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競馬予想対決3

 建物を抜けた先に、いきなり広大なターフが広がっていた。驚きも手伝って、その壮大さを目にした俺も帆乃里も美妃さんまでもが「おおーっ」と声を上げた。

 名前も知らないレースが始まるようで、馬がゲートに納まっているのが見えた。


「レースが始まるみたいだよ!」

「行こうよ、帆乃里!」


 機嫌を損ねてもすぐに回復するのが帆乃里のいいところだ。

 先ほどの騸馬のやり取りはすっかり忘れたように美妃さんと一緒に柵まで駈けていく。

 宝塚記念以外のレースはまったく調べていないのでなんという馬が出走するのかも分からないが、目の前で馬が走るのは是非見てみたかった。


 ゲートはかなり遠くにあり、ここからでは何が何だかさっぱり分からないので結局僕はターフ中央に(そび)え立つ超特大ビジョンを見てしまう。

 静寂の後、ピストル音などのスタートの合図などはなくゲートが開き、馬たちは一斉にに飛び出した。


「おおっ!」


 帆乃里は興奮気味だ。

 綺麗なスタートで幕を開け、各馬一斉に駈けていく。しばらくスクリーンを見ていたがコーナーを曲がって馬が近付いてきたのでターフに目を移す。

 馬たちは競うことを愉しむように、一団となってやって来る。

 地面が唸るようなドドドドドドッという蹄音(ていおん)が足下から震えるように伝わって来た。聞くと言うより感じる音だ。


「行けーい!」


 どの馬にも賭けていない帆乃里はきっと全ての馬にそう声援したのだろう。ニュースで見ていたときはまったく気付かなかったが、目の前を馬が駆け抜けると芝を蹴り上げて飛ばし、草や土の香りを辺りに振りまいた。


 僕たちの前を過ぎたのはもちろん一瞬で、すぐに後ろ姿が遠離っていく。声援もウエーブのように馬の動きに合わせて流れていく。

 ここからはゴール前は見えないので再び僕はスクリーンを見上げた。


 先頭を走っていた馬に後続馬が食らいつき抜く。更に外側からあと二頭突っ込んできて大混戦のままゴールを駆け抜けた。

 馬の走る姿は本当に美しく、躍動感溢れる迫力を感じた。なんだかこの荘厳にさえ思えるものを賭け事に使うのは、罰当たりな気持ちにさえなってしまう。


「感動したーっ! すごい迫力!」

「やはり人馬一体の姿は素敵ね」


 女子二人もご満悦だった。

 一方の駿稀はスクリーンを凝視していたが、レース結果が発表された瞬間、力なく笑って目を逸らす。トイレに行った隙にこっそり買った馬券が外れたのだろう。


 レースを楽しんだあと、敷地内で宝塚記念開催に併せて敷地内ではB級グルメフェスティバルに向かう。僕はぼっかけ焼きそばを食べ、帆乃里は迷った挙げ句に北海道のスープカレーを食べていた。


「なあ、駿稀はどの馬にするのか決まったのか?」

「ああ」


 たこ焼きを突きながら駿稀はほくそ笑む。まるで答えを知ってて、それをもったいぶるような感じだった。


「俺はアーバンライフだ」


 とっておきの情報のように一番人気の名前を告げた。


「なんといっても去年の宝塚記念も勝ってるしな。調子も悪くないみたいだ」

「ふぅん……」

「綾人は?」

「僕はねぇ……」


 当初決めていたフェアリーテールは帆乃里から却下されている。駿稀がアーバンライフを選ぶなら、僕が名前を知ってる馬はもうコロンブスエッグしか残っていなかった。


「コロンブス……かなぁ……」


 仕方なしにそういうと卵サンドを食べていた美妃さんが口を挟んできた。


「それは多分……ないんじゃないかな」

「なんで?」

「コロンブスエッグは騎手が乗り替わりなのよ」

「乗り替わり?」

「ええ。ダービーを制したときに騎乗していたジョッキーは、ほら」


 そう言いながら新聞を見せてトントンと指で叩く。


「アーバンライフに乗るのよ。騎手が違えば実力を引き出しきれないわ。それに今年のダービーは雨の中で行われてる。実力以外のものも響いての勝利かもしれない」

「雨ねぇ……」


 見上げると雲一つない晴天の青空が切ないほど眩しかった。


「美妃さんはやっぱり」

「ええ。ピエール騎手のデンゲキホウオウよ」


 迷いはないらしい。

 ちなみに今の時点で一番人気はアーバンライフ、二番人気はコロンブスエッグ、三番人気はフェアリーテールで美妃さんの推すデンゲキホウオウは四番人気であった。なんだかんだいって固いところばかりだ。


