりも、もっといい人生があったはずだ。そして今さらではあるけれど、きっと僕にも。
今でも帆乃里のことは大好きだ。心から愛している。しかしだからこそ、帆乃里の幸せを願っている。
そう、僕は誰よりも帆乃里の幸せを願っている。