帝国の古代遺産
セレスティア州近郊、古代遺跡にて。
新皇帝エドワードは、ずっとこの場所で発掘作業に携わっていた。
掘り返した遺構は深さ二〇メートルを超えている。太陽の光すら届かない暗く蒸し暑いその場所で、ただただ労働者たちが土を運ぶのを眺めていた。
すべては邪神に勝つため。常識外の力に勝つためには、こちらもまたギャンブルに近い荒技を使う必要がある。
だが――
「くっ……」
エドワードは苛立たし気に土の壁を叩いた。
確かに、遺跡にはいくつかの遺産が存在した。パティが装備しているものと同じ神盾が三つ、神槍が四つ。平時の戦争であるならば、これだけで十分勝利を引き出せただろう。
だが足りない。兵士が装備できるような武具で邪神を倒せるなら、姫総督がすでに勝利していただろう。もっと圧倒的で絶対的な力が……必要だったのだ。
「僕は……賭けに負けてしまったのかな?」
エドワードは天を仰いだ。かさかさと乾いた土の壁が、ろうそくの明かりに照らされゆらゆらと揺れているように見える。まるでそのまま天井が落ちてくるかのような錯覚を覚えながら、しかしそのまま押しつぶされて死んでしまってもいいかなと思ってしまう。
すでに、エドワードのことを『土いじり皇帝』と揶揄する一部の国民が現れている。陣頭で果敢に指揮を執り捕らわれたパティと違い、引きこもって土を掘り返している新皇帝はひどく滑稽に見えるらしい。それでもさしたる反乱が起こらないのは、前皇帝に比べ遥かにましだと思われているからだろう。
「ごめん、母さん……」
労働者たちをぼんやりと眺めながら、独り言を呟いた……その瞬間。
「くっくっくっ」
背後から声が聞こえた。はっとして振り返ると、そこには一人の大男が立っていた。
キツネの面を身に着けた彼は、リディア州総督……だった男、ハワードだ。今は行方不明という報告を受けている。
エドワードは狼狽した。この遺跡には厳重な警戒が敷かれていたはずだ。たとえ州総督であろうとも、安易に中に入ることはできないはず。面会を求めるならその報告が来ていてしかるべきなのに。
「生前に墓穴を掘るとは、新皇帝はずいぶんと気が早いな。父親よりも早くこの墓に収まるつもりか?」
「ハワード……っ! 僕を笑いに来たのか? 笑いたければ笑うがいい。お前の言うように、ここが僕の墓穴になってしまうのかもしれない」
「いいや皇子、お前は正しいぞ」
「……?」
エドワードは意表を突かれた。皇帝の絶大な信頼を受けているこの男が、まさか自分に同意するとは思っていなかったのだ。
「お前は何も間違えていない。強力な魔法使いを倒すことは、今の技術では不可能に近い。古代遺産に頼るお前のやり方は、もっとも理に適っている」
「……気持ち悪いね。そこまで理解してるなんて」
意外にも、ハワードはエドワードの行動を正しく理解しているらしい。
「正しいが周囲に理解されない、お前は本当に……父親にそっくりだ」
「あの男と僕が似ている? ふざけないでくれ! 僕はあんな精神不安定で叫んでいる男とは違って、本当にこの国のことを考えているんだ!」
エドワードは不快でしかたなかった。あの愚かな父と同列に扱われたことは、決して許されはしない。
「くっくっくっ、だが皇子。お前の行いは無駄ではなかったのだ。お前はしっかりと、必要なものを掘り当てた」
「……?」
「喜べ皇子。お前は掘り当てたのだ。俺の心をな」
「は?」
「お前の熱意に心打たれたこの俺が、戦争に協力してやろうというのだ。感謝しろ」
エドワードは考える。
確かに、リディア州が味方になってくれるのは心強い。常備軍は四千で、あまり精強ではないものの数のうちに入る。
しかし、それだけだ。リディア州は特段に強い力を持っているわけではない。グランヴァール州兵を倒してしまったあの邪神に勝てるとは思えない。
もはや兵数の問題ではないのだ。
見当違いの申し出を受け、いくばくかエドワードの心に余裕が戻ってきた。
「あっはっはっ、いやーハワード総督。嬉しいよ。リディア州の兵が加われば、あの邪神を倒すことも夢じゃない。僕たち二人が――」
「皇子、お前は馬鹿か?」
「……なっ!」
本当に、この男を相手にしていると冷静さを失ってしまう。エドワードは心をかき乱されるのを感じていた。
「じゃあどうしろって言うんだ! 君一人で邪神と竜を倒すとでもいうのか!」
「…………」
無言のまま、ハワードはその仮面に手をかけ……外した。
その素顔。
エドワードは血の気が引いてしまった。
そこには、顔がなかった。
否、確かに顔という部位は存在するが、人間のそれではなかった。目の位置には、まるで水晶のような透明なガラス玉がはめ込まれている。そこには虹彩や瞳孔といった構造は存在しない。
皮膚は金属光沢を持つ物質で覆われ、血どころか水すらも通っているようには見えない。凹凸がやや人間らしい顔つきに似せているものの、その姿は不気味ですらあった。
エドワードは確信した。この男は人間でないどころか、生き物ですらない。
「俺は人間ではない」
ハワードがそっと仮面を戻した。
「俺はマキナマキア帝国により五〇〇〇年前に生み出された戦略級兵器、自立稼働型竜騎兵D六六〇〇。お前が今血眼になって探し求めている機工帝国の古代遺産、それが俺だ」
「君が……古代遺産?」
「五〇〇〇年前の大戦では、敵国の将軍七人を血祭りにあげ、五人を捕虜として連れ帰った。二〇年続くと言われていたあの激戦を十年に縮めたと言わしめた兵器、それが俺だ」
「……?」
エドワードは沈黙した。五〇〇〇年前の大戦と言われても、何のことだか全くわからないからだ。
狼狽えているエドワードを見て、ハワードは薄く笑い声をあげた。
「ふっ、お前は知らなくていいことだ。忘れろ」
「と、とにかく僕に協力してくれるということでいいんだよね? そして君なら、邪神が倒せると」
「その通りだ」
願ってもない事態だ。古代遺産の力を借りれば、常識外の邪神の力に対抗できるかもしれない。
だが、一つだけ気にあることがある。
「分からない。どうして君は僕に協力するんだ? ローレンス前皇帝に忠誠を誓っているんじゃないのか? 僕はあの男を幽閉しているんだぞ。憎くはないのか?」
「皇帝は俺にとっての主ではない。目的を共有する駒、といったところか」
どうやら、皇帝がハワードを信頼しているほどに、彼は皇帝を信頼していないらしい。
「俺が体はアーク神様のためにある。お前も本当の意味で皇帝になれば、すべてを……。いや、お前には関係のない話であったな」
ハワードはエドワードの手を掴んだ。
「さあ皇子、行くぞ。終末の日は近い。最後に一花咲かせてやろうではないか」
そう言って、ハワードが飛んだ。
「は?」
飛んでいる。宙を。
ハワードの足からは、まるで魔法のように炎が噴射し、その推進力で彼の体は宙に浮いているらしい。手を握られたエドワードは、体を引きずられたまま一緒に進んでいく。
エドワードは何もできなかった。恐怖で頭がおかしくなってしまいそうだった。遺跡を抜け、セレスティア州の空へと上がり、そして――
セレスティア州遺跡から飛び立ったハワードとエドワードは、南――カイが布陣する軍団を目指して飛んで行ったのだった。
読んでくださってありがとうございます。
ここからが古代遺産編になります。
だんだん物語の核心に近づいています。




