姫総督の休日
私の名前はパティ・マキナス。
姫総督とも呼ばれ、帝国東方グランヴァール州を治めている。いや……『いた』か。
今はこうして、オールヴィ州に日々を過ごすだけの身。
王城近くの平原を散策する。町から離れたその場所には、平時であれば何もない。ただ散歩したり野生動物と戯れるだけの、そんな土地だ。
だがしかし、今日は違った。何人かの若者がそこに集まり、汗を流していた。腰に掛けている剣や身に着けている防具を見るところ、この国の兵士らしい。
ほう、オールヴィ州兵か。
もともと、オールヴィ州兵は反乱軍との戦いもあり精強な部類だった。しかしそれでも、魔物を相手に戦っているグランヴァール州や、帝国の反乱に対応することの多いツヴァイク州に比べ劣っていたはずだ。
だが、その彼らがツヴァイク州兵を破った。もちろん、それはこの王国で増強されている〈邪法使い〉のおかげでもあるだろう。しかし全員が邪法を使うわけではないだろうし、兵士たち一人ひとりの練度が高くなっているはずなのだ。
私は彼らを観察した。どうやら少人数で訓練をしているようだ。
ふっ、少しはやるようだが。まだまだ荒い動きをしているな。
と、ぼんやりと兵士たちを眺めている私の様子が気になったのだろうか、何人かの若者がこちらに寄ってきた。
「おう、姉ちゃん。俺の武術に惚れちまったか?」
「ばっか、俺だよ俺。俺の剣さばきに見惚れてたんだよな?」
「違うだろお前ら。男は顔だよ。イケメンが汗を流す姿を見てたんだろ? な? な?」
「…………」
私は無言のまま体を動かし、彼らの背後を取った。男の首に手刀を添える。
「ここが戦場であったのなら、お前はもう死んでいる」
「なっ……」
私の動きがまったく把握できなかったのだろう。狼狽した男は飛び跳ねるように遠ざかり、冷やせを流しながらこちらを睨んでいる。
「姉ちゃん、いい度胸してるじゃねーか。あんまり男を舐めてんじゃねーぞ」
殺気立つ男たち。といっても本当に殺そうとしているわけではなさそうだが、プライドを傷つけられご立腹らしい。
男たちが一斉に襲い掛かってきた。
打撃技を加えてくる男。鞘に納めた剣を振るってくる男。羽交い絞めにしようと後ろに回り込んできた男。槍を柄で突いてくる男。様々な兵士たちが、私を屈服させようと近寄ってきた。
なかなかいい訓練をしているらしい。兵士としては上々だ。だが――
「やれやれ、もういいだろう?」
私は両手を払った。男たちは適当に痛めつけられ、地面に横たわっている。
「つ……つええ……」
おっと、無駄に汗を流してしまったな。こんなところで時間を食うつもりはなかったのだが。
私は男たちから遠ざかり、王城の方へと歩いていく。
今の私は、自由だ。総督という職務から解放され、邪神の下で客人扱い。
帝国への裏切りにはなるだろう。しかし、兄上とは了解の上なのだ。
もし、邪神に敗北した場合、たとえ帝国と敵対することになってもいいから彼らに協力し、接近すること。それが兄上との約束だった。たとえ自分が破れてしまったとしても、皇族としての血脈を絶やさないため、敵のもとに親族を送るというやり方。兄上もいろいろと保険をかけておきたかったのだろう。
まあ私としては、命乞いまでして生き残るつもりはなかったのだがな。戦場で散るつもりだったが、意外にも生き残ってしまったわけだ。
ともかく、私がこうして王国にいることは、兄も承知の上なのだ。
王族としての血脈を保つ、か。兄上の言っていることは、ひょっとすると政略結婚みたいな意味を含んでいるのかもしれない。
だとすると、一番相手としてふさわしいのはこの国の国王、カイだろう。ふふっ、私を打ち負かした殿方だ。相手としては全く不満などない。
彼はまだ結婚していないらしい。ならば私は正室として、いやこの際側室でも目標は達成されるか。私は彼の側室となり、その子を身に……。
