テレーザとの出会い
村を離れ、道を外れた森の中へとやってきた。
久々に生身で歩く大地は、言葉にできないほどに感慨深いものだった。土の感触や体に流れ落ちる汗、動物たちの動きなど何もかもが新鮮だ。
「ここがいいな」
背後に森を控えた湖だ。随分と広さがある。
さて、始めようか。
俺はグリモア魔法王国大将軍、カイ。その使命は、祖国を救うためこの地に混乱をもたらすことだ。
国境線近くは防御が固められている。しかし完全な内地であるこういう場所で暴れまわってこそ、効果があるんだ。
俺は自らの指を噛み切った。血液が宙に浮き、奇妙な文様の描かれた魔法陣が生み出される。ドラゴンの言葉らしいが、俺には何が書いてあるかさっぱりだ。
契約竜の召喚。
「――来たれ、火竜王!」
…………。
…………。
…………。
声がむなしく響き渡るばかりで、肝心のドラゴンが現れなかった。
おかしい。
無限に近い寿命を持つとされる竜族。火竜たちの頂点に立つ火竜王は、俺と契約を交わしたドラゴンの一匹だ。俺の召喚魔法に従い、必ずはせ参じてくれるはずなのに。
まさか、何かの拍子に殺されてしまったのか?
地竜王、風竜王、雷竜王、と立て続けに契約竜を呼ぼうとする俺だったが、その声はむなしく空を舞うばかりで……上手くいかなかった。
「ばかな……」
何かの間違いじゃないだろうか? ひょっとして、転生魔法が失敗してしまったのか?
混乱の中、次なる召喚を行い、そして――
「来たれ、水竜王っ!」
これは成功した。
魔法陣が稲妻のような光を放ち、湖全体を覆うまで広がった。やがてそこから、青色の鱗を持つ生物が現れる。
青い肌の巨竜、水竜王である。
この湖が小さな山ほどの広さがあってよかった。もしこいつを村で召喚していたら、それこそ大混乱に陥っていただろう。
まあ、大混乱に陥るだけなら俺の目的は達成されるのだが、すぐに対策をたてたれてしまっては元も子もないからな。小さな村を一つ潰して俺のゲリラ戦が終わってしまっては、何のために転生したのか分からない。竜の運用は慎重に判断しなければ。
「水竜王、久々だな」
「おお……おおお……おおぉ……、懐かしい。カイ殿、転生は成功したのじゃな」
水竜王の震える声が大気を震わせた。その濃密な魔力に当てられ、すでに近くにある木々はその葉を散らし始めている。
「……? お前、なんか体が硬そうになったな? 声も震えてるし……大丈夫か?」
「カイ殿、……知らぬのか?」
「は? 何を?」
「すでにあれから、悠久の時が流れておる。わしらドラゴンとて、人ほどではないにしろ寿命が存在するのじゃ。皮膚は水を失い、衰弱もする」
「ん? お前ら不老不死なんじゃないの? そういう話を聞いてたんだが」
「無限に近い寿命を持つ、とは説明したが、不老不死の存在ではないのじゃ。本当に……長い時であった」
水竜王は事もなげに話をしたが、俺はその言葉に猛烈な違和感を覚えた。
「お……おい、ちょっと待てよ。俺が最後に召喚してから、今、何年ぐらいたってるんだ?」
「人の暦をわしは詳しく知らぬ。だが概算でよければ、おそらくは五〇〇〇年以上の時が流れておるのではないか?」
「……な」
嘘だ……と言いきれない俺がいた。
おかしいとは思っていた。
俺はレスターという赤子として一歳四か月まであの村で過ごしていた。しかしそこでの雰囲気は、どう見ても国家の存亡にかかわるような大戦中といった感じではない。平和でのどかな田舎の村だった。
そもそもグリモア魔法王国という単語を、転生後一度も聞いたことがない。家を訪れる客の雑談は、領主の税に文句を言ったり帝都の華やかさを羨ましがったりと、そういった意味のない会話ばかりだった。
「……」
どうやらこの世界は、俺が転生してから想像以上に時が流れているらしい。
エミーリア女王は?
リチャード将軍は?
俺の国は? 帰るべき場所は……もう……ない?
「俺の祖国は、なくなってしまったのか」
「わしはもう現役を引退した身。代わりに、孫娘を推挙しようかと考えているのじゃが、よいか?」
「……俺には生きた契約竜が必要なんだ。とりあえず、その孫娘さんに会わせてくれ」
「良かろう」
水竜王がその巨大な目を瞬きした。すると、彼の前に巨大な魔法陣が出現する。
現れたのは一人の少女だった。この場所に竜を二人並べるほどの広さはないため、人間の姿をとっているのだろう。
「水竜王の孫娘、テレーザです。よろしくお願いします」
人間では決してあり得ない、宝石のように輝くサファイア色の髪。十六歳であるカイよりも幼い、おそらくは十三歳前後の容姿。薄い水色のローブを身に着けている。
相当の美少女だ。
「人間界は美味しい飲み物や食べ物がたくさんあると聞いています。私はとても楽しみです。 あいあむはんぐりー、です」
「ふふふ、こやつはまだ子供だからな。カイ殿、気を付けるのじゃよ。あれはほんの一年前、こやつは水を飲み過ぎて漏らして……」
「わ、わわわわわ、おじい様何言ってるんですか。カイ、おじいさまは最近頭がぼけていて妄想と現実の区別がついてないんです。ほほほほ、誇り高き龍族である私がおもらしなどといった幼稚なことを――」
テレーザが顔を真っ赤にして首を振った。光沢を放つ青い髪が、まるで海の様にゆらゆらと揺れる。
「このようにかわいい孫娘。カイ殿なら安心じゃ。よろしく頼むぞ」
水竜王の姿が消えた。どうやら竜の世界に戻ったようだ。
大気を震わせていた圧迫感が消失する。周囲には小鳥のせせらぎや動物たちの気配が戻ってきた。
後に残されたのは、俺とテレーザの二人。
「よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
先程の恥ずかしいやり取りのせいか、テレーザの顔が少しだけ赤かった。
「どうするんですか? カイ? 私は竜の体に戻った方がいいですか?」
「いや、今はいい。ひょっとすると、竜の存在自体が大騒ぎどころじゃすまないかもしれないからな。とりあえず街道まで戻る。歩いていくぞ」
「了解です」
湖から少し西に向かった辺りに、整備された街道があったはずだ。
テレーザは物珍し気に周囲をキョロキョロとしながら、スキップをしている。落ち着きのない子だ。
「人間の世界に来るのは初めてなのか?」
「その通りです。私も初体験に心が躍っています」
「お前の周りには、人間界に詳しいやつはいなかったのか?」
「私は百歳ちょうどになりますが、生まれてこのかたドラゴンを召喚する人間の話をおじい様以外から聞いたことはありません。こうして人間に仕えるという話を聞いたことには、正直かなり驚いています」
「……そうか、ありがとう」
やはり俺の懸念通りだったようだ。ここ最近、ドラゴンが人間界に召喚されることはほぼないらしい。
機工帝国は戦争に勝利し、長き時の流れから竜を召喚する魔法が失われてしまったのか?
まずは情報を集めよう。もっと大きな町に移動して、この世界の情勢を理解するんだ。
読んでくださってありがとうございます。
ヒロインのテレーザちゃん登場です。
キーワードにハーレムと入れた以上、ヒロインは何人か登場させる予定です。