帝国最強の邪法使い
俺はアダムスを追いかけていた。
クラリッサと話をしている間に、奴の姿を完全に見失ってしまった。しかし、風魔法によって大気の流れをつかむことのできる俺は、おおよそ五〇メートル以内であれば獲物を逃すことなどない。
いた。
この廊下をまっすぐ進んだ先、やや大きな部屋の中にアダムスは逃げ込んでいる。近くに少女らしき人物がいるが、どうやら兵士ではなさそうだ。
赤煉瓦の通路を抜け、俺はその部屋へと入った。大気を通して伝わっていた情報通り、そこにはアダムスと一人の少女がいた。
アダムスは何も喋らない。どういう理屈かは知らないが、多少落ち着きを取り戻しているように見える。
そして隣にいる少女。
年はおそらく、俺と同じぐらいだろう。少し癖のある金髪は、少しだけ目にかかっている。黒を基調としたドレスには、精巧な刺繍によるレースが施され、まるでそこに花や葉があるかのような錯覚を覚えてしまう。
人見知りなのか俺を怖がっているのかわからないが、アダムスの太った体に隠れ、顔半分だけをこちらに出している状態だ。
アダムスはこの少女に会いに来たのか。ふっ、最後に娘の所に訪れるとは、女々しい奴め。
「アダムス総督、話を聞いてくれ」
「ひいっ。む、娘だけは、殺さないでくれっ!」
アダムスは情けない声を上げた。だがこれまでのそれと違い、どこか演技臭さを感じるものだった。
なんだ、何かを隠しているのか?
警戒しながら近づいて、俺は気が付いた。アダムスの陰に隠れていた少女が放つ、奇妙な言葉を。
「剣は赤く爛れ、血は焦げてもなお赤く……」
この独特な詠唱、マナの集まり具合、間違えなく……魔法の詠唱。
「その力、我が前に示せ」
この詠唱は……まさか。
「赤色炎将ヴォルフラム」
俺は即座に氷魔法の障壁を張った。だが炎の将軍ヴォルフラムは、その赤く焼けただれた槍を氷の壁へと突き立てる。
まずい、氷魔法の障壁が……溶け……。
「ぐあああああああああああっ!」
俺の体は炎に曝された。体が燃え上がり、灼熱の赤が視界に染まっていく。
「やった、やったぞホリィ。は……、はははっ、お前は世界一の娘だ。邪神を、反乱軍のリーダーをついに倒したのだっ!」
「パパ、私、偉い偉い?」
「偉いとも、偉いとも。今度新しいドレスを買ってあげよう。ん? それともぬいぐるみがいいか?」
「……そんなの、いらない。もっともっと、邪法を覚えたい」
「ホリィは本当に邪法が好きだな。だがもうお前に邪法を教えるような人間は、この帝国に――」
アダムスはそこで言葉を切ってしまった。彼は気が付いてしまったの。
いまだ五体満足の俺がいることに。
「やりまちゅね」
そう。
炎に体を焼かれてしまったが、俺は死んでいない。それは魔法で作り上げた偽物だ。俺の本体であるレスターちゃん(一歳五か月)を露出させるとは、大した使い手だ。
外の体に比べ、この本体の体には入念に防御の魔法をかけてある。たとえ巨大な岩で潰されようとも、俺の体を傷つけることは不可能なのだ。
「油断ちてまちた」
と、いつまでもこの体では具合が悪いな。脳の処理が追い付かずに、しゃべり言葉が舌足らずになってしまう。
俺は元の姿に戻った。人間離れしたその動きに、アダムスは今度こそ心底本当に驚いたのだろう。尻餅をついて口をあんぐりと開けていた。
まあ、魔法を知らない人間が見れば、俺は化け物か悪魔に見えるんだろうな。
「ホリィという名前なのか、その少女は。本当に見事な使い手だ。俺がこの世界に来てもう一週間以上たつが、戦闘技術において感心したのはお前が初めてだ」
グリモア魔法王国であれば、正規軍の新米隊長としても十分な腕だ。もっとも、将軍レベルではないがな。
「ご褒美だ、ワンランク上の火炎魔法をお見せしよう」
俺は手に力を込め、魔力を結集させる。
「火炎魔法レベル七、火山大公ライディッヒ」
俺の言葉に従い、火炎魔法レベル七が発動する。先ほどの赤色炎将ヴォルフラムよりもさらに巨大な体をした炎の大公ライディッヒが現れた。
巨人は口から炎を吐き出す。その威力は兵士十人が束になってもかなわないほどだ。
むろん、この二人を殺すつもりなどない。ただのデモンストレーションだ。炎は部屋の煉瓦を焼き、融解し蒸発させた。
ホリィは震える手で俺の魔法を指さした。
「すごいっ!」
と、ホリィは言った。
ん?
