反乱軍の少女
――黒き巨大なる邪竜エミーリア。
千度星が回る時、北の大地より蘇る。
黄金の咆哮は大地を焼き、紫の吐息は生きとし生けるものを殺す。
強大なる力、三日三晩で世界を滅ぼす。
――白き慈愛の神アーク。
四日目の朝より生まれ、悪しき邪竜を滅ぼす。
十万の民を救い、人々に文明を与える。
世界は流転し、人々はまた千の時を過ごす。
これがこの世界で語られている、創世神話の序文。要するに邪竜が世界を滅ぼして、アークとかいう神が人類文明を創生する。それが千年おきに繰り返されている、とかいうおとぎ話らしい。
エミーリアには傘下の邪神たちがいる。その中には俺の名前や、かつての同僚であるリチャード将軍のような仲間たちも記されている。
気分の良くない物語だ。敗戦国の末路というのは、こうも哀れなのだろうか。
「カイ、見てください。人間たちが戦っているようです」
「本当か? 」
言われて見下ろすと、確かにそこでは針の穴よりも小さく見える人達が集団で動き回っていた。
「私の手柄ですね、えへん」
「手間が省けた、ありがとう」
「あとでレモンジュースを」
「この前みたいなことはないようにな……」
俺は戦場を俯瞰した。
「ダメだな、これは……」
かつて大将軍として戦争を指揮してきた経験から、俺は冷静な判断を下した。
すでに帝国の陣営が反乱軍を包囲している。反乱軍側には武器が散乱し、遠くには逃げ惑う兵士たちの姿が見えた。
高度が下がってきたので、改めて状況を把握する。
一部の反乱軍は、未だ武器を持ちながら懸命に戦っている。中でも目立って活躍しているのは、黒い髪の少女だった。
年齢はおそらく俺と同程度だろう。凛とした面持ちで、きつい視線を敵兵に浴びせている少女。
腰辺りまで伸び髪を揺らし、果敢にも敵陣に突っ込んでいく。
あの少女が、おそらくは反乱軍のリーダーなのだろう。一人で必死に剣を振り回しながら頑張っているが、どう見ても多勢に無勢。
「我が祖国の名を語っているんだ。敗北は許さないぞ……。テレーザっ!」
「はい」
俺たちは急降下を開始した。
少女、クラリッサは反乱軍の副リーダーである。
意志を共にする反乱軍を指揮し、これまでずっと戦ってきた。声を奮わせ、仲間たちを必死に鼓舞する。
だが、そんな勇猛可憐な少女にも、限界が訪れようとしていた。
「お嬢、もうダメだ。負けちまう。お嬢だけでも逃げ――」
「何言ってんのよっ! まだあたしたちは戦える。諦めちゃダメよっ! 最後まで頑張れば……きっと」
「ぐうっ!」
「ジェームズっ!」
側近のジェームズが肩を切られた。仲間を庇おうと前に出るクラリッサの前に、敵の無慈悲な斬撃が襲う。
「あ……」
剣を弾かれた。慌てて取りに行こうとした彼女であったが、その動きは敵兵によって防がれてしまう。
腕を掴まれ、男に抱き寄せられた。必死に逃げ出そうとするが、力に勝る向こう側に勝つことはできなかった。
「くくくっ、こいつはとんだ上玉だぜ。俺たちにもツキが向いてきたな」
「殺しても殺さなくてもいいって話だ。将軍様に話をして、俺専用の奴隷にしてもらおう」
「おいおい、俺にも貸してくれよ? な? な?」
わらわらと物珍し気に群がってくる男たち。その臭く気持ち悪い息に、クラリッサは吐き気すら覚えていた。
「ひっ、さ、触らないでっ!」
「かわいいねぇ、さっきまで俺たちの仲間を殺しまくってたとは思えねーな。ひっひっひっひっ」
下品な笑い声に、クラリッサの嫌悪感はさらに増していった。
「…………助けてよ、お兄ちゃん」
クラリッサは己の悲壮な運命を覚悟し、両目を瞑った。
――が、その瞬間。
「なっ……」
敵味方双方、驚きのあまり固まってしまった。
誰も見たことがないような巨大な生物が、突如として天空から舞い降りたのだ。大地を揺るがすような騒音が辺りに響き渡る。
「何よ、あれ……」
