5000年前の昔話
グランヴァール州はグリモア王国の領土となった。
俺がこの州に対して求めたことは少ない。教団への献金を取りやめ、奴らを追い出すことだけだ。他の細かいことに干渉して、反感を買ってしまっては良くないと考えたのだ。その寛容さが評価されたのか、領土併合はほぼ問題なく進んでいった。
必要な用事はすべて済んだ。明日にはパティたちを連れて、テレーザに乗ってオールヴィ州へ帰る予定だ。
だがその前に、俺は単身で魔王城へとやってきていた。
「よ」
「パパっ!」
風魔法によって空を飛び、魔王ちゃんがいる玉座の間へと着地する。ここは吹き抜けの構造になっているため、外からの侵入が楽で助かる。
魔王ちゃんは銀髪を揺らしながら俺に駆け寄ってきた。周囲には他に誰もいない。
「明日帰るなら、別れの挨拶をと思ってな」
「え、パパ。遠くに住んでるの?」
おっと、その話もしてなかったな。国王だとは伝えたが。
俺は魔王ちゃんに近状を説明した。転生したこと、今は遠くの州に住んでいること、現在戦争中であることなどなど。
「ええー、ヤダヤダ。パパ、ずっとここにいてよ」
「俺も自分の国のことがあるからな。魔王ちゃんだって仲間を捨ててどっかに行ったりできないだろ?」
「ううぅー」
子供のように駄々をこねる彼女を諭す。
「実は今日、別れの挨拶ってのもあったんだけど、一つだけどうしても聞きたいことがあってな」
「え、何?」
「……聞かせてくれないか。エミーリア様の最後を」
そう。
この子は知っているんだ。転生前の俺が生み出し、五〇〇〇年の時を生きた魔法生物。それが魔王ちゃんなのだから。
俺が転生した後の世界を知る、今は唯一の生き証人だろう。俺のいなくなった旧グリモア王国で、いったい何が起こったのか?
「知らない」
「……? 知らないのか? あの城で、戦争が終わるまで暮らしてたんじゃないのか?」
「えっとね、パパがいなくなって一年ぐらいした後かな。ママにね、言われたの。『遠くに行け』って。わけが分からないままに、追い出されちゃったの」
「…………」
そうか。
戦火が王都に広がるのを見越して、エミーリア様はこの子を逃がしたんだ。あの優しい女王陛下のことだ。戦争の末期までこの子を道連れにすることなんてありえない。
「あたしは必死になって逃げたの。周りは燃えてて、竜の死体がいっぱいあった。怖くて怖くて、それで逃げなきゃって思って……」
内地に竜の死体。
そこまで戦争は進んでしまっていたのか。二十年で国が滅亡、と魔法演算士たちは予想していたはずだが、あまりにも早すぎる。何か計算違いのことがあったんだろうか。
「そうか……」
俺は肝心な時に、あのお方の傍にいることができなかったのか。こんなことなら、転生するんじゃなかった。
「俺は……何でこんな時代に転生しちゃったんだろうな。もっと早く生まれていれば、エミーリア様を助けることができたはずなのに……」
「……パパ、ごめんね。あたしもあの時、逃げ出さなければ……」
「いや、魔王ちゃんは悪くないよ」
別に彼女を詰るつもりはない。
「知ってるか? 今、エミーリア様は邪竜なんて呼ばれてるんだぞ。一〇〇〇年に一度世界を滅ぼすなんてふざけた神話ができてて、その悪玉として馬鹿にされてるんだ。許されるのかそんなことがっ! 俺は絶対に許さない。あの腐った嘘神話を正して、この世界から邪竜エミーリアなんて言葉をなくして――」
「え……世界は滅んでるよ?」
「は?」
瞬間、抜き抜けの部屋に一陣の風が吹いた。マントを揺らすその風に、俺は思わず鳥肌を覚えてしまう
俺は……固まっていた。
世界が滅んでいる?
「エヴァンスっ! エヴァンスはおらぬかっ」
と、魔王ちゃんはいきなり威厳ある声で周囲に語り掛けた。すると、正面の巨大な扉が開かれ、魔王生物ちゃんが現れる。
「はっ」
傅く魔法生物。眼鏡をかけているから少し賢そうに見える。
「人間よ、この者は魔族の歴史にかかわる書物を管理しておる学者だ。何なりと聞くがよい」
魔族の歴史? そんなものを聞いてどうするんだ?
