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競馬予想対決2

 阪神競馬場に向かう電車は立錐の余地もないほどの混雑を極めていた。


「うわっ!? すごいね、これっ!」


 帆乃里は目を丸くして乗車を躊躇した。


「こんなもんだって。どうせ競馬場まではすぐだから乗るぞ」

「ちょっと、駿稀君。次のにしよう」


 美妃さんは眉をしかめて提案した。

 しかし次の電車を待つ列は既に出来ており、その後ろに並んだところで座れそうもない。どうせ立つのならばこの電車でも同じだ。

 それでもまだ文句を言う美妃さんにもなんとか乗ってもらい、ドア付近で四人固まった。しかし出発間際に駆け込み乗車があり、僕は奥へと押しやられてしまう。


 駿稀と帆乃里はドア付近をキープできたようだ。駿稀はいつでも身のこなしが上手で、そういうところはちゃっかりしている。

 僕と一緒に奥へと追いやられた美妃さんは僕の隣で不快そうに顔を歪めていた。


 電車が動き出すと駿稀はドアに両手を突き、帆乃里をガードするように覆ってた。帆乃里は照れたように顔を赤らめ、上目遣いで駿稀を見詰めていた。声は聞こえなかったが、「ありがとう」と言ったのが口の動きで分かる。

 僕は突き刺すように胸が痛くなり、目を逸らす。

 でもこの程度で怯んでいてはいけない。僕はこれからもっと、見たくない妻の姿を見なくてはならないのだから。


 電車は短い間隔で駅に止まるが、降りる人はほとんどいない。

 乗客のほとんどがスポーツ新聞を手にしているのだから、どの駅で降りるつもりなのかは一目瞭然だった。


 そちらは見ないようにしようと心掛けているのに、気がつけば視線は帆乃里に向けられていた。駿稀に守られた帆乃里は笑いながら何かを話している。

 爛々と輝くその瞳を見れば、夫だった僕には分かってしまう。帆乃里は恋をしかけている。

 それでいい。帆乃里は愛する人と、幸せになるべきなのだから。

 僕の苦悩なんて、蓋を閉じて隠してしまえば誰にも気付かれない。きっと、隣にいる美妃さんにだって隠し通せる。


 超満員の電車が仁川にがわ駅に着くと、乗客の大多数が電車から降りていく。

 駿稀は自然な仕草で帆乃里の手を握った。心臓がドクンと大きく跳ねる。混雑ではぐれてしまわないようにするためだと分かっていても、僕の視線は繋がれた手を嫉妬深く凝視してしまった。

 降りる人に邪魔そうにぶつかられ、我に返った僕も流れに従う。


 先に改札を出た僕と美妃さんは、人混みの中から出て来る帆乃里と駿稀を見つけた。もちろん、もう手は繋いでいなかった。


「いやぁー、すごい混雑だったねぇー!」


 改札を出た帆乃里は、手のひらで顔を仰ぎながら笑う。赤い頬は人混みの熱気だけが原因でないことは分かっているが、そこには触れないで素知らぬ振りをした。

 でも僕の視線はどうしても繋いでいた手を追ってしまった。


 「帰りの切符は今のうちにお求め下さい」と拡声器を使って訴える駅員に従って切符を買ってから地下道を潜る。阪神競馬場までは地下道一本で繋がっていた。


「綾人君は予想、決まったの?」


 帆乃里は僕の隣にやってきて訊いてくる。僕は慌て気味に目を逸らしてしまう。

 先ほどの二人の親密な光景が脳裏を過ぎり、それを振り払うように僕は頬笑む。でも上手く笑えている自信はなかった。


「僕は……フェアリーテールかな」

「えー? 私と被ってるっ!」

「帆乃里ちゃんもフェアリーテールなんだ?」

「うん。だって女の子なんだもん!」

「それだけの理由でっ!?」


 相変わらず単純明快な頭脳回路だ。僕の言い方が癇に障ったのか、帆乃里は不服そうに唇を尖らせた。


「それだけじゃないよ! キンリョーとかも考えたし!」


 明らかにこないだ駿稀に教わったことを今付け足した感じだ。まあ、帆乃里にしてみればレース結果より馬が間近で見られたり、ガーデニングを観賞したり、美味しいものを食べたり、雰囲気を愉しむことの方が大切なのだろう。