クラリッサも、彼女を捕えようとしていた男たちも、そしてそれ以外の兵士たちも皆が沈黙した。ただ黙って、その生物を茫然と見つめている。
クラリッサは生き物の背中を見た。巨大な翼の上に、誰かが立っている。
「おい」
巨大な生き物の背中から飛び降りてきた少年は、呆気に取られて茫然としている敵兵の一人に剣を突き立てた。
「その程度か?」
兵士の一人が、恐怖に駆られ自らの剣を落とした。
「お前ら帝国の正規兵士だろ? 絶対防御盾は、超振動槍はどうした? それがお前らの最高装備か?」
「あ……絶対防御盾? 超振動槍? なんだそれは?」
「なんてことだ。五〇〇〇年以上の時がたち、これほど文明が衰退してるとは……」
現れた少年はわけの分からないことを言っている。しかしそんな彼の言葉に反応するものは誰もいない。誰もが、その巨大な生物に視線をくぎ付けにされていたからだ。
しかし、その奇妙な膠着状態は、やがて破られてしまう。
「静まれっ!」
兵士たちの奥から、一人の男がやってきた。純度の高い金属質の鎧を身に着け、マントを羽織ったその人物。
オールヴィ州総督より全権を委任された、反乱軍鎮圧部隊の将軍だ。
「お、落ち着け。その巨大な生き物はともかく、そこの男はただの人間だ。全員、その男を全力で捕えよっ! そして後ろの巨大な生き物を立ち去らせるように脅すのだっ!」
将軍の的確な指示に、一部の敵兵たちは冷静さを取り戻したらしい。獣のような声を上げながら、武器を片手に少年へと突撃していく。
少年は彼らの様子を見て、そっと手を動かした。
突如、巨大な水の塊が出現した。
「水流魔法レベル九、大洪水帝バーハラだ。溺れて死ね」
その水は、さながら意思を持つかのように人の形を象った。どこかの王侯貴族を思わせるその身なりは、まさしく皇帝といった出で立ちである。
巨大な人の姿を象った水の塊が、その手を広げ前に突き出した。するとその手のひらから、無限とも思えるような大量の水が出現し、周囲の岩石を巻き込み濁流となった。
不思議なことに、その濁流は反乱軍を一切巻き込むことなく、ちょうど鎮圧部隊のところだけに流れている。
さながら洪水のような濁流が、一瞬にして反乱軍鎮圧部隊を襲っていた。自然の猛威にすら勝るその威力に、歯向かえる者など誰もいない。
「大丈夫か?」
少年が手を差し出して来た。クラリッサは、とっさに彼の手を掴む。
「俺の名はカイ。お前たちを助けにきた」
「あ、ありがと……」
クラリッサは手を引っ張られ、立ち上がった。
「あ……あなたは一体……」
「邪神……?」
彼の名前を聞いた反乱軍の一人が、そう呟いた。確かに、カイという名前は創世神話に登場する邪神の一人である。
帝国の支配に逆らうため、クラリッサたち反乱軍は自らを『グリモア』と名乗った。これはかつて、邪竜エミーリアたちの勢力が属していた国の名前。旗もそれと同じものを用意している。
邪神の軍に、本物の邪神が現れた。反乱軍の人々は、そう思っているかもしれない。
「邪神カイ様が、我らを助けに来てくれたぞっ!」
「ああああああああああああああああ、邪神様ああああ、万歳! 邪神様万歳っ!」
「ちょ、ちょっと、あんたたち……」
クラリッサは冷静になるよう努めた。確かに自分たちは邪竜たちの名を語ったが、それは士気を上げたり大義名分を作るために他ならない。そもそもおとぎ話であるはずの創世神話を真に受けてしまう方がおかしいのだ。
農民反乱ということもあり、仲間たちの教育水準は必ずしも高いとは言えない。神話と現実の区別がついてすらいないのかもしれない。
誰かが、冷静に反乱を導かなければならない。そしてそれができるのは、今この場にいない兄を除いて自分だけだ。
喝さいを受けるカイの傍らで、クラリッサは彼に警戒の眼差しを向けていた。
読んでくださってありがとうございます。
区切りの都合上こういう形にしてしまいましたが、クラリッサ視点の話と主人公視点の話は分けたかった。
分かりにくいですからね。