処女王宣言
俺は夢を見ていた。
遠い過去の記憶。転生する前の、決して忘れられない思い出。
グリモア魔法王国首都にそびえ立つ王城。その白く壮大な建物の中を、俺は歩いていた。
中庭の中央には噴水が設置され、清らかな水でこの地を彩っている。小鳥たちがその水につられ、耳障りの良い鳴き声を奏でている。
俺は噴水近くのベンチに座った。
「カイ、ここにいたのか?」
後ろから声をかけられたので、振り返る。そこには、エミーリア女王が立っていた。
ゆっくりと歩み寄ってくるエミーリア様。陽光に当てられきらめく水滴の中で、彼女の銀髪はまるで宝石か何かのようにきらきらと輝いていた。
今日は水色のドレスを身に着けている。噴水の水と相まって、まるでその場に溶け込んでしまっているかのようだ。
ただそこにいるだけで、まるで一枚の絵画のように絵になってしまう。そんな美しさと可憐さを秘めたお方である。
「ご機嫌麗しゅうございます、女王陛下」
「あーやめてくれそういうのは。私たち二人のときは堅苦しいのはなし。いつも通り、エミーリアと呼んでくれ」
「そうだったな、エミーリア様」
女王陛下は俺の隣に座ると、すぐに距離を詰めてきた。ぴと、と俺の胸当てに顔をつける。
「お前の胸当ては、冷たくて気持ちいいな。ずっとこうしていたくなるぞ」
女王陛下はこの国で最高の権力者だ。本来であれば同年代の女子たちと友達になり、会話に花を咲かせているのだろうが、王城の中には遥かに年齢の高い文官や将軍、もしくは使用人しかいない。
使用人以外で彼女と同年代なのは、俺くらいなのだ。だからこうして時々話をする機会に恵まれている。恐れ多い限りだ。しかし俺も、敬愛する彼女とこうして会話する機会を得られ、胸の弾む思いでいる。
俺の胸に顔を寄せていたエミーリア様だったが、しばらくして満足したのだろう、体を少しだけ離した。
「最近、大臣たちが煩い」
少しだけ頬を膨らませながら、エミーリア様はそんなことを話始めた。
「何の話だ?」
「どうも、私に有力貴族と結婚して欲しいらしい。今日はこの男、昨日はあの男、一昨日はその男、男男男男。しかもどいつここいつもおべっかばっかり。心がこもっていないセリフばっかりで、鳥肌を隠すのが辛いほどだ!」
よほどその男たちがお気に召さなかったらしく、エミーリア様は吐き捨てるように文句を呟いている。
「彼らも自分の権力を保つために必死なんだろ。気持ちを汲み取ってやれよ」
「政治のことはお前に言われなくてもわかっているっ! ただな、それでも納得できない私の心はどうなる?」
「確かに、エミーリア様は辛い立場だと思う。俺もその点は同情するよ」
「か、カイッ! 自由恋愛って、素晴らしいものだと思わないか? こういうことはな、誰かに強要されるべきじゃないんだ。例えば、あくまで例えばの話だが、仮にお前が私をを愛していて、女王と将軍という身分を無視し奪い去ってでも愛を成就させたいと思っているのであれば、それはとても素敵なことだと思う」
「…………?」
なぜそこで俺のたとえが出てくるのかわからないが、とりあえずエミーリア様はお互いの気持ちが大事だと言いたいのだろう。
「そういえばエミーリア様、知ってるか? 先日、平民の男と貴族の女性が結ばれた話を」
「ん? 何の話だ?」
「貴族の身でありながら、平民の男性と結婚したらしいぞ。平民の男が貴族の娘と駆け落ちし、田舎町で結婚式を挙げたらしい」
「駆け落ち! 連れ去ったのか?」
「え、ええ……、そのようです。平民の身でありながら、本当に思い切ったことをしたものです」
「素晴らしい、その女性はさぞ幸せだったんだろうな」
エミーリア様はまるで熱病にかかったかのようにほほを赤めた。身分違いの恋を自分に置き換えて、心地よい夢の中に浸っているのかもしれない。
ふと、エミーリア様がこちらを見た。まるで何かを期待するかのように、上目遣いでこちらを見ている。
俺が瞬きをすると、彼女は何かを思い出したように表情を変えた。
「し、……しかしカイ、よくこの話を知っていたな。私の耳にも入っていなかったぞ」
おっと、この話題になってしまった。少し恥ずかしい話ではあるが、陛下に嘘をつくのは俺の良心に反する。
「いやー、その貴族の女の子が、すっごい美人だったんだ。こう、胸とかすっごい出てて、俺も前から気になってたんだよ」
「え?」
「いや、あっあははは。俺、女王様に変な話しちゃったな。ごめんごめん、今の忘れてくれ」
「…………」
「エミーリア様?」
エミーリア様は両手で自分の胸を確かめるように触っている。揉むかのようなしぐさをしているが、そこにないものを揉むことはできない。ただ空しく、指が空を切るばかりだ。深く突っ込むと不敬罪にあたるので、あまり考えないようにしておく。
「…………」
エミーリア様は立ち上がり、ふらふらと夢遊病者のような足取りで立ち去っていった。少しだけ目に涙を浮かべていたような気がしなくもない。
目にゴミが入ったのだろうか?
後日、エミーリア様は婚約者候補を軒並み退け、一生独身でいることを宣言した。
これがかの有名な、『処女王宣言』である。女王陛下は国民と結婚したため、特定の男性を夫として迎えないと宣言したのだ。
国家のために自らを犠牲にするその姿を目の当たりにし、俺は感動のあまり盛大な拍手を送った。涙を流しながら、我らが女王陛下の決断を称えたのだ。
なお、この話をリチャード将軍に話したらボコボコに殴られてしまった。
俺は何か悪いことをしたのだろうか?
読んでくださってありがとうございます。
回想回。
過去の話です。