黒き巨大なる邪竜エミーリア
「あんたっ、すげーよ。一人で盗賊団倒しちまうんだ。ははっ、どんだけつえーんだよっ!」
冒険者ギルドは大騒ぎになっていた。ただ一人で盗賊団を撃退した俺の実力は、この町でだいぶ評判になってしまったらしい。
今も、名も知らない冒険者たちから、入れ替わるように褒め言葉をもらっている。
「俺の力だけじゃない。他のみんなが頑張ってくれたから、勝利できたんだ」
「いいやつだな、お前。いいぜいいぜ、俺の報酬全部お前にやるよ」
「なっ、何言ってるんだ? そんなの貰えない」
「僕も僕も、全部やるよ」
などとわいわい騒いでいたところに、第三者の声が割りこむ。
「おいおい、なんだその新入り坊主は。ほら吹きか何かかよ?」
一人の男が、喝采を受ける俺に酒瓶を投げてきた。騒いでいた他の冒険者たちが、一斉に静まりかえる。
「そいつは何もしてないぜ。あの盗賊団のボスを倒したのは、俺たちのチームっすよ? なあ、みんな」
ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべるハゲ戦士共が、一斉に頷いた。
なんだこいつら?
こいつら、俺が最初にこのギルドに来た時もあそこに座っていたはずだ。しかも顔を赤めながら酒を飲んでいる。さっきの防衛戦でも顔を見ることはなかった。
ここにずっと居座っていて何もしてなかったことは、火を見るより明らかだ。
「よくわからないんだが、あんたたちはあの防衛戦に参加してたのか? 俺が倒した奴以外に、もっと偉いボスがいたのか?」
「誰かこの新入りに教えてやれよっ! こいつ、何も分かってねーみてーっすからね」
「お……おい……あんた……」
と、周りにいた冒険者が何やら説明をしようとしていたちょうどその時、この建物に新たな人物が来訪した。
その男は、とても目立つ服を着ていた。
おそらくは礼服か何かだろう、絹の白生地にいくつもの宝石がちりばめられた衣服を身に着けた、壮年の男性だ。
「アーク教団のお偉いさんだ」
誰かがぼそっと呟いた。
アーク教団? 何だそれは?
俺の知らない宗教だ。五〇〇〇年以上も時が流れれば、知らない宗教の一つや二つできてしまうか。
先ほどまで俺に難癖付けていた戦士風の男が、急に気持ちの悪い笑みを浮かべながら訪問者にすり寄っていった。
「へ、へへ、司教枢機卿様。お見苦しいところを見せました。今、ちょっと言い争いをしてまして。上納金の方は後で――」
「良いのです、良いのです。私も先程の話を聞いていました」
司教枢機卿を名乗る男性は、四角いシンボルマークの描かれた杖を叩きながら、俺の方を向いた。
「我らが神アークは、すべての生きとし生けるものの努力と苦しみを理解しています。教皇にして皇帝たるローレンス聖下の名の下に、オールヴィ州司教枢機卿であるこの私が認めます。彼らは神の下に働き、見事盗賊団を撃退しました」
手で四角を描くようにして切ったのは、この教団独特の仕草なのだろうか。
司教枢機卿の言葉に従い、ギルドの受付嬢が戦士風の男たちに報酬を持ってきた。
あれは、盗賊団のボスを倒した相手にもらえると確約されていた報酬じゃないか。あの男がそう言っただけで、全部話が通ってしまったぞ?
「……そのアークってやつは目がおかしいんじゃないのか? その男たちは全く働いてなかっただろ? なんで手柄を独り占めにしてるんだ?」
俺は文句を言ってしまった。
俺だけが無視されるならまだいい。でも、俺があの場に着く前から、必死に戦って傷つき……そして倒れていった兵士や冒険者もいるんだ。そいつらを差し置いて、この男たちの手柄にするなんて、俺には納得がいかなかった。
「貴様っ! 神の声に逆らうと言うのか? 怪しい奴め、名を名乗れっ!」
「俺の名はカイ。つい最近この町にたどり着いた旅人だ」
「カイ?」
名前を名乗った瞬間、この場にいる全員に緊張が走った。
なんだ? 俺の名前は何か特殊なのか?
「黒き邪竜エミーリアの使徒を語るか。これは立派な内乱罪であるな。誰か、この者を牢に――」
「今、何て言った?」
俺は司教枢機卿の胸倉を掴み上げていた。
エミーリア。
我が女王陛下の名を、この男は確かに口にしたのだ。
「邪竜エミーリア? なんだそいつは?」
「き、貴様、この手は何だ? 私は司教枢機卿であるぞ! 次期皇帝選出にも口添えでき、現皇帝聖下にも覚えが――」
「黙れ」
俺は握力を強めていった。久方ぶりに祖国に関係する単語を聞き、頭に血が上っていたのかもしれない。
「い、田舎者めがっ! 私を知らないのか? 誰か、この男を止めて――」
氷結魔法レベル二。
男の服が徐々に凍っていく。怒りを抑えられない俺が、つい魔法を使ってしまったのだ。
「ひぃっ、き、貴様、〈邪法使い〉なのか? わ、私の体が……凍って……」
「いいから質問に答えろ? 俺の名前が何だ? エミーリアとは何だ?」
「か、カイというのは邪竜エミーリアの使徒であり、こ……この世界における邪神の名だ。アーク教における悪の親玉、それがエミーリアだ。こ、このありがたい聖書にすべて記されている」
女王陛下の名が……邪竜だと?