「そういう綾人君はどんな理由なのよ?」

「それは、えっと……」


 未来からやって来た僕が、初見で名前を知っていた馬は三頭で、そのうち二頭はダービーや有馬記念を制覇している。しかしフェアリーテールは桜花賞とやらは勝っているが、他二頭よりは成績が華々しくない。それでも僕が『フェアリーテール』という名前を知ってるということは、今後華々しいレースに勝つということだろう。それはこの宝塚記念なのかもしれない。と、そんなメタ推理ならぬメタ予想で選んでいた。

 しかしそんなことを説明するわけにもいかず、


「勘だよ、勘」

「えー!? そんなの私の予想以下でしょ! 違うのにしてよ!」

「同じでもいいんじゃない?」

「駄目。それじゃ勝負にならないでしょ!」


 そんなめちゃくちゃな理由で僕は別の馬を選び直させられることとなってしまった。


 競馬場に入り、すぐのところにパドックがあった。パドックとは出走前の馬が集まり、サークルを引いて観客に見せるところだ。


「わっ!? いた! 美妃、お馬さんいるよ!」

「おおっ! 本当だ! 近くで見よう!!」


 よほど馬が好きなのか、美妃さんはいつもでは考えられないテンションで帆乃里と手を取り合って階段を降りていく。

 近くで見ると馬は予想以上に迫力があった。首を振るもの、下を向いて歩くもの、気性が荒いからなのか二人がかりで手綱を引かれてるもの。草食動物だと思って舐めてかかっていたが、これは戦えば間違いなく負けそうだ。


「可愛い! あの澄んだ目を見てよ!」

「帆乃里ちゃん、パドックでは静かにね」


 駿稀は興奮した帆乃里を落ち着かせる。


「ねえねえ、どの子がフェアリーテールちゃんなの?」


 帆乃里は声のトーンを少し落として訊いてくる。


「これは宝塚記念のパドックじゃないよ。もっと前のレースのパドックだから」

「あ、そうなんだ。他のレースもパドックってするんだね」


 帆乃里の『にわか』丸出し発言で周りから生温い視線を送られるのが恥ずかしかった。

 一方美妃さんは目をキラキラと輝かせて、闊歩する馬たちを見ていた。

 まるで馬と話が出来そうなくらいに、目で語り掛けている。


「わ、あの子私のこと見たよ! ほらっ!」


 相変わらず帆乃里はテンション高めで、声は抑えめではしゃいでいる。


「美妃さんは本当に馬好きなんだね」

「へ? あ、ああ、まぁ……」

「確かにいいよね。迫力あるし、すらっとしててかっこいいし。でも目とか可愛いし」


 馬を褒めるとまるで自分が褒められたかのように美妃さんは擽ったそうな顔をして笑った。


「あと頭もいいんだよ。ちゃんとこっちがなにを求めてるかもわかるし、一度間違えたことを繰り返したりもしないし」


 そう言って美妃さんは帆乃里と駿稀の方を見た。


「アレよりよっぽど賢いかも」

「ははは」


 美妃さんの毒気を帯びたジョークは今日もキレキレだ。

 パドックを楽しんだあと、僕たちは芝生広場の方へと向かっていた。

 駿稀と美妃さんはその前に、とトイレに行ってしまった。


「あ、そうだ!」

「なに?」

「マスターから馬券頼まれてたんだ! 忘れたら大変だから先に買っておくね」


 馬券購入の機械は至る所にあるから助かる。

 封筒を開けるとマークシートが出て来た。


「これを入れてお金を入れるだけだってマスターが言ってた」

「へえ。便利だね」


 マークシートはもちろん既にマスターが塗りつぶしてある。

 でもこうして渡してくるところをみると、マスターはマークシートを何枚も持っているんだろう。

 競馬に詳しそうなマスターがなにを買ったのか、気になるところだ。


「えっ!? ええーっ!?」

「どうしたの、ええーっ!?」


 マークシートを元にどの馬を買ったのか確認すると、マスターが選んだ馬はサイボーグレガシーという聞き覚えのない馬だった。レース名は宝塚記念で間違いない。しかし驚いたのはその購入金額だった。


