セレスティア動乱
戦争中という空気を出さない、とはどういったことなのだろうか?
この答えを理解するためには、戦時中の雰囲気を把握しなければならない。門を固め、旅人を尋問し、食料を確保し、警備を強化し、州民に警告を発するといったところだろう。
ロレッタの出した結論は単純だ。戦時中に行うべきことを行わず、むしろ規制を緩めたのだ。
すべてはツヴァイク州総督にして皇子であるエドワードの関心を買うため。恩を売り商売を有利にしようとしたのだ。
だが、それが裏目に出てしまった。
セレスティア州総督、ロレッタは混乱の中にいた。
戦争とは無縁であるはずのセレスティア州。北西に位置し、オールヴィ州とも直接接していないこの州が、今、戦乱の危機に包まれている。
敵兵は四〇〇〇を超える。エドワードの忠告により門を固めていなかったため、その兵士たちは無人の野を行くが如く侵攻してきた。
すでに城の中にまで敵兵の侵入を許している。そもそも常備軍を持たず、数えるほどの傭兵しか雇っていなかったこの州であるから、これは当然のことだった。
ロレッタは女商人だ。争い事はあまり好きではない。部下たちの前で無様な様を見せないようポーカーフェイスを装っているが、内心は恐怖で震えあがっていた。
廊下から傭兵が発する断末魔の叫び声が聞こえる。それはまるで、ロレッタたちへの死の宣告のように。
乱暴にドアが蹴り破れられた。完全武装の重騎士数人と、それを従える一人の青年が部屋に入ってくる。
「やあ総督、二週間前の全州会議以来だね」
エドワード・マキナス。
武力でこの州を制圧した、野蛮な男。
この男の甘言を聞き、警備を緩めていたのが間違えだった。
むろん、気が付いたか気が付いていないかにかかわらず、常備軍を持つツヴァイク州にセレスティア州が勝てるわけがない。制圧されるという結果は変わらなかったかもしれない。
だが、戦時中のように警戒を張り巡らせていたとすれば、皇帝に連絡をとれたかもしれない。そうすれば、多少は戦況が変わっていた可能性がある。
ともあれ、この城まで踏み込まれては、もはやどうしようもないのが現状。
「オールヴィ州との密貿易、どこでばれちゃったのかしらぁ? 参考までに聞かせていただけるかしら?」
「あっははっ! 君、そんなこと考えたの?」
「……違うのかしら?」
ロレッタは狼狽した。どうやら、密貿易を咎められているわけではないようだ。もっとも、まだ準備段階であり、実際に貿易を行っているわけではないが。
「これはクーデターだよ。名目とかそういうのは必要ない。僕はこの帝国そのものに、不満を持っているんだから」
「……っ!」
ロレッタは見誤った。この州は何も悪くなかったのだ。悪は自分ではなく、皇子の方だった。
「そっかー、密貿易するつもりだったんだ。それじゃあ、これはクーデターじゃなくて懲罰ってことで話が通るね」
「…………」
愚かだった。これでは、敵に大義名分を与えてしまったようなものだ。
ロレッタは恐怖を抑え、手に汗を滲ませながら声を上げる。
「まって、話を……。そうよ、お金っ! お金を払うわっ! だからっ!」
「獣にはお金は通用しないよロレッタ総督。もう諦めるんだ」
エドワードはロレッタを押しのけ、総督専用の机へと座った。
「この州はツヴァイク州総督である僕が暫定的に支配します。ロレッタ総督、あなたは反逆罪で拘束させていただく。連れていけっ!」
重騎士たちがロレッタを拘束した。女性であり決して若くないロレッタだ。若者の力に反抗したところで無駄だろう。
失意のあまり、茫然自失状態だった。
こうして、ロレッタは失脚した。
彼女が政治の表舞台に立つことは、二度となかった。
「かねがね、上手くいったかな」
セレスティア州の城にて、エドワードは呟いた。戦後処理のため部下たちは出払っているため、すでにこの執務室には彼1人しかいない。
当初は、このセレスティア州を制圧し、帝都への食糧供給を絶ちクーデターによる帝位簒奪を狙うつもりだった。
しかし、大義名分ができた以上、クーデター自体はもう少し先延ばしにできるだろう。帝都への奇襲を視野に入れることができる。
「~♪ まあ、それはそれで嬉しいんだけどね」
そう。
何もクーデターのためだけにこの州を制圧したわけではない。その先、オールヴィ州の邪神と対峙するための作戦だ。
必要なのだ。彼に勝つために、この土地が。
エドワードは執務室の窓から城下町を見下ろした。帝都とは違い、商人たちの活気にあふれたこの州。経済的な意味では大変重要であったが、エドワードの目的はそこではない。
教団の唱える暦である一〇〇〇年より昔。その人類の歴史は、まったく明らかになっていない。
しかし、まれに古代の遺物が出土することがある。そしてその遺物は、エドワードたちが生きる今よりもなぜか技術水準が高く、時には巨大な力を秘めていることもある。
パティの持っている神槍と神盾がその代表例だ。あのような技術は帝国のどこを探してもないし、どのように動いているのか研究者たちも首をかしげている。
遺物は強力なのだ。
過去の遺物をもってすれば、常識外の邪神やドラゴンの力に対抗できるかもしれない。エドワードはそう考えたのだ。そしてこのセレスティア州は、帝国全土で一番そういった強力な遺物が出土する場所である。
ここは豊かな土地、セレスティア州。
かつてマキナマキアが機工帝国と呼ばれていた時代、首都であった場所。
読んでくださってありがとうございます。
ここから王国包囲網編になります。
包囲網の話は次話なんですけどね。