「これだけいれば誰かは当たるね!」

「まあ、一番人気から四番人気まで抑えてるもんね」


 帆乃里のテンションに感化されて僕も気分が盛り上がってくる。当初はさほど興味もなかった競馬だが、今は結果が楽しみだった。


 レース時間が近づくにつれ、競馬場内は混雑してきた。あれだけ無数にあった馬券購入の機械もいつの間にか列を成している。僕たちのようなにわかファンも大勢来ているということなのだろう。


 これ以上混む前に僕たちは馬券を購入しておくことにした。ちなみに美妃さんは予想だけで馬券を買わず、帆乃里は「記念に」とフェアリーテールの単勝を百円だけ買っていた。

 僕はいくらくらい買うのが普通なのか分からなかったが、せっかく来たんだから、とコロンブスエッグに五百円も奮発してやった。不思議なもので馬券を買うと、何だか自分が昔からコロンブスエッグのファンであったかのような愛着が湧いてくる。


 走る勇姿を見ようとターフに向かったが、希望したゴール前は既に人で埋め尽くされており辿り着けそうもない。仕方なく少し離れた位置に陣取った。


「あー、ワクワクするっ!」

「絶対アーバンライフだって。間違いないよ」

「えー? フェアリーテールちゃんだと思うな」


 駿稀と帆乃里は仲良く言い争っている。僕は一歩退いたところでそれを見ていた。もし自分たちに子供が生まれたら男の子か女の子かで言い合いになってるカップルのような睦まじさを感じ、僕は目を細めて力なく笑った。

 今朝の電車の一件以来、二人の仲が少し親密になっているように見えたのは、僕の願望なのか、もしくは嫉妬なのか?


 ファンファーレが鳴るとみんな手拍子でそれを迎える。各馬がゲートインしていく最中、ふとマスターが推したサイボーグレガシーが気になった。人気は十六頭中十五番人気とブービー人気だ。


(なんでマスターはこんな馬に一万円も賭けたんだろう?)


 そう思い出すと妄想は膨らみ、やたら不気味な存在として映りはじめた。

 ファンファーレが終わると観客たちの歓声が重なり、響き合い「おおーっ」という轟音になった。


「いよいよね……」


 美妃さんが呟く。驚いたことにあの冷静な美妃さんが興奮で目を爛々とさせていた。


「そうだね。なんかこっちまで緊張してきた」

「大丈夫よ。コロンブスエッグはかすりもしないから落ち着いて観ていれば」

「なんてこと言うんだよ!」


 美妃さんらしいブラックな笑いに気を取られている隙にレースはスタートしてしまった。

 先頭を切ったのは大方の予想通りフェアリーテールだった。

 最初の直線は観客席の前を通過する。一度ゴールゲートを通過してもう一周回ってきたらゴールだ。馬の蹄が奏でる地響きがドドドドドドッと迫ってくる。不思議と気分を高揚させる音だ。


「行け! フェアリーテールちゃん! もうこのままゴールだったら勝ちなのに!」


 帆乃里は前のめりになり、腕を上げて声援を送っていた。後続馬も離されまいと一丸になって着いていく。一塊になっているから僕の推すコロンブスエッグがどの位置につけているのか分からなかった。

 フェアリーテールを先頭にコーナーを曲がり、向こう正面に行く。肉眼では点ほどなのでスクリーンを確認した。固まっていた馬群も次第にばらけはじめ、各馬が確認しやすくなっていた。


「お、いい位置だ。いいぞっ!」


 駿稀は応援馬のアーバンライフが、先頭集団の中程につけていることを確認して声を上げる。その半馬身ほど後ろには美妃さんのデンゲキホウオウが虎視眈々と控えていた。

 僕の応援するコロンブスエッグは中段より更に後ろにつけていた。


(おいおいっ……そんなとこにいて追い込めるのかよっ……)


 それに確か新聞にはコロンブスエッグは先行馬と書かれていた。本来であればもっと前にいなくてはならないはずだ。


 先頭を走るフェアリーテールが向こう正面の直線からカーブに差し掛かったところで、後続馬が次々と仕掛けはじめた。


「きゃー! 来た! 逃げてぇー! フェアリーテールちゃんっ! オス馬が来たよー!!」


 もの凄い感情移入っぷりで帆乃里が叫ぶ。

 猛り来る男馬たちから逃げる三歳の女の子馬。帆乃里はなんだかすごいことを想像してそうだ。


 第四コーナーを曲がるとフェアリーテールのリードはもう、ほとんどなくなっていた。

 追い込みをかけてくる馬の中でも、最もフェアリーテールに届きそうな勢いなのが現役最強馬と呼ばれる一番人気のアーバンライフだ。


「行けぇー! そのまま抜き去れ!」


 馬が僕たちの目の前を駆け抜けていく瞬間、駿稀が気合いを送った。

 フェアリーテールは力尽きたように馬群に沈んでいく。しかしアーバンライフも馬群を抜けきることが出来ない。後続馬たちは今度は先頭に立ったアーバンライフに猛追していた。