いや……。
「今から約一〇〇〇年前に世界が滅ぼされたというのは本当か?」
「申し上げます。今から九九九年前、その前は一九九九年前、さらにその前は三〇〇二年前、巨大な黒い竜が現れました。雷の咆哮により都市の建造物を壊し、毒のブレスにより人間を死滅させました」
「……嘘だろ?」
微妙に誤差はあるものの、約一〇〇〇年周期で事が起こっているということになる。世界滅亡、というのは言い過ぎであるが、かなりのレベルの災厄だ。
「じゃあ……創世神話みたいに、人類が滅ぼされてるって言うのかっ!」
「いえ、巨大な竜は発達した都市を狙い攻撃をしかけます。おそらく人間が絶滅するには至っていないでしょう。ただし相当数が殺されているはずです。我々はあまり人間には干渉しないため、正確な数は把握していませんが」
「もう十分だ。ありがとう」
頭がくらくらした。俺は創世神話を思い出す。
黒き巨大なる邪竜エミーリア。
千度星が回る時、北の大地より蘇る。
その黄金の咆哮は大地を焼き、その紫の吐息は生きとし生けるものを殺す。
強大なる力、三日三晩で世界を滅ぼす。
白き慈愛の神アーク。
四日目の朝より生まれ、悪しき邪竜を滅ぼす。
十万の民を救い、人々に文明を与える。
世界は流転し、人々はまた千の時を過ごす。
俺は嘘に塗り固めれた神話を正すつもりだった。一〇〇〇年に一度世界が滅ぶなんて、新興宗教にありがちな終末神話だと思ってた。エミーリア様の名前が付けられていたから、信じられなかったというのもある。
だがあの神話が……真実であるとしたら? いやだとすると、慈愛の神アークとは何者なんだ?
学者の魔法生物はいなくなり、再び魔王ちゃんと二人きりになる。
「この城の周り、毒の沼だったでしょ? あれ、あの竜が吐いていったんだよ」
「確かに、毒の沼があったな。魔王ちゃんが魔族を演出するために作ったのだとばかり……」
「本当は一年ぐらいで消えちゃう毒なんだけど、あたしたちが人間からこの城を守るために残しておいたの。あたしたちは魔法への抵抗があるから、毒のブレスを受けても死なない。でも魔法が使えない人間は……ううん、あまり魔法抵抗が得意でない人間なら、間違えなく死んじゃう」
確かに、あの毒沼は少し危険だった。パティたちと一緒にこの城へやってきたときも、毒沼には触れないよう細心の注意を払って進んだ。魔法生物が好意的に対応してくれなかったら、死者が出ていたかもしれない。
毒のブレス、か。
竜族の中には毒のブレスを使えるものがいたはずだ。邪竜というのは、おそらくそういった系統の竜なのだろう。水竜王は何か知っているだろうか?
教団の主張は正しかった? 奴らはこの件について何か知っているのか? いや、本当に世界が滅ぶと知っていれば、金に執着したり傲慢な態度を取ったりできないはずだ。不安で夜も眠れない、そんな様子の人間が……。
誰がこの件を知っているんだ? 誰に話を聞けばいい?
「パパ、大丈夫?」
魔王ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでいた。どうやら俺は、相当深刻そうな顔をしていたらしい。
「あ、ああ……、大丈夫だ。とりあえず、暇ができたら会いに行くようにはする。お前も魔族たちを引っ張って頑張るんだぞ」
「ううぅ、分かったよ。我慢する。大丈夫だと思うけど、パパも死なないようにしてね。そろそろ黒い竜が世界を滅ぼす年だよ」
世界が……滅んでいる? 黒い竜が世界を滅ぼしているという伝承は本物だったのか?
俺は死なないかもしれない。でも、魔法に対する抵抗を持たないこの世界の人々は、殺されてしまう?
俺はいったい、どうすればいいんだ?
読んでくださってありがとうございます。
ここで魔王攻略編は終了です。
いっきにまじめな話に転換してしまった。