な、なにを考えているんだ。
子供に囲まれ幸せそうに笑っている姿を思い浮かべたが、私はすぐに妄想を打ち消した。白昼堂々、姫総督がこんな妄想に耽っていると知られたら、周囲になんと思われてしまうか。
「おおっ、パティ皇女殿下ではありませんか!」
と、変なことを考えていたら声をかけられた。振り返ると、街道の方から太った男が汗だくで走ってくる。
「わたくしです。グランヴァール州で大変お世話になったウィンストンです」
見覚えがあると思っていたら、グランヴァール州の城でよく目にしていた商人だった。
「カイ陛下に招かれ、こちらに滞在しているという話は存じております。異国で肩身の狭い思いをしている私です。同郷のあなた様に会えたことは大変うれしい限りです」
見え透いた口上。
ふっ、商人というやつはどこの国でも変わらないな。目ざとく客たりえるものを見つけ、交渉に持ち込もうとする。
確かに、客扱いではあるものの皇女である私だ。オールヴィ州にも多少の私財は残っているし、邪神殿に話を持ち掛ける程度は可能だろう。
だが商人というやつは、基本的に敵だ。そもそも美味しい話であるのなら、あちこちに話して回ったりなどしない。こうして何か物を売りつけようとしている時点で、もはやその商品はあまりあてにならないのだ。
「いやぁ、ちょうどいいところで出会えましたな」
「ふふっ、ウィンストンよ。私は客人の身。あまり金を持っていないから、客としては使えないかもしれんないぞ。それ以外の話なら耳にはするが」
「そんなっ、物を売りつけようなどとそのようなことは。ただご協力いただけるなら、こちらのアンケートに記入をお願いできますか?」
ほう、アンケート?
断ることは可能だが、商人との付き合いは大切だ。ここは素直に応じておこう。政治とはそういうのものだ。
私は用紙に目を落とした。
Q:近年帝都で急速に知名度を上げている、胃腸改善菌Helicobacter pylori入りヨーグルトについてご存知ですか?
こ……これは……。
…………。
…………。
…………。
「邪神殿は近年帝都で流行っている胃腸改善菌入りヨーグルト胃腸改善菌Helicobacter pylori入りヨーグルトについて知っているか?」
何言ってんだ、こいつ。
王城の執務室。窓から入った太陽の光が、この部屋を照らしている時間帯。パティ・マキナスにそんな質問をされ、俺は困惑していた。
膨大な書類に忙殺されている俺のもとへ、彼女はやってきた。手にはヨーグルトらしきものが入っている白いビンを持っている。三つ編みをスキップで揺らしながらこちらに近づく。
「この菌は生きたまま胃の中に住み着いた菌が胃の環境を改善するらしい。知らなかった。私の胃はきっとその菌が足りないせいで悪かったんだろうな。ビン一〇〇本分買った。今後も継続的に購入する予定で、ついでにこの王国の分も契約してきた。いやーいい買い物をした。品薄で危なかったらしいから、感謝してくれ」
一〇〇ビンすでに用意してあるって、それ品薄じゃねーだろ。
俺は幸せそうに笑う彼女に聞こえないよう、隣に立っていたアダムスへと声をかける。
「……お、おいアダムス。この子」
「その通りです。彼女は軍事面において非常に優秀なのですが、内政面ではそれほどでは……」
「…………」
俺は察しだ。
「そういえば邪神殿も、最近は政務に忙殺され胃の状態が悪いかもしれない。このヨーグルトを食べて元気を出してほしい。うんうん、健康が一番だ」
テンション高めにヨーグルトを渡されたので、断ることができない。ビンを開け、軽く口に含む。
え……やだ、このヨーグルト美味しい。
その商人、後で調べておこう。
読んでくださってありがとうございます。
こんな内容ですが、ここから魔王攻略編です。
ここで区切るのが一番だったんだー。




