両雄交渉
ホリィと別れた俺は、富裕層スペースの近くをうろうろとしていた。これからどうしようかと悩んでいたのだ。
テレーザのところにでも顔を出すか?
「……?」
歩いていると、気が付いてしまった。近くに女の子がうずくまっていた。
髪を三つ編みでまとめた少女。ドレスから察するに、おそらくかなり高貴な身分なのだろう。
「う……胃が痛い。こんなフォーマルな式典だなんて聞いてなかった。ダンスとか踊れない」
ああー、分かるわその気持ち。なんかそういう空気あるよね、この富裕層スペース。
なんだか彼女に好感を持ってしまった俺は、話しかけることにした。
「大丈夫か」
俺は手を差し出した。
「こちらは富裕層のためのスペースなんだ。無礼講で楽しみたいんだったら、外に出て庶民と一緒に楽しめばいい」
「う……動けない。胃が痛い」
「肩を貸そうか?」
「すまない」
俺は彼女の腕を掴み、肩に回した。
そうだそうだ。この子を連れていくついでに、俺も庶民のスペースに行こう。もう接待は十分だ。
「~♪」
鼻歌が聞こえる。俺の聞いたことのない曲だ。
一人の男が現れた。
来ている服は、おそらくかなり高価なものだろう。二十代程度の好青年。
「いやぁ、どうもどうも。妹がお世話になったみたいで、感謝します」
と、笑顔を振りまく男。なるほど、この女の子の兄だったわけか。
「このまま庶民スペースまで行こうかと思ってます」
「あははっ、いいね庶民のスペース。僕も行ってみようかな」
「ご一緒しますか?」
「うんうん」
というわけで、俺は今度こそ庶民スペースに移動開始……しようとしたのだが。
「カイ殿、カイ殿ー」
げぇ、アダムス。俺を連れ戻しに来やがった。やめろっ! やめてくれ!
しかし俺の願いも空しく。アダムスはこちらにやってきてしまった。
ただ、彼は俺ではなく、目の前にいる青年を見て動揺している。
「殿下……」
と、アダムスが若者を指さして言った。
殿下?
アダムスの知り合いか?
「カイ殿……いえ、国王陛下。このお方はマキナマキア帝国第一皇子、エドワード・マキナス殿下です。そして隣の女性は、姫総督と名高いパティ・マキナス皇女です」
何っ!
帝国の皇子が、こんなところに? いやまあ、確かに招待状は送ったんだが、それは絶対来ないだろうからという皮肉を込めて渡したわけで、まさか本当にやってくるとは……。
「あっははははは。皇子だなんて恥ずかしいなぁ。僕は今日、お忍びでここに来てるんだから、あまり大きな声で騒がないでね。料理もいっぱい食べたいんだ。あっちの庶民スペースで」
「あ、兄上。私も庶民スペースとやらに行きたい。こんな空気の重くなる場所は嫌なんだ」
「いやいやー、こうして上流階級の人々と触れ合うもの悪くないよ。パティはもっと社交性を……」
と、俺たちを無視して話を続ける二人。
そんな様子を見ていたアダムスが、二人に聞こえない声でそっと語り掛けてきた。
「カイ殿……いえ、国王陛下。チャンスですぞ。今なら帝位継承権を持つこの二人を、排除できます」
「本当か?」
「ご命令下されば、私の配下が仕留めて見せます」
どうやら、近くを歩いている市民たちの中に、アダムスの配下たちが紛れ込んでいるようだ。改めて見渡すと、こちらの様子をうかがっている男たちがちらほらといる。
さすが元悪徳総督。その発想はだいぶ悪どいぞ。
だがまあ、こいつの言うことも決して間違ってるわけではない。敵国にのこのこやってくる奴が悪いんだ。
転生前には戦争に明け暮れていた俺だ。そのあたりの思考はシビアだった。
だが殺してしまうのはまずい。仮にも式典中なのだからな。ここは……。
「人質にしたい。殺さず、傷つけず捕らえろ。可能か?」
「かしこまりました」