「い、一万円っ!?」

「マジかよ……」


 確かに封筒には一万円が入れられていた。マークミスではないようだ。


「こんなに……もったいないよぉ……」

「でも頼まれたんだから買うしかないよな……」


 帆乃里は自分の無駄遣いのように苦痛の顔をしてお金を投入していく。その姿には外れるのが前提の悲壮感が漂っている。

 お金を投入すると「サイボーグレガシー」と書かれたカードが一枚出て来る。一万円が一瞬でこのカード一枚になってしまった。


「なくさないようにしまっておこうっ!」


 帆乃里はすぐにその馬券を財布にしまう。


「サイボーグレガシーってどんな成績だっけ……?」


 僕も馬柱の解読法を教わって一応新聞を見て予想をしたが、その名前は記憶になかった。

 もう一度新聞を見て確認する。ここ最近振るわない成績ばかりだったから真っ先に切った馬の一頭だった。


「男の子? 女の子?」


 帆乃里の関心事項はもっぱらそればかりだ。


「えーっと……え? なにこれ?」

「どうしたの?」


 帆乃里も新聞を覗き込む。そこには牡でも牝でもなく『騸』と書かれてあった。


「えっ……どういうこと……」


 そこへ駿稀が戻ってくる。


「どうした?」

「いやマスターが選んだ馬がサイボーグレガシーって馬で……牡とか牝とかじゃなくて……」


 新聞を見せると駿稀はすぐに理解した。


「ああ、騸馬ね」

「なに、それ?」

「騸馬っていうのは簡単に言うとパイプカットした馬のことだよ」

「パイプカットぉ!?」

「パイプカットってっ!?」


 僕と帆乃里が同時に声を上げた。


「そう。気性が激しくてレースに使えないからパイプカットをして大人しくさせるんだ。たまにいるよ」


 駿稀がどや顔交じりで僕たちの疑問を説明すると、帆乃里は顔を歪めた。


「なんか可哀想……」


 その目は悲しそうに憂いを帯びており、慈愛に満ちていた。帆乃里はやけに正義感が強いところがある。


『奥さんは妊娠しづらい身体のようです』


 医師にそう宣告された時の記憶が不意に僕を襲った。何度も夢に見て、うなされた、二度と開けたくないのに何度も勝手に開いてしまう記憶だった。


「別に騸馬にならなくても種牡馬になって子孫を残せる牡馬は全体の一%未満だからな」


 そんな駿稀の自慢気な豆知識披露さえ、忌々しく聞こえた。


「……子供が出来ないなんて、可哀想だよ、やっぱり」


 帆乃里はしゅんと落ち込む。

 もちろん悪気はないのは分かっているし、この時点では帆乃里自身も自分が不妊症であることを知らない。

 それでも僕は、殴ってでも駿稀を黙らせたかった。

 僕は思わず帆乃里に同意して慰めてやりそうになる。

 しかしやっぱり、駿稀は帆乃里に相応しい男だった。


「そう? 子孫を残すだけが人生じゃないだろ? 馬だから人生じゃなくて馬生か?」


 軽々と、そう言った。


「でもっ……人間の都合でそんな処置をするのは、やっぱりひどいよっ!」

「まぁな……それはそうかもしれないけど」

「そうだよ! 子孫を残すのは生き物の自然の摂理だよ!」

「自然の摂理は言い過ぎじゃないか? 子供のいない夫婦もいるし、そもそも結婚しない人だっているだろ? その人達を自然の摂理に反してるって言ったら失礼だし、それこそ可哀想だ」

「そういう意味じゃないっ! もういいよっ」


 特に意味もなく適当に言っただけなんだろうし、そもそも騸馬を正当化しようとしただけなのかもしれない。

 だけど偶然でもそういうことを言えるのは、駿稀が帆乃里にふさわしい運命の人だからなのかもしれない。

 僕だって帆乃里を追い詰めるために「子供が好きだ」「子供が欲しい」といったわけではないのだから。


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