天使長
皇帝、ローレンスは祈っていた。
ここは『祈りの部屋』と呼ばれる彼の部屋。皇帝はこの狭い部屋の中で、何日も何日もただひたすらに叫び声をあげていた。
「神よおおおおおおおおお、天使よおおおおおおおおおおおっ!」
すでにエドワード新皇帝がグリモア王国に降伏したため、彼が命令していた幽閉状態は解かれている。しかしそれでもなおローレンスがこの部屋に留まっているのは、ひとえに日課とも言える神や天使への祈りを捧げるため。
いつもの祈り。民の、あるいは側近たちの嘲笑を受けていた行動。それはいつも徒労に終わってしまう、愚かな行い。
そう周囲の人間は思っていたことだろう。現に、これまでずっと無駄だったのだから。
だが、今日は違った。
「お……おおおお……」
眼前の光景に、ローレンスは感動のあまり肩を震わせた。窓の外、バルコニーの外に現れた人影。
天使。
太陽の光を背に、神々しくも荘厳な出で立ちでこの地に降臨した。
ローレンスは知っている。神――すなわちアーク神が実在の人物であり、彼の配下である天使もまた存在することを。
だが古代の神話とは往々にして歪められるものだ。その原因は人々の願望、あるいは宗教を広める上での分かりやすさや物語性、加えるなら訳者の間違えなどなど様々。
宗教画家はアーク神や天使たちを、神々しく中性的に書くきらいがある。しかし今、ローレンスの目の前に現れた天使は明らかに男性だ。
武人らしき無骨な鎧と大剣を身に着けた男性。体は大きく、そしてあごひげを生やしている。
そして、なんといっても特徴的なのはその背に生えた翼だろう。血のように赤く光るそれを羽ばたかせながら、ゆっくりとこちらに降りてくる。
「よっ」
気さくな声。敬虔なアーク教信徒であるならば、天使のその振る舞いにひどく失望していたかもしれない。
「天使長様! お、お……お懐かしい限りです」
「ん、あー、二十年ぶりだったか? あの時は……確か帝都で反乱おきて、お前が助けを求めてたんだったな?」
ローレンスは思い出した。
二十年前、当時の帝国で大きな反乱が起こった。城で起こったその反乱のせいで、皇后が殺されてしまったのだ。
天使たちは帝都に常駐しているわけではない。彼らがこの城に通りかかったとき、少しでもこうして対話できる可能性を上げるため……ローレンスはずっと『祈り』と称して呼びかけていたのだ。
二〇年前も天使と接触することには成功したが、助けてもらえなかった。平和をうたう天使たちは、人間同士の争いへ介入を渋ることが多い。あの時もまた……その範疇をもれていなかった。
「悪ぃな、奥さん死んじまったんだっけか?」
確かに、その件に関して思うところがないわけではない。しかし今は、それ以上に話をしなければならないことがある。
「お、お助け下さい天使長様! 余の帝国が……反乱で滅びようとしているのですっ!」
邪神を名乗るカイという男が建てたグリモア王国。もはや帝国の三分の二が彼の手中に収まり、すぐにこの帝都も占領されてしまうだろう。
しかしそんな状況を知らないであろう天使は、盛大にため息をついた。
「お前さぁ、皇帝なんだろ? 自分で兵士を率いて倒してーとか思わねーの?」
「反乱軍の〈邪法使い〉はあまりに強く、もはや軍隊同士の戦いでは勝ち目がありません。神に連なるあの力……竜装機兵をいただけるのなら、帝国に降りかかるあらゆる災厄を防げますっ!」
「ま、そりゃそーだわな」
皇帝は知っている。
竜装機兵の威力を、その力を。
五〇年前、オールヴィ州の異民族が強力な邪法を使い、帝国に反旗を翻した。彼らはその力をもって帝都すらも攻略しようと思っていたらしい。
しかし、その事件は未然に防がれた。
先帝、すなわちローレンスの父親が天使と交渉し、竜装機兵を派遣したのだ。
当時皇子であったローレンスは、『その力をよくよく見ておくように』と父親に言われ、近しい教団幹部たちを引き連れ遠くからその様子を眺めていた。
竜装機兵が異民族を壊滅させる様を、目の当たりにした。
その力、圧倒的。炎のブレスによって焼かれた大地には、一人として生き残りなど存在しなかった。巨大な水の皇帝を操る〈邪法使い〉も、まったく話にならないほどの力でしかない。
ローレンスは恐怖し、そして理解した。
この世界を真に支配する者が……誰であるかを。
神や天使がこの世界を支配していると知っている者は、数少ない。年配の枢機卿三人と、皇帝であるローレンスのみだ。いずれも五〇年前の竜装機兵派遣にかかわった者たちである。
「あまり人間同士の争いに干渉したくねーんだわ。それにお前はよぉ、『選ばれて』るわけじゃん。今更この帝国がどーとか、民がどーとか、そういうの関係ねぇだろ?」
「余は帝国皇帝なのです。たとえ無関係になるといえども、みすみす帝国を見捨てることなどできませんっ!」
「まじめだねぇ、お前。そーいうところだけは、なんか君主っぽくていい感じだぜ」
天使長が笑う。
「いいぜ、確かに帝国が滅びるってのはよくねぇな」
「おお……それでは」
瞬間、天使長が鋭い視線で皇帝を射抜いた。その眼光に、ローレンスは思わず鳥肌がたってしまう。
「皇帝、ローレンスよ。天使が長、天使長が命じるぜ」
威厳ある声。それはこの世界を支配する者にふさわしく、思わず平伏してしまいたくなってしまうような貫禄を備えていた。
「運命の時は来た。選ばれし者たちを連れ、バージニア州に来い」
「ははっ」
皇帝であるにも関わらず、ローレンスは腰を落とし臣下の礼をとった。
天使長は腰に掛けた剣を抜いた。剣先からは、幾重にも重ねられた複雑かつ壮大な魔法陣が展開していく。
魔法陣の中央に記載された内容を、ローレンスは茫然としながら見つめていた。
心央内燃機関:正常起動。
翼部ジェット装置:正常起動。
コーティングスケイル:異常なし。
胸部強化肺:異常なし
光学レンズ:異常なし
自動索敵センサー:オン。
リミッター解除。
モード:ジェノサイド。
「起動しろ、竜装機兵!」
しばらくしてローレンスは見た。遥か天空を貫く一条の光を。否、それは高速で雲を貫く飛行物体だった。
金属光沢を放つ、その巨体。五〇年前、未だ鮮明に頭に焼き付いているその記憶と……重なる。
竜装機兵。
「か、感謝します天使長様。これであの邪神カイを名乗る反乱軍を……倒せます。これで余は、安心して次の時代を……」
「…………」
一瞬、天使長の目が光った……ような気がした。腰を落とし、臣下の礼をとっているローレンスは声をかけることを躊躇する。
「へへっ、少しサービスしといてやるぜ。感謝しな」
「……? 何の話ですか?」
「お前は何も気にしなくていいぜ。こっちの問題だ」
こうして、竜装機兵は出現した。
かつて帝国を滅ぼした最悪の兵器が、今、カイ率いる新生グリモア王国軍のもとへと……出陣したのだった。
読んでくださってありがとうございます。
ここからが竜装機兵編になります。
物語的には後半。
これと次のやつと最後ちょっとエピローグ的な章を挟んで完結予定になります。
ほんと、気合入れて書く予定です。




