皇帝命令
「~♪」
マキナマキア帝国第一皇子、エドワードは鼻歌を歌っていた。皇帝が祈りの部屋に引きこもり、顔を合わせなくていいから機嫌がよいのだ。
帝都マリネの城、テラスにて。
眼下に見える帝都の風景を楽しみながら、エドワードは紅茶を飲んでいた。
「兄上」
と、後ろから聞きなれた声が聞こえた。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
凛とした顔つきは、戦場で相手を威嚇し、味方を鼓舞するのに最適。誰もが彼女の美貌を称え、そしてその戦いに見惚れるだろう。
肩あたりまで伸びる茶髪を三つ編みでまとめている。武人でありながらも手入れの行き届いた髪だ。
帝国将軍が身に着ける金属質の鎧を身に着けている。かなり重たさを感じているはずだが、その足取りにからは全くそれを感じさせない。
どちらかといえば軍人風の格好をしているが、やはり生まれ持っての高貴な風格は隠せない。
「パティ」
帝国の勇猛果敢な姫総督、パティ・マキナスである。
パティはエドワードの隣に座った。
「この前はごめんね。急ぎで呼び出しておいて、すぐに追い返すようなことをしちゃって」
「仕方ないさ。政治も軍事も、大切なタイミングというものが存在する。私のために適切な時期を逸脱してしまっては元も子もない」
「そう言ってくれると助かる」
しばらく前、パティは帝都に呼ばれたのだ。邪神と彼が操るドラゴンへの対策として、である。
しかし、件の邪神はアダムスが捕らえたとの報告があったため、彼女が出撃するという話はうやむやになってしまった。
「兄上、邪神を名乗る男はアダムスが捕らえたとして、連れていたドラゴンはどうなったんだ?」
「……さあ、どうなったんだろうね」
少なくともエドワードは、ドラゴンの脅威が消え去ったとは思っていない。だが、事はそう単純ではないのだ。自分には自分の思惑があり、そのためには竜を無視する必要がある。
「それでパティ。今日はどうしてこの帝都に?」
「全州会議のためだ、兄上。時期的には少し早いが、帝都でゆっくりと休日を過ごしたいと思ってな」
「全州会議。もうその時期になるのか」
全州会議。
帝国七州のうち、五州の総督が意見を述べ合う重要な会議だ。年に一度開かれる。
中央、帝都マリネ州。
東方、グランヴァール州。
西方、ツヴァイク州。
南方、オールヴィ州。
北東、リディア州。
北西、セレスティア州。
北方、バージニア州。
北方バージニア州と帝都マリネ州は皇帝直轄地であるため、その他の州から総督が集まる。
一国一城の主といっても差し支えない総督たち。一癖も二癖もある彼らを相手にすると思うと、エドワードは気が重くなるのだった。
「パティがいてくれて本当に助かってるよ。僕がいじめられたら、援護の発言をお願いね」
「勘弁してくれ兄上。私も胃が痛くて仕方ないんだ、会議というものは……」
「ははっ、僕なんて胃だけじゃなくて頭まで――」
「エドワード」
不意に、背後から声をかけられる。この声は――
「……ち、父上」
エドワードの父にしてマキナマキア帝国皇帝、ローレンスだった。
基本的に、この男は有能だ。神だの天使だのと叫んでいないときは、かなり頭の方もよく回っている。
それゆえに、エドワードにとって扱いにくい相手であった。
「エドワードよ。余が何を言いたいか、理解しているか?」
ローレンスがエドワードを試すような目つきで見下ろした。あまりふざけた発言は許されないだろう。
「アダムス総督の件ではないかなっと、思ってます」
「その通りだ。さすがは我が息子……」
ローレンスは嬉しそうに王笏を揺らした。
「アダムスを総督に任命したのは余だ。奴の性格は十分に理解している。教団のへの献金を控えたいというのは、奴らしいもっともな言い訳だ。しかし、自身が贅沢を控えているという話が……どうも解せない」
「その件ですか……」
アダムスの不審な動きについては、エドワードも熟知していた。しかし、教団の力をそぐようなその行いは、彼らを疎ましく思っている皇子にとっても都合がよかった。だからこそ、これまでずっと見て見ぬふりをしてきたのだ。
「ともあれ、教団への献金を復活させるべきだ。わかっているなエドワード? もし、アダムスが逆らったその時は、皇帝である余への反逆と見なす」
「ち、父上」
言わなければならないことがある。副皇帝、とあだ名される自分にしかできないこと。
「……オールヴィ州の民は、少なからず教団への献金に反感を持ってたと思うんだ。だからこそ、反乱も過激になっていった。ねえ父上。どうして僕たちはアーク教団に……」
「エドワード」
ぞくりっ、とエドワードの背筋が凍った。
「二度目はないぞ……」
その威圧。その圧迫感。その気迫。
この男は、間違えなく皇帝だ。そしてそれに見合うほどの、王者としての風格を備えている。
「はっ」
エドワードは椅子から離れ、恭しく傅いた。
「皇帝陛下の命とあれば、必ずや反逆者を捕らえてご覧にいれましょう」
「はっはっはっ、そう畏まらずともよい。親子であるからな。期待してるぞ、エドワード」
皇帝は笑いながら立ち去っていった。またあの部屋に引きこもって祈りを捧げるのだろう。
エドワードは歯ぎしりをした。
教団への献金を控えろ。そう父親に伝え、実行するはずだった。しかし皇帝の気迫に押され、強く言い返すことができなかった。
己の意思の弱さを呪った。こんなことでは世界を……変えることはできない。
「パティ、話があるんだ」
父親に威圧されてしまったことが、逆にエドワードの意思を固める原因になってしまった。今の彼に、もはや迷いなどというものはない。
「もし僕が……この帝国に反旗を翻したら、君はどちらに付く?」
「あ、兄上っ! それは……」
パティが慌てたように目を見開いた。
むろん、この発言は冗談ではない。
来るべき戦いに備え、エドワードは味方を作っておく必要があるのだ。心から信頼し背中を預けられる、そんな仲間を。
読んでくださってありがとうございます。
最初に帝国の話題を出してから、だいぶ時間がたってしまいました。
どのタイミングで入れるか、なかなか難しいところです。