アーク
バージニア州、上空。
五〇〇〇年の時を経ても変わらない、その地形。俺は何とも言えない気持ちを抱きながら、流れゆく大地の様子を眺めていた。
ずっと森が続いている。
小さな道が引かれている以外は、まったくの無人。一般の人々の侵入を禁止されたこの土地には、民家や店舗などはまったく存在しないようだ。
空を進むと、その小さな道の先に見えてきた巨大な建物。
グリモア王城。
かつての俺、そしてエミーリア様や仲間の将軍たちが住んでいた……居城。
転生前の記憶が、脳裏に沸き起こる。
転生魔法について大臣に告げられた玉座の間。
陛下とともに過ごした中庭。
風竜王とともに駆けた空の上。
かつての大切な思い出が、まるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。しかし、懐かしい記憶に浸っている暇はない。今の俺は、この世界を救わなければならないのだから。
テレーザに指示し、城の周囲を旋回してもらうことにした。周囲の様子を確認するためだ。
だが、外には誰もない。城の中には誰かが動いている気配があるものの、その周囲には人っ子一人いなかった。
中に入らなければならない。
そう決断して、改めて眼下を見下ろした俺は……気がついてしまった。
「なんてことだ……」
上空から眺める、城の四角い形を見て……俺は。
「カイ、あれ……」
クラリッサも同じことに気がついたらしい。上空から見下ろしたグリモア王城の形は――
「アーク教団の、シンボルマークじゃないか」
アーク教団がシンボルとしている四角い紋様。それはまさに、上空から見たグリモア王城の形そのものだった。
ずっと、答えは俺の中にあったんだ。
城の入り口に降り立った俺たちは、中へと入ることにした。
閉ざされた扉を手で開ける。錠のようなものはかけられていなかった。
その内部。
城のエントランスはかなり広大な空間になっている。周囲には丁寧に模様の彫刻された柱、高級なカーテン。正面には巨大な階段がある。
大昔は見張りの兵士たちが立っているだけだったが、今は人でごった返している。これが……アーク教団の言葉を信じこの地に避難してきた人々か。
戦時中は籠城戦すらも覚悟していたほどの城だ。外からの物理的、あるいは魔法的な攻撃を完全に防ぐだけの機能がある。なるほど、確かに避難場所としてはうってつけだ。
もっとも、いくら何でも十万人を収容するのは不可能だ。もし本当にそれだけの人数を集めているのなら、別の場所も用意されているのかもしれない。
だが、この城は地下室を含めるなら、四万人程度なら収容できるだろう。
招かれざる客である俺たちだが、周囲の人々は気にもとめていない。これだけ人数が多いのだから、他人の一人や二人気がつかないのだろう。
俺の後ろにいたエドワードが、慌てて前に出た。
「あれはツヴァイク州司教、あの男はリディア州の大臣、み、みんな……どうしてこんなところに……」
エドワードは驚愕に震えていた。ここに避難している人々の多くが、政務上で彼と顔を合わせている人々らしい。
「あれはグランヴァール州の司教だな。私の顔見知りだった奴も何人かいるぞ」
次いでパティが応える。どうやら、全国各地から教団関係者や高級官僚が集まっているらしい。
よくよく見てみれば、俺がオールヴィ州から追い出した司教枢機卿とやらもいるじゃないか。
あまり気持ちの良くない話だ。身分の高い人間だけが、こうしてうまく逃げ出すことができているなんて……。
「お……おお、エドワードよ、パティも」
群衆をかき分け、一人の男がやってきた。頭髪のほとんど抜け落ちた頭に、皺を刻んだその姿。一見すると弱々しい老人に見えるが、その動きは王侯貴族のそれに倣い風格を備えている。
「そうか、お前たちも選ばれたのだな。余は嬉しいぞ。こうして親子で生き残ることができた。素晴らしいことだ」
「ち、父上っ! やっぱりここにいたんだね……」
エドワードの父親。ということは、この男がマキナマキア帝国皇帝のローレンスか。
帝都で堂々と会談をするつもりだったのに、まさかこのグリモア王城で出会うことになるとはな……。夢にも思わなかった。
「こ、ここはどこなの父上? バージニア州はアーク教団の聖地で、こんな建物があるなんて話は聞いたことがないよ」
「エドワードよ」
応える皇帝は、エドワードの慌てぶりとは裏腹に冷静そのものだ。子を諭す親のように、優しく……そして自信に満ち溢れている。
「ここが……箱舟なのだ」
と、彼は言った。弱々しい体を持つ老人ではるが、この時ばかりはさながら歴戦の兵士のような凄みを持った声だった。
エドワード、そしてパティはその言葉を聞き固まっていた。平時であれば混乱した皇帝の妄言と切り捨てられただろうが、今、この状態では聞き捨てならないセリフなのだ。
「ち……父上、何を言っているの? アークは、神の名前じゃないの?」
「アークとはもともと民を救うための箱舟を示す言葉。神に選ばれし我々は、人が滅ぼされた次の世を生きる権利を与えられている。……神は、我々を見捨てなかったのだエドワードよ」
「何を……」
と、いろいろ反論しそうになっていたエドワードを下がらせ、俺が前に出る。
皇帝ローレンス。
親子で話が盛り上がっているところを悪いが、俺は彼に話をしなければならない。
「お前が……皇帝か?」
「エドワード、この男は誰だ?」
初対面の男にお前扱いされ、皇帝は困惑しているらしい。
「彼は邪神カイ。僕たち帝国に反旗を翻し、そして今や世界のすべてを治めることとなった王国の主だよ」
と、エドワードが父親に教える。
「おお……おおおおお……」
俺の姿をとらえ、驚きに身を固めた皇帝は……すぐさま俺に頭を下げたのだった。
……なんだ、これ?
教団に心を傾け、帝国を支配していたはずの男が……俺に頭を下げている? なぜ、こんなことが起こってるんだ?
この男は、俺を恨んではいないのか?
「すべて天使長様から聞いております、カイ様。余が、そして息子が働いた数々の無礼を、どうかお許しいただきたい」
「許す? ど……どういう意味だ? 俺はお前たちに反乱して、教団の関係者を迫害したんだぞ。恨まれこそすれ、謝られることなんかしていない。お、お前が何を言っているのか……俺にはまったく分からないっ!」
「天使長様、カイ殿はこちらです」
と、ローレンスが声を張り上げた。すると、奥の方から誰かがやってきた。
その姿を見て……俺は。
て、天使長? こいつが……天使長だと? そんな……馬鹿な……何かの間違えだ……。こんな……ことが……。
ゆっくりと現れたその男は、あごひげを撫でながら笑っている。
「よぉ、カイ。久しぶりだなぁおい。元気してたか? って、転生したてのお前さんに『元気してたか?』、なんて意味わかんねー質問だな。へへっ」
「り……リチャード将軍」
火炎将軍、リチャード。かつてグリモア王国で俺と双璧をなした将軍だ。
赤い翼をその背に抱いた彼が、悠然とこちらに歩み寄ってきたのだった。
読んでくださってありがとうございます。
グリモア王城がアーク教団のシンボルマーク。
これ、もっと伏線的なものを入れておけばよかったと後悔してます。
カイが『このマーク、どこかで……』みたいな感じで考えるシーンがあれば、もっとそれっぽくいったのではないかと。
結局、それを示唆するシーンは空中レースの時だけになってしまいました。




