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競馬予想対決1

 六月も終わりに差し掛かった初夏の午後。冷房の効いた喫茶『小径こみち』で僕はスポーツ新聞を拡げていた。

 読んでいた記事は競馬欄で、今週末に行われる『宝塚記念』の特集が組まれていた。

 もちろん僕は競馬のことなんて詳しくないし、競馬場に行ったことすらない。


 しかし僕は浅ましい欲に駆られてしまっていた。いや、言い訳がましくて申し訳ないけど、僕じゃなくても誰でも思うはずだ。

 未来から来たのだから競馬を当てることが出来るのではないか、と。

 もちろん競馬を観てこなかった僕はレース結果など知るよしもない。しかし大きなレースなら一般のニュースでやることもあるので、もしかしたら覚えているかもしれないという思い付きだった。

 新聞を広げ出走馬の中に聞いたことがある名前がないかを確認する。


「珍しい。綾人君が競馬の新聞読むなんて」


 帆乃里が少しからかい気味に言いながらアイスコーヒーを置いた。


「うん……なんか大きなレースらしいし……どんなのなのかなーって」


 適当に答えてお茶を濁すと隣に座っていた駿稀が鼻で笑った。


「やめとけ。素人が適当に勝って当たるもんじゃないから」

「そうなの?」

「まあな。特に今回の宝塚記念は難しいからな」


 いかにも俺は知ってる的な言い方だ。確かにこいつが競馬をよく観ていたのは知っている。しかし当たったという話はあまり聞いたことがなかった。

 「この先、十年くらい大きく当たることはないからやめておいた方がいいよ」と教えてあげたいくらいだ。

 それにしても大学時代から駿稀と一緒に競馬を観ていれば大きく儲けられていたのにと思うと少し残念だ。あの時はまさか自分が二十歳に戻り、大学三回生をもう一回経験できるとは思っていなかった。


 出走馬を見て、一応聞いたことある名前は幾つかあった。

 アーバンライフ、コロンブスエッグ、スワローテイルの三頭だ。

 しかし聞いたことがあるだけで、当たり前だがこの中のどの馬が今年の宝塚記念を制したのかは分からなかった。


「だいたい綾人は馬柱をどう見るのかも分からないだろ?」

「ウマバシラ?」

「これだよ」


 そう言って駿稀は出走馬の馬名の下にある枠を指差した。細かい字で何やら色々書いてあるが、暗号のように意味不明だった。一応駿稀が説明はしてくれたが、さっぱり頭には入ってこない。


「まあ、要するに今回のレースは有力馬三頭の争いなんだよ。アーバンライフと、コロンブスエッグ、そしてスワローテイルだ」


 それは言われなくても分かっている。なんだかもどかしい気持ちになった。


「去年の宝塚記念、そして有馬記念を制したアーバンライフが一番人気だろう。グランプリレースに強いと評判だからな」

「ふぅん……」


 結果が分からないなら競馬などする気も起こらなくなった僕は生返事を返す。しかし競馬ファンというのは熱く語らなくては気が済まないのか、僕のリアクションなど気にした様子もなく説明を続ける。


「しかし今年はなんとダービー馬のコロンブスエッグが宝塚記念に参戦することになった。現役最強馬と呼ばれるアーバンライフと三歳馬最強のコロンブスの対決が早くも実現だから騒がれてる」


 現役最強馬はまあ分かるとして、三歳馬最強というのはなんだろう?

 馬の寿命はよく知らないがまさか十歳くらいで死ぬと言うこともないだろう。そう考えると三歳馬というのは、なんだかすごく子供に感じてしまう。


「それだけでも話題なのにそこにスワローテイルまで出馬することになったからな。話はややこしくなったんだ」

「スワローテイルってのも凄いの?」

「スワローテイルは確かにこの二頭よりは劣る。けどな、三歳牝馬なんだよ」


 どうだ、という顔をされても返事のしようがない。


「牝馬って女の子ってことだよね? それってどういうこと?」


 興味をなくした僕に変わって質問したのは帆乃里だった。目つきは金儲けに目が眩んだように爛々としている。また帆乃里の『何でも愉しみたい病』が発症しかていた。


「三歳牝馬はな、斤量が軽いんだよ、圧倒的に」


 駿稀はとっておきの情報のように、重みを持たせる言い方で僕たちに教えてくれた。

 帆乃里は少し驚いた顔をしたあと、神妙な面持ちで頷く。


「なるほど……で、キンリョウって、なに?」


 まったく知らないのによくそこまで盛り上がれるもんだ。


 駿稀の話を簡単に纏めると斤量というのはつまりはハンディキャップのことらしい。三歳のメス馬は軽いものを背負うだけでいいらしく、五歳のオスの馬との差は七キロだ。

 馬の体重がだいたい四百キロから五百キロらしいから、七キロの差というのがそんなにクリティカルに効いてくるのか、素人の僕には分からない。むしろ誤差範囲なんじゃないの? とさえ思えた。


「ふむふむ……なかなか奥深いんだね……」


 帆乃里はオーダーを取る紙の裏側に駿稀の話を纏めてメモをしていた。いくら暇だからといって弛みすぎている。

 いつもは座って本ばかり読んでいるマスターが珍しく僕たちの話に耳を傾けている。


「二歳の頃から天才との呼び声が高かったスワローテイルだが、この春は桜花賞こそ勝ったものの、オークスは回避。そしてこの宝塚記念に標準を合わせてきた。それは恐らく──」

「凱旋門賞を狙っている、だろ?」


 カウンターの向こうからいきなりマスターが会話に参戦してきた。競馬好きだったんだっ!?


