004 濡羽色の肢体
棚田のような緩い傾斜で同心円状に配置された扇形の長テーブルに掛ける生徒は席数の半数に満たなくて教室はややガランとしている。後方より左手に座る少女は生成色の光沢塗装の天板に肘をつき手のひらに乗った顔は教室からはそっぽを向いて窓の外の校庭を眺めていた。年配の教師の声が響いてさほど広くはない教室を満たしている。黒板には蟻の絵が描かれ説明書きが事細かにあった。
教師側から室内はひと目で見渡せる、少女の首は明らかに捻られて緋色の髪の毛をまっすぐに見せているが、教師は構わず声を続けていた。生徒それぞれの髪の毛は色とりどりで同じものはなかった、天板と同じ生成色の生地に金釦、金刺繍のカッチリとした制服が統一されているのに反して。少女の斜め下、中央あたりに座る常磐色の髪の毛の少年だけ濃紺に銀刺繍、教師にしっかりと視線を向けて教授をしかと受ける様子で。
後方、少女は手のひらを天板に戻して中央へと向き直す、フラフラと視線を漂わせ少年向きに固定する、すると真剣だった少年が入れ替わるように視線を中央から外していき、振り返るほど極端な向きに。少年の急な変貌ぶりに少女ははっとした表情で。教師を一瞥、少年の態度にお構いなしに教授は続けられていく。再び少年へ。少女を見つめているような視線であるがよく見れば少女向きではなかった。少女と同じく、色白で、美しい顔立ち、先ほどのキリッとした表情とは打って変わって、やや弛緩したような、虚ろな表情で少女から若干外向きに一点を見すえている……しばらく少年を見つめたあと、少女は少年の視線を追い窓の外へと再び……。少女から血の気の引いたように肌白はさらに甚だしくなって。
窓の外、校庭ではなく繁茂した丈の短い濃い緑が目映く写る、丘を見下ろした眺めで。
半開きの口元のまま眺めいる少女…………
中央の蟻の屍は、視界をチカチカと忙しなく動き回る取り囲まれた蟻の群れの個体の体積を一纏めにしても、下回ることはないくらいに巨体の蟻だった。陥没した巨大な頭部の黒からは琥珀色の半透明の粘液がボタボタと滴り落ち、果実の腐ったような甘酸っぱい異臭がするのだった。見れば陥没にはびっしりと小さな蟻の体躯が蔓延って。
「蟻が蟻を運んでいるね」
少女が見上げると少年が笑う、カッチリとした雰囲気ではあるが制服ではなく軍服を着ている、濃紺と銀刺繍は同じだった。
「大きいよね……食べられている方」
「そうだね……腐っているよ」
「……うん」
風が吹いて少女の服がはためいた、煉瓦色のミニのワンピースに向日葵色のホットパンツを穿いている。
「ご覧?」
少年は丘の向こうを指差す、急な崖があり奥の平地にぽつぽつと建物が並んでいる。少年は一番大きく立派な建物を差していた。
「あれ……君の家だよね?」
「そう。ここからだと一番近いんだよ」
少年は草原に置かれた大きな凧を抱えて崖のほうへ歩きだす。
「君も持ってくるといいよ」
少女は足元を見下ろす、少年と同じものが置かれている。
肩にベルトを通して連結部を締める、少女を振り返り促す、云われるがまま少女も凧を装着してしまった。
「さあ、行こうか……」
「ちょっと!」
少女の声に構うことなく少年は崖を頭から飛び込む、鳥のように優雅に風に乗ってゆるりと向こう岸へ。……少女は迷いを見せるが直後同様に! 風を真っ向から受けて煉瓦色が後ろへとそよめいて。風は少女を少年の足元へと運んでいく。
二つの鳥は距離を物ともせずにじわじわと大きく伸び上がっていく聳える濃紺と銀へ。瞬く間の出来事で……
大きな庭は鳥を受け入れて二つの両脚はカラフルな花壇の麗しく並んだ芝生を蹴りながら器用に減速させていった。
「着いたね」
「……うん。あっという間だったよ」
濃紺と銀に色塗られた立派な金属の城。凧を庭にうち遣ったまま少年の歩みに少女が続く。