なんだ……その宗教は? なんて……なんてことを……。
震える男が、懐から聖書らしき本を取り出した。俺はそれを受け取っておく。
「わ、分かった。名前が偶然一致していたというだけなら謝罪しよう。だ、だからこの手を放して……」
「…………」
俺は司教枢機卿とやらの胸倉から手を放した。腰を抜かした男は、立ち上がろうともせず上半身だけを使って俺から体を遠ざけた。
距離を取れて強気になったのか、司教枢機卿は声を荒げた。
「捕えろっ! この男を捕えるのだっ! これは司教枢機卿としての命令であるっ!」
と、こりもせずに周囲に命令する。もっと締め上げてやった方が良かったのか?
まず最初に、俺に文句を付けていたハゲ戦士たちが武器を取った。
「へへ、悪く思うなよ坊主。空気読んで報酬を辞退してれば、こんなことにならなかったっすよ」
身構える俺であったが、敵はそいつらだけではなかった。背後に気配を感じ、振り返る。
さっき、俺に報酬を渡すと言っていた冒険者が武器を持っていた。
「す、すまねえな兄ちゃん。司教枢機卿様には……逆らえねぇんだわ」
「お、俺たちも自分の命が大事なんだ。すまねぇ、本当に許してくれ」
気が付けば、この冒険者ギルドに誰一人味方がいなくなっていた。中には俺によって命を救われた奴すらもいる。
そうか、この枢機卿に逆らっただけで死刑になるかもしれない、そんな世界なのか。
「…………」
幾ばくかの沈黙。
そうか。
よく分かった。
ああ……よく分かった。
ここは……なんて清々しい屑世界なんだ。
「く、くくく、くっ」
気がつけば、俺は笑っていた。
「テレーザ。竜の姿に戻れ」
「良いのですか? カイ? そんなことをすれば、この建物は」
「もう気を使う必要はない。俺の王国は……もう滅んだんだから」
「主の命令には従います」
瞬間、テレーザの姿が光り輝き、その真の姿を現した。
その青き巨体がこの建物を吹き飛ばした。
「…………」
俺を取り囲んでいた誰もが、沈黙していた。人間、予想外過ぎる事態に遭遇した時は、悲鳴すらも出せないのだろう。
やがて、徐々に目の前の現象が理解され始めそして――
「ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
司教枢機卿は、先程俺に胸倉を掴まれた時以上に悲鳴を上げた。
「何なんだ、何なんだあれは?」
「こ、こんなデカイ生き物、今まで見たことねぇよっ!」
「あああああ、アーク神よ、我らを御守りくださいっ!」
もはや俺を捕えるなどといった状況ではない。ここにいる冒険者たちは、猛獣を前にして怯えている烏合の衆に過ぎなかった。
どうやら、こいつらはドラゴンを召喚してないとそういう以前に、その存在自体がないものだと思っているらしい。
「カイ、どうしますか? こいつらをブレスで薙ぎ払いますか?」
テレーザの声が聞こえた。
俺は風魔法を使い、テレーザの背中へと跳躍した。水色の鱗に手をかける。
「もうここには用はない。移動しよう」
「分かりました」
テレーザがその巨大な翼をはためかせ、大地から遠ざかっていた。司教枢機卿や冒険者たちの姿が、豆粒ほどになっていく。
「カイ、どちらに行きますか?」
「南だ、街道沿いに南へ行くぞ」
俺は思いだす。最初にこのギルドへとやってきたとき、張ってあったポスターのことだ。
南の方で起こったらしい反乱。あそこに記されていた反乱農民たちの旗は、俺たちの王国の旗だった。
今は亡き女王陛下を乏しめ、我が祖国を侮辱するこの教団。そしてその腐った宗教を許容し、この世界を支配しているマキナマキア帝国。
腐っている。
五〇〇〇年以上の時を経て、俺は目標を見失っていた。祖国を失い、大切な女王陛下に先立たれ、何をしていいのか……分からなかった。
だが今、俺には明確な敵が見えた。歪んだ歴史を吹聴する教団と、それに支配される哀れな民。
歴史は正されなければならない。
祖国の名誉は俺が守る。
俺がこの世界の歴史を正してみせるっ!
読んでくださってありがとうございます。
ここで目標提示
ちょっと遅すぎましたかね。