「今よっ!!」

「えっ!?」


 僕の隣に立っていた美妃さんがいきなり声を上げた。まるでその指示を待っていたかのようにピエール騎手の鞭が入り、デンゲキホウオウが駆け出す。次元の違う伸びが生まれ、他の馬を置き去りに、一頭抜きん出た。アーバンライフは必死で残そうとするが三頭ほどの集団に飲み込まれかけていた。ちなみにその三頭の中に、僕のコロンブスエッグはいなかった。


 そしてそのままデンゲキホウオウはゴールを駆け抜けていた。


「やったー!!」


 美妃さんは新聞を棒のように丸めたものを振り回して歓喜の声を上げていた。馬券も買っていないくせに。


「あー、もうっ悔しい! お疲れ様! フェアリーテールちゃんっ!」


 帆乃里は唇を尖らせながらフェアリーテールに手を振る。不服そうに拗ねてはいたが、フェアリーテールの健闘を労っていた。


「マジかよ……」


 駿稀は呆然とターフを見詰めていた。一体いくらほど買っていたんだ、駿稀よ……。ギャンブル好きに僕の嫁はやれないぞ?


「……てか、コロンブスは……?」


 負けても帆乃里や駿稀はまだいい。それなりに愉しめただろうから。しかし僕は一瞬でも夢を味わうことが出来なかった。


「あ、そういえば綾人君のコロンブス君、まったく見掛けなかったね?」

「いたわよ。後ろの方を走って八番か九番辺りを争ってたんじゃない?」


 美妃さんはまだ興奮冷めやらぬ様子で僕とコロンブスを馬鹿にした。いつにも増して美妃さんの冷笑は鋭く、そしてなぜかどこか親しみも感じられた。

 会場内が興奮の余韻に抜けきらない中、帆乃里の携帯が鳴る。


「あ、マスターからだ」


 興奮のあまりすっかり忘れていた。そういえばマスターの推したサイボーグレガシーはどうなったのだろうか?

 電光掲示板を見ると、なんと三着になっていた。


「いつの間に……」


 勝ちはしなかったが、善戦はしていた。さすがはマスターの予想だ。


「え? すいません、騒がしくて聞こえづらくて……換金? 換金って? あ、はい。もちろん買いましたけど……当たってるっ!? でも勝ったのは……あ、はい、分かりました」


 電話を切ると帆乃里は首を傾げて笑った。


「当たったから換金して帰ってきて欲しいって言うんだけど……」


 帆乃里がそう言うと落ち込んでいた駿稀は我に返って顔を上げた。


「えっ!? それってまさか……!? 帆乃里ちゃん、馬券見せて!」

「あ、はい」


 馬券を確認した駿稀は目を丸くした。


「これって……」

「勝ったのはデンゲキホウオウなのに、おかしなこと言うでしょ?」

「いや、当たっている……当たってるよっ!! これは複勝馬券だよ……」

「複勝馬券?」

「予想した馬が三着までなら当たりなんだ……一万円も!? すげぇ……」


 倍率はとんでもない数字だった。

 あまりの金額に恐れを成し、僕たちは四人で固まって換金しに行く。

 カードを機械に挿入すると中で札束が猛スピードで揃えられていく音がした。

 そしてドン引きする金額が払い戻された。なんでもないただの一枚のカードが、一瞬で札束に変わってしまっていた。


「ギャンブル、怖い……」

「そうだね…………」


 客があまり来ない喫茶小径がどうして続けていけてるのかを垣間見たような気がした。

 予想合戦に勝利した美妃さんも、もはやレースの興奮を忘れてしまっているようだった。

 結局僕たちの競馬予想対決の真の勝者は、マスターだった。



 ところでこれは余談だが、その年の秋に僕はテレビのニュースで久し振りにフェアリーテールの名前を聞くことになった。

 駿稀とマスターが言っていた通り、フェアリーテールは凱旋門賞にチャレンジしたらしい。その結果惜しくも三位だったと、そのニュースは伝えていた。

 僕がフェアリーテールの名前に聞き覚えがあったのは、恐らくこのニュースが原因だろう。

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