「そ、そうだと思います。マスターもそう思いますか?」


 駿稀のその問い掛けにマスターは紫煙を燻らせながら苦笑いを浮かべた。

 競馬を知らない僕でも凱旋門賞は聞いたことがある。フランスで行われる世界最高峰の競馬レースだ。

 意味はまったく分からないが話の流れからして、宝塚記念というのは凱旋門賞の登竜門的な存在なのかもしれない。日本予選的な?


「凱旋門賞のステップなのかは分からない。ただね、駿稀君。私はたくさんの馬を見てきた。凱旋門賞を狙うために宝塚記念をステップにした馬もね……だが、そんなに甘いものじゃないんだ、凱旋門賞も、宝塚記念もね」


 なんだか格好良かった。競馬なんてまったく興味もなかったが、少し結果が気になってくる。


 カランッと音を立て、美妃さんが来店した。僕たちを見て軽く会釈をする。もう嫌な顔はされないが、笑顔で手を振られるほどにもなっていない。


「あ、美妃。いいところに来た! 競馬の予想をしてたんだけど!」

「競馬? ギャンブルには興味ない」


 帆乃里が新聞片手にやって来ても一刀両断だ。今日も美妃さんにブレはない。


「人気馬三頭の一騎打ちなんだって!」

「三頭なら一騎打ちとはいわないでしょ」


 的確にツッコんだ美妃さんはアイスティーとホットケーキを注文する。盛りついた野良猫に水をぶっかけるかのような、冷静で無慈悲な態度だ。


「綾人君もそういうの、興味あるんだ?」


 美妃さんはまるでアダルトビデオを見つけた女友達のような冷ややかな目つきで僕を睥睨した。


「いや、まあ……別に……」

「こういうのはね」


 新聞を手にした美妃さんはつまらなさそうに出馬表を眺めていた。


「騎手で買えば当たるんだよ」

「え?」


 意外にも話に乗ってきた。


「アタシは昔すこしだけ乗馬を習っていてね。その関係で競馬を観たことも何回かはあるの」


 そう言いながら美妃さんは視線を紙面のあちこちに滑らせていく。驚いたことに例の暗号文書のような馬柱とやらも読めるようだ。


「このフランス人ジョッキーのピエールっていう人が勝つと思うよ」


 あっさりそう断じた。


「ピエールのデンゲキホウオウか……悪くないけど。でも乗馬と競馬は違うんじゃない?」


 口を挟んだのは駿稀だった。大好きな競馬を軽んじるような発言に抵抗を覚えているようだった。


「基本的には同じでしょ? 人に馬が乗って走らせるんだから」


 美妃さんの方も心なしか、いつも以上に言い方に棘があった。


「馬の能力とか、コースの向き不向きとか、ここ最近の調子とか、天候とか、そう言うのを考慮するのが競馬だろ?」

「駿稀君、乗馬したことは?」

「それはあるよっ! 動物──」

「言っておくけど、動物園で馬に跨がって一周歩いたとかそういうのじゃないからね。乗馬の経験を訊いているの」


 高飛車な感じにそう言われ、駿稀は悔しげに口を閉ざした。


「ねぇねぇ、この宝塚記念って阪神競馬場でやるんでしょ? みんなで行こうよ!」


 こういう時、場の空気を一刀両断する帆乃里の怖れ知らずのテンションはありがたかった。


「はぁ? なんであたしが」

「どっちが当たってるか、勝負したらいいじゃない!」


 帆乃里はにまーっと笑って美妃さんと駿稀を交互に見る。


「そうだな。そうしよう!」


 帆乃里に後押しされ、駿稀は闘志を燃やした。


「馬鹿馬鹿しい。そんなくだらないこと……テレビで充分よ」

「でも意外と阪神競馬場って綺麗なガーデニングもあるし、美味しそうな出店もあるみたいだし、楽しいらしいよ!」

「別に……」

「馬も見られるし! ポニー乗馬会も開催してるって!」


 適当に言っただけなのだろうが、その一言は美妃さんの心を揺るがした。


「……まあ、そこまで言うなら別に行ってもいいけど。でも馬券は買わないからね」

「おおーっ! じゃあ決まりだね! みんなで勝負しよう!」

「えっ? 僕も?」

「よし、じゃあ真面目に予想するかっ!」


 僕の小声の抵抗などまるで無視され、勝手に決定してしまう。

 往生際の悪い僕は、未だにありもしない記憶を手繰り寄せようと、必死に宝塚記念の優勝馬を思い出そうとしていた。


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