アダムスが首を振った。おそらくそれが、目標を捕らえろという命令なのだろう。
周囲に潜んでいた手下が一斉に動き出す……はずだった。
だが――
「……なっ」
アダムスは声を失った。誰一人、合図に反応して動こうとはしなかったのだ。
いや、一応反応はしている。しかし。苦悶の表情を浮かべて、その場から動こうとしないのだ。
「総督。子飼いのスパイはもう少し身元を洗った方がいいよ。僕のスパイを潜ませることはとても簡単だった。あとは、内側から弱みを握って付け込むだけ。なーんて、冗談冗談!」
「ぐ……ぐぐぐ……」
アダムスが悔しそうに眉間にしわを寄せた
「お前たちっ! 報酬を三倍払おう。少しは私のために働かないかっ!」
アダムスがもはや体裁を無視して叫んだ。おいおい、あまり目立つことするなよな。
だが、彼の悲痛な叫びに従い、硬直していた一人の男が動きした。懐にはナイフ。虚をつかれるエドワード。
だが、そのナイフは防がれてしまう。
パティ・マキナスの手で。
ドレスの中から取り出した盾によって、その攻撃を見事防いでしまったのだ。目標を失ったナイフは、彼女のドレスを空しく切り裂くのみだった。
パティは敵に鋭い蹴りを食らわせた。総督の配下は唾をまき散らしながら、地面に叩きつけられる。
「ああっ、私のドレスがっ! すまない兄上! せっかく用意してもらったのに」
「いいさ、パティ。僕の身を守ってもらったんだから、むしろドレスだけでは足りないくらいさ」
笑いあう二人。脅威を退け、余裕すらも見せている。
一方のアダムスは、苦虫を潰したような顔をしている。
「申し訳ございません、陛下」
「いや、いいさアダムス。もともと皇子をどうこうするつもりはなかったんだ」
俺にその気はなかった。この件が失敗して国が成り立たなくなるようでは、そちらの方が大問題だ。
「邪神カイさんでいいんだよね?」
「まあ、邪神を名乗ったつもりはないんだが、お前の言ってるカイで間違えない」
知っていたのだろう、エドワードは人の悪い笑みを浮かべた。
「僕はこの帝国を掌握し、教団による支配を脱したいと考えている。君が協力してくれるなら、話は一気に進むと思うんだけど、どうかな?」
なるほど。
こうしてわざわざ敵地に乗り込んできたのも、俺を上手く懐柔できないかと考えたのだろう。
悪くない発想だ。確かに、この男についていけば、教団を弱体化させるという目標には近づけるかもしれない。
だが――
「お前は体制側の人間だ。どれだけ綺麗事を吐いて、どれだけ努力したとしても、これまでのしがらみから抜けることはできない。お前に従う人間は、新しく完成したお前の帝国で同じことを繰り返す。だからお前の下に付くことはできない」
「うーん、残念だよ。僕は帝国の皇子だからね、やっぱり反乱軍は潰さなきゃいけないみたいだ。はぁ、億劫だよ」
交渉決裂だ。
「邪神を舐めるなよ」
「あっはっはっ、期待してるよ。僕たちがこの州を制圧するまで、たっぷりと教団を痛めつけておいてね」
「そっちもな。手を抜くんじゃないぞ」
こうして、俺たちは物別れした。
帝国第一皇子、エドワード・マキナス。
敵地に忍び込む大胆さを持ちながらも、アダムス子飼いの配下を懐柔するしたたかさを持つ。間違えなく強敵だ。
そして、俺には一つ気になることがあった。
パティと呼ばれる皇女が持っていた、あの盾。
絶対防御盾。
かつてマキナマキアが機工帝国と呼ばれていた時代、あらゆる魔法を防ぐ盾として敵国で重宝されていた……あの盾だった。
読んでくださってありがとうございます。
このパティちゃんの胃痛設定はかなりギャグ寄りで使うつもりでした。
ただ、あんまりギャグ過ぎても物語が崩壊してしまうため、ほどほどにしておくことにします。