結末
私を待っていたのは,嵐のような毎日だった。
まず社内の大改革。社長が細部を詰めていた私の計画案に従って,大鉈を振るったんだ。前副社長を初めとする寄生虫の駆除。といってもただ首を切って放り出すわけじゃない。ありとあらゆる手を尽くして,妻子が路頭に迷わないようにする。具体的にどのくらい手を尽くしたかと言うと,その妻のうち何人かと子の何割かが,のちにうちの採用試験を受けて働いているくらいだ。裁判沙汰は一つもない。
次に,ほぼ空席となった重要ポストへ大胆な抜擢を行う。もちろん能力重視で,その男女比は大幅に変わる事となったのだが,男十割から女七割へと変わり,平均年齢も二十五ほど下がったことは,外から見たら不安もいいところだ。
契約を解消しようという取引先には頭を下げて回り,少なくともあと数年の継続を頼み込む。しかしそれはあくまで暫定だ。そこで中身を見てくれないところは,いずれこっちから切る。そのつもりで,事業の幅をどんどん拡大する方針へと転換した。
そもそもニシキ紡績は,ただの製糸工場だった。だから生産者にそっぽを向かれればたちまち立ち行かなくなるし,取引先にへそを曲げられればこれまた干上がる。
でも社長は,将来を見据えて幅広い人脈を作っていた。パーティーからコンパからこれぞと思ったものには片っ端から首を突っ込み,そのあり得ないほど卓越した眼力でこれはと思った人材を見抜くとその憎めないキャラクターで良好な関係を築く。口説き文句は「将来俺の会社に力を貸して欲しい」だそうで,恐るべき人たらしだ。いやまぁ,かくいう私も落とされたクチだけれども。女性が多いのもお約束だ。
その人材たちの力をじゅうぶんに活用して,ニシキ紡績は事業の多角化と規模の拡大を急速に進めていった。時としてその経営方針がハーレム的であると一部の男性から揶揄されることはあったけれども,女性側の高い好感度に支えられて,僅か三十年で押しも押されぬ産業界の盟主,世界四十か国にも事業展開する企業連合体の錦土帝国が出来上がったんだ。
社長はそれを機に禅譲。会長に収まった。私は副会長だ。社長…帝国全体を統括する総取締役には私の長男が就いた。十三人いる弟妹達もそれぞれ各部門の取締役に就いている。会長が見込んだ有能な補佐役がついているので心配はないだろう。
ちなみに,会長はあんなだから,世間的に見たらいわゆる愛人さんに当たる女性がそれなりにいる。浮気者とは言わないで欲しい。最大限の幸せを考えたらそうなったと言うだけの話で,当人たちの間にはドロドロとしたところはまったくない。まさか私がユーリエ様の立場になるとは思わなかったけどね。
そっちに生まれた子たちも,いずれは能力に応じてしかるべき場所でともに世界を相手取る事になっている。みんな可愛い奴らだ。
言わば世界規模の家族経営だ。よくもまぁ,こんな夢みたいなあり得ない帝国が出来上がったもんだ。
ところで。もう言うまでもないとは思うけれど,私は比較的すぐに彼と結婚した。
彼としてはもうあれがほぼほぼプロポーズのつもりだったらしい。私の方はというと,結婚するならどうしても例のゴニョゴニョを飲み込んでもらわないといけなかったから,ざっくりとではあったけれどもそれを説明した。金鎚にかけられた魔法が私の都合を汲んでくれるとは思えなかったからだ。まぁ正直に言うと,それを一笑に付す人とは合わなくなるだろうから,深入りする前に退いておくべきと思ったのもあるんだけどね。
今冷静に考えると,それを飲み込めるなんてよっぽどのアレな人じゃなかろうか。ごく普通に考えて,一緒になったらまずいだろうという確信すら持てる。
でも彼はあり得ないほど素直にそれを飲み込んだ。陛下への共感が大きな原動力になったのかもしれない。錦土”帝国”なんて名前にしたのもそこが多分に影響している。
ともかくそんなわけで,私は副社長と妻と母の三刀流をやるはめになったというわけ。いや,今からもう一度やれって言われても絶対無理。思い出しただけで背筋が凍るほどの修羅場もいくつも潜ったさ。
で,その戦いに勝利して今がある。あとは楽隠居で,孫たちに囲まれてみたり二人だけの時間を過ごしたりで良いでしょ?もうやりきりましたよ,この人生。
と思っていた矢先に,事件は起こったんだ。
◇
運命の一夜。久しぶりに子や孫に囲まれてのホームパーティが行われた夜に,彼は失踪した。
夜半に自らの寝室へと姿を消した彼は,昼になっても出てこなかった。寝室の扉には鍵がかかっているが,呼べど叫べど返答はない。中で冷たくなっているのではないかと息子たちがそれをぶち破ったが,中には誰も居なかったんだ。
彼は密室から忽然と姿を消したのだ。
世界に冠たる錦土帝国の,前とはいえ総帥の失踪は,世界に決して少なくない衝撃を与えた。マスコミはこぞってこれを面白おかしく報道した。そして,私はと言えば随分と警察の相手をする羽目になった。
そりゃそうだ。彼がいなくなれば,名目上とはいえ,本人的にはもう口も手も出す気がないとはいえ,帝国のトップは私になる。そこへきて,私と彼の共同名義になっている資産が六兆円超。その全てが私一人のものになるわけだから,真っ先に疑われて当然だ。特に弱者の味方を標榜している,ふりに過ぎないと私は思っているが,某社系列はなかば名誉棄損と言っていい内容。身内の確執だの跡目争いだの影の女帝だのと,言いたい放題だった。
結局,事件なり犯罪なりをにおわせるようなものは何一つとして出てこなかったから,警察は早々に捜査の規模を縮小し,当初のこちらの届け出通り行方不明として扱っている。
大衆もマスコミもほとんどは早々に興味を失った。件の某社系列だけがしつこく,まぁこれは当初の失礼な直撃取材を門前払いしたから逆恨みしている部分もあるのだろうが,疑惑は深まっただの何だのと中傷まがいを続けている。
法的手段に訴えるべきだという意見もあるけど,面倒なんでやらない。後ろ暗いから訴えないんだと彼らとその熱心な読者たちは思っているようだが,そんなのに絡むだけ損だ。
まぁ,まったくの嘘八百ってわけでもないからね。おそらくではあるけれど彼らの言う通り,私は彼が何をやっているのかも,どこにいるかもどうなっているかも知っているんだから。
そう。彼はきっと,向こうへ行ったんだ。
彼は親友が失踪した事をずっと気にしていた。きっとその心残りを片付けに行ったんだ。つまり,ボスを助けに行ったんだ。そして,そのついでに私を助けに行ったんだ。
ずっと引っかかっていた私の心残りも片付いた。そんな目的で向こうへ行った彼が,道を踏み外すわけがない。たとえ予言が成就して,たとえ帝国が滅びたとしても。彼はそこだけは譲らない。魔大帝と呼ばれたラズールの真の目的は,漆黒将軍の幸せの成就だったんだ。余人に分かるか,そんなもん。
だから,ボスはきっと向こうで幸せになったはずだ。
ずいぶんとちんまりした結末だけど,悪くはない。これが私の運命だったんだ。
あとは命ある限り,彼が安心して役目を果たせるように,こっちを見守っていくだけだ。