白蛇と怪鳥の交錯
浮かび上がる城。
俺たちは、ただ茫然とその成り行きを見守っていた。
竜族最強である大竜王の竜装機兵は、海を越えまっすぐに南下している。ここから南ということは、セレスティア州かもしくは……。
「ツヴァイク州が……」
窓の外を眺めていたエドワードがそんなことを呟いた。窓の外を見下ろすと、確かに……俺も見覚えのある街並みだ。軍団を率いて立ち寄った記憶があるからな。
邪竜はその動きを止めた。狙いを定めているようにも見える。
不意に、何かが弾けるような激しい爆発音のような音が聞こえた。窓の外を見ると、邪竜の口から電流が漏れ出ている。おそらくは、雷のブレスを放つための前段階。
竜の口が限界まで広がった。その先には、ツヴァイク州の都市が……。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
エドワードの悲痛な叫びが木霊したその瞬間。
邪悪な鳴き声が周囲に響き渡った。
――雷咆哮
その巨大な電撃は、まるで極太のペンで地図に線を引くかのように……その地域の建物を崩壊させた。城はもとより、教会も、商店も、民家も何もかもを焼き壊した。
これは、ハワードや他の竜装機兵とは一線を画す力。地形に影響を及ぼすほどの……まさに『災厄』である。
次に邪竜は、紫色の液体を周囲にぶちまけた。
その色はグランヴァール州の魔王城に残されていた毒の沼を彷彿とさせる。魔法耐性を持たない現代人が、とても生きているとは思えない。
俺には……見えてしまった。
紫の液体を受けた市民たちが、まるで呼吸ができないかのようにもがき……苦しみながら倒れていくその姿を。時間を追うごとに、その被害は液体から少し距離の離れた群衆たちにも感染している。毒が気化しているのだ。
邪竜は一定間隔でこの作業を繰り返した。
ツヴァイク州は崩壊した。その豊かな人口と、人々が積み上げてきた文明の遺産は……一瞬にして崩壊してしまった。
間違えなく、九割以上の人々が死んだ。今、この州で生き残っている人間は、偶然山中を歩いている人か、もしくは人里離れた地域に住んでいるごく少数の人々だろう。その人たちですら、この毒の沼に近寄っては命を奪われてしまう危険がある。
「僕は……どうして……」
エドワードは泣き崩れた。ツヴァイク州は彼の本拠地ともいえる場所。思い入れが深かったのだろう。
上空にいる俺たちには、何も聞こえない。
でも聞こえていなくても、分かる。苦しみ死んでいく人々の、戸惑いと苦しみの悲鳴が。
これを……エミーリア様がやったのか? あのお方が……こんなことを……。
俺はリチャードを肩を掴み、こちらに引き寄せた。
「どうしてお前たちはあの方を止めなかったんだっ! こんなの……ただの虐殺じゃないかっ! 信じられない……こんな、恐ろしいことを……エミーリア様が……」
「……止めたさ」
カイの成すがままにされていたリチャードが、力ない声でつぶやいた。
「確かに、俺たちも最初は乗り気だった。世界を良くするつもりでいたぜ。だがなぁ、そんなものは夢物語だった。お前が言ったように、俺たちが必死に育てたつもりでいる善人どもは……屑ばっかりだった」
そうだったのか。分かっていないのは……エミーリア様だけ。そう言いたかったんだな。
「だからお前を転生させたんだ」
と、リチャードは言った。
「俺が転生したのは、お前の力だったのか?」
「予定ではあと二〇〇〇年は転生できないはずだったお前の魂を、転生できるように誘導した。研究に六〇〇年もかかっちまったがなぁ、まぁ、うまく行ってよかったぜ。お前の声で、エミーリア様を説得してくれないか?」
エミーリア様を説得? そのために、俺を転生させたってことか?
「お前たちでも聞いてもらえなかったのに、俺の言葉が女王陛下に届くんだろうか?」
「こんなことを、俺の口か言いたくはなかったんだがよぉ。女王陛下は……お前のことが好きなんだわ。愛してるって言ってもいいな」
「え、そうなの?」
リチャードが呆れたようにため息をついた。なんだそれは、俺のことを馬鹿にしているのか?
いや、リチャードだけじゃない。クラリッサやパティもなんだかかわいそうなものを見るような目でこちらを見ている。
なんだ、俺は今馬鹿にされているのか? そうなのか?