赤、緑、黄、青……様々な色彩からなるステンドグラスの木部一杯に嵌められた扉、ぐにゃりと波打つデザインの金のノブの片側を握ってドアを開く、内部は硬質な黒と白の大理石、しばらく歩くとロビーには皇帝紫の天鵞絨の絨毯の装いで。両側に西洋栗の二人掛けソファ、中央のガラステーブルに頓着せずまっすぐ進んでいきやがて大理石が顕して。金縁の背丈を優に超している大きな絵画が突き当たりの壁に堂々たる趣きで。田園風景の奥、注視すればこの城が描かれているが、ひと目で何より目立っているのは中央、宙に浮かんだ漆黒の立方体だった。
「さあ早く、君もここへ並んで」
少年の立つ床には大理石には一見そぐわぬわざとらしく施された白色の塗装、正方形の縁を細長の枠で。
少女は少年の隣りに立つ、するとガコンと大仰な衝撃音の直後に、床は真下へしずしずとそのまま落ちていくので。少女は少年向きに驚きの表情を隠すことなくて。
地下室、仄暗くだだっ広い空間の岸には明るい照明で隈なく照らされた壁を埋めつくした絵画の陳列。
「僕には向かう所があるから、君はゆっくりと過ごしていて欲しいよ」
少年は照明の途切れた少女からは背中向きの空間へと歩いていきやがて闇へと消えてしまった。
少女は少年に後ろ髪を引かれるような表情で消えていく背中を見つめていたが声をあげることもなくて。放心したように闇をしばらく見つめていたがやがて振り返る。ゆったりと壁に近づいて高い天井まで伸び上がるような絵画のいちいちを眺めまわっていった、隅、降りた床と同じ白い枠が地下の大理石に塗られているのを眺め下ろして。一歩、もう一歩、警戒するような足どりで枠内に収めた少女の体躯は、程なく切り取られた正方形の大理石より上昇していく……降りた時の倍以上の時間が経過していた、強烈な光が段々と少女の頭上から……。
眼の前に現れた景色はひなびた庭だった。
「えっ……」
少女の目の前には溶けたようなどろどろの流線型の。太い幹が触手の如く垂れ下がった大きな樹木で。以降、少女は一頻り口を閉ざす。踵を返して足早に、それから小走りになって……
丸太造りの小屋。入口の扉をぞんざいに開け放ち室内へ。
「あらおかえり、どうしたんだい勢い込んで?」
息を切らす少女、肩を激しく揺らしつつ強ばった表情で婦人を見つめつづけて。やがて呼吸を整えた少女。
「母さん! あの…………」
爆音! 少女の母は目の前からは消えてしまっている、窓の外には炎。再び爆音! 仰々しい音を伴わせて窓ガラスが割られて。
何はさておき一心に。小屋を後にして少女は走る、先ほどの道筋を辿っていき……途上空にはけたたましく埋めつくされたエンジン音と降り注ぐ爆撃の劈きと厭らしい谺の畏怖が。
少女は辿り着いた先、茫然と見上げて立ちつくして……溶樹は消え、代わりに宙に浮かんだ巨大な漆黒の立方体がグルグルと回転しているので…………
ゴホッッッ! ……しばらく動かぬ影…………。
天頂空色の妖艶な発光だけが闇を照らしているのだった、濡羽色が青を写して更なる不気味さで。異様さに反するような麗しさは指先から肢体を流れて足の先まで……金属質の甲殻に身を包んだ機械仕掛けのボディはものの見事な女体のそれで。両肩には翼手を湛えて小さな竜の如く。頭頂骨の左右を割って大きく黒々とした眼が半円の透明なカプセルに収まったようで。背面には臍の尾のような幾重にも捻れた生体的かつ技巧的な紐の癒着があって壁と繋がれて。
薄荷緑の土砂が肢体や辺り一面を隈なく覆いつくして塗りこまれてい、天頂空色の金属枠が闇の奥から漂い迫るので。リズミカルな咳唾の反復、ジャリと口腔を満たした薄荷緑を窒息からの束の間、歯噛みの様にて磨り潰して。息も絶え絶えをじりじり、小康へと戻していき這いつくばった体勢から肩で呼吸を整わせる様子、器官をぜりぜりと粘りつかせながら恨めし気に快方を呼び寄せるようで。
這這の四足を止めず、繰り出される野性味ある駆動の前進は鬼気迫るほどに。鋭い爪を四つ、ザリ、ザリ、上から下へと流して、体長の10倍を優に凌駕する巨大な天頂空色の間隙の埋没を掘り、掘り、進んで立ち止まりやがて掘り……。背面から下がる紐からの連結は壁側の癒着より剥がれ落ち、以降ズルズルと土壌を引きずっていくのだった。途中途中、ひと息つく際には薄荷緑をひと口、砂を噛んで滋養を得るので……
Gooooooouuuusyuuu!