「すごいっ! すごいっ! すごいっ!」
飛び跳ねながら、俺の周りをくるくると回る少女。その瞳はまるでお気に入りのぬいぐるみを見つけたかのようにきらきらと輝いている。お……大人しそうに見てたんだけどな。
どちらかといえば怖がらせるつもりだったのだが。ま、まあ、邪な心がないのが分かっただけでも良しとしよう。
「教えてっ! 邪法!」
「え、教えてって、今のヤツか?」
「うん」
なまじ自分が強力な邪法を使いこなすことができるため、俺の力に対して免疫ができているのかもしれない。
「いや……俺とお前は敵同士でだな」
「教えてっ! 教えてっ! 教えてっ!」
急に俺の上半身に抱き着いてきたホリィは、しつこく俺の耳元へ勧誘の言葉を囁いてくる。
うーん、これは……。
「あ……ああ、うん、わかった。とりあえずまた後でな」
「うんっ!」
まったく、変な空気を出させてしまっては困る。こっちはまだ争いの途中なんだ。俺は抱き着いてきた彼女をおろし、改めてアダムスを見下ろした。
「私を……殺さないのか?」
ここにきて、総督は自分が殺されないのだろうということを確信したらしい。
「お前は賢い。反乱軍のリーダーを懐柔し、ドラゴンによる攻撃を防ぐための作戦を立てた。その力をぜひ俺のもとで使ってほしいんだ」
「し……しかし」
アダムスは躊躇していた。まあ、これまで帝国に何年も仕えてきた男なんだ。急にこちらへ尻尾を振ってきた方が、かえって怪しいぐらいだろう。
だから俺が、一押ししてやる必要がある。
「お前、教団が憎くないか?」
ぴくり、とアダムスの肩が震えた。この話題は脈がありそうだ。
「俺が見る限り、お前はよくやっていたと思う。まあ搾取は甚だしかったが、それでも教団さえ存在しなければ、反乱を起こされるほどではなかったように見えたのだが」
「……その通りだ」
アダムスは頷いた。
「確かに教団の奴らは苦々しく思っていた。私の統治機構は完璧だった。都市部に富裕層を集め、貧困層を貧しい土地に押し込める。生かさず殺さず搾取する、そういう仕組みを作り上げた。奴らが多大な献金を要求しなければ、民もギリギリまで我慢できていたはずなのだ」
「そうだろうな」
まあ、話を聞いていると若干自業自得な面もある気がするが。どちらにしても、教団が屑であるのは違いないだろう。
「……君と話をしていて、久々に思い出したよ。教団に対する憎しみの気持ちを。私で良ければ、君の傘下に加えてもらえないだろうか?」
この男、間違えなく善人ではないが、しかし優秀ではある。俺が厳しく監督していけば、やがては国を支える中核となっていく人材になるかもしれない。
「もちろんだ。初めからそのつもりだった」
俺とアダムス総督は握手をした。これで契約成立だ。
そして――
「先生っ! ねえ、先生! まずは何をすればいい?」
「ええっと……うん、また後でね」
ホリィのことは後で考えよう。
とにかく、これですべての駒が揃った。
読んでくださってありがとうございます。
やっとヒロイン三人そろいました。
そろそろラブコメっぽい話を挟めそうな気がします。