と、とにかく、リチャードたちでは説得に失敗してしまったことは分かった。そしてその役目に最もふさわしい代役が……俺であることも。
「リチャード、お前も……苦労してたんだな」
「まあ、お前が来るまでに打つ手は出し尽くしたってところか」
「分かった。俺の力でどうなるか分からないけど、説得には協力しよう。エミーリア様はどこにいるんだ?」
「陛下は操縦席に引きこもってるぜ。ああなっちまったらもう会えねぇよ。三日待ってろ、そうすりゃ出てくるからな」
「三日後か……分かった」
待つのはもどかしいが、何もできないなら仕方ない。三日後まで……。
いや、待て。
何かがおかしい。
そもそも三日後ってなんだ? 邪竜エミーリアは三日で世界を滅ぼすんじゃないのか?
「お、おい、三日後って……何もかも終わった後じゃないかっ!」
俺の言葉に反応し、リチャードは項垂れた。苦悶の表情を浮かべながら、小さく声を漏らしている。
「馬鹿野郎……なんでこんな時期に転生してきたんだ。早過ぎんだよ……」
な、なんてことだ。
こいつ……世界が滅んだ後に俺を転生させるつもりだったんだ。
「この世界に生きている百万人以上の人間を見捨てろって言うのかっ!」
「時間がなかったんだ、割り切れよっ! カイ、お前さんは人類の希望なんだ。ヒステリックになった女王陛下に殺されでもしたらどうするっ! お前だけが……人類を救えるんだっ!」
「俺はこの世界でずっと生きてきた。国を作って、部下たちを指揮して、守って、戦って、そうして過ごしてきた。この大地には、俺が任命した大臣や将軍がいる。魔王ちゃんだって、ここにいるクラリッサの家族だってそうだ。この世界で俺を生んでくれた両親だって村にいる。そいつらを見捨てて、三日後に陛下と仲良く話をしろって言うのかっ! できるわけがないだろうっ!」
「どうしてもか? カイ」
「もうこれ以上議論をしても無駄だ。分かってるだろ、リチャード」
俺は立ち上がった。もうこの場でなすべきことは何もない。
邪竜エミーリアが世界を滅ぼす。ならば過ちを犯す主君を正すことこそ、忠臣である俺の義務。たとえ相手がどれほど巨大であろうと、立ち向かはなければならない。
部屋を出ようとした俺の首筋に、剣の刃先が添えられる。リチャードだ。
「へ……へへへ」
リチャードが笑う。大剣は俺の首筋を捕えたままではあるが、この程度の物理攻撃で俺が倒せるわけがない。そんなことは向こうも分かっている。
つまり、これは単なる宣戦布告。
「俺ぁな、カイよ。お前が転生したって話を聞いて、少しばかし嬉しかったんだぜ。こんな時期によ、最悪のタイミングで転生してきたのにな。じゃあなんで俺が喜んでたか、分かるかおい?」
「『血がたぎる』とでも言いたいのか?」
「おうよ」
リチャードが拳を握りしめる。その大柄な体ですら収まらないほどの莫大な魔力が、大気を震わせている。
「俺とお前、今、どっちがつえーか、すげー気になってたんだぜ」
「王国最強の将軍は俺だ。今更な話題だな」
「驕るんじゃねーよ。あれから何年たってると思ってやがる。俺はもうお前を超えたぜ」
「ああ……そうか」
リチャードが魔法の詠唱を始めた。詠唱省略を行うことのできる彼が言葉を紡ぐ魔法は……そうか。
いいだろう。戦いの合図にはもってこいだ。
応対する俺も、同様に詠唱を始め……完成させる。
「白蛇水神ミスト」
「赤火怪鳥ボールディン」
同時に詠唱を終え、魔法説物を召喚する。
〝ミストぉおおおおおおおおおっ! 会いたかったぜっ!〟
〝ふっ、相も変わらず下品な奴だ。主の知性が窺えるな〟
赤い鳥と水の蛇が、絡み合うように大空を突き抜けていった。
俺たちの戦いが……始まった。
読んでくださってありがとうございます。
エドワード、不幸な奴ですね。
クーデター起こしてから常に不幸の最前線にいる気がします。