埋蔵の常闇世界を全貌の外殻ごと叩いて大きな揺れと怒号があたかも満ち引きの呼吸で重ね重ねに。衝撃に惹かれるように、決まって濡羽色は大眼を首ごと振りかぶってこちら向きに、甲殻ともども青の光輝に塗られて奇怪に闇より冴えるので。
Gooooooouuuusyuuu! Gooooooouuuusyuuu!……
衝撃は止めどなかった、途方もなく長い時を経ていた、休み休みの前進にもかかわらず、這這はついに分厚い土砂の壁をぶちぬいた。
恐らく天頂空色の間隙を一つ、下手をすると二つ、三つ分掘り進んだのかも知れなかった…………濡羽色の女体の眼の前を塞いだ物! 無限の広がりを想起させるほどの空洞…………間隙を埋める土砂
バラバラバラ…………重たげな鈍色の銀
岸を埋める砂浜は薄荷緑
その内の一つが立ち並んだ複数よりしずしずと躍り出る、右には赤橙
「おい! くれぐれも振り返るんじゃねえぞ」
振り返った巨人
それから再び前方へと向き直って歩み出す、薄荷緑
巨人
Kyurururururururururu…………
途轍もない響きが鳴り渡った、すると近場から順を追って破格の構造物を宙へと引き剥がしたかと思えば瞬く間に球体へと鋭い頂点を顕わにして緩和
けたたましい破壊音を背に巨人
――ギャアアアアアリュルルルルル…………――
緩和
「馬鹿野郎……振り返りやがったぜ」
Gooooooouuuusyuuu! Gooooooouuuusyuuu!……
時を追うごとにけたたましさを増していく、濡羽色
正三角形の両翼を美しい流線型にひしゃげたようなフォルムの浅葱色
到達した塔の屋上に立っている、腹部の辺りから浅葱色
男は握っていた立方体
――目的地座標※※※、目的地まで200年――
「けっ……またOFF生活
飛翔体
飛翔体
濃い銀
金属の大気の希薄な領域を器用に縫っていき浅葱色
「……手遅れじゃねえのか、全滅してら」
地上を見下ろした男はぼやいた。
膚
「文明はボツ……仕方ねえな、手遅れって奴だぜ。ならPEACS
男はたどたどしい足どりで蛇行しながら目的地を探し歩いているようだ、ボディスーツの頭部の透明な全面が閃いた、探り当てた反応がモニタに照らされたのだ。
見下ろした地面には何もない、しゃがみこんだ浅葱色
葱色
拾い上げたそれはぎりぎり指が掛かるくらいの立方体だった。
「どこのどいつだ、ポンコツが!」
罵声
「……可愛いお嬢ちゃんじゃねえか……200年ほど費やしたみたいだが、まあ大目にみてやろうか。パイレーツ・オブ・カリビアの大海原