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サイキック・ネットワーク・サービス

作者: ひさまた病

 空に手を翳す。何も感じられない手のひらが、冷気に晒されて冷えていった。

 静寂が、しんしんと降り積もり世界から音を消し去っていく。

 吐く息が白く染まり、宵闇に消えて行く。空に月は無く、青年は唯一知っているオリオン座を眺めていた。

 掴んでいたスマートフォンが震える。暗転していた画面に、ポップアップが出た。


規定ルールの限定更新です』

 

 そうあった。

 腰を落とす錆びた鉄の棒の感触を意識する。尻の肉に食い込み、冷たく凍えそうだった。

 そう思いながら、青年は己の居る小さな公園の低いジャングルジムの上から、辺りを見渡した。

 ビリ、と手の中のスマホから電流が流れる。それと同時に、己を中心として空間に波打つような衝撃が伝播した感覚を覚える。

 ――世界が変わった。

 そう認識するが、事実は異なる。変わったのは、自分自身なのだ。

 ポップアップを指で擦り、眩く光る画面を睨む。限定更新とあった規定の本文が現れる。


『ミケルさんの現在地より半径三キロの範囲に"あしあと"を残した方が一名います』

『この範囲を領域とし、ここから出た場合、あるいはデバイスよりの敗北宣言、若しくは無力化を勝敗として規定します。プロフィールより、相手をご確認ください』


 プロフィールという文字が青の太文字で表示されていた。青年がそれに触れると通信が開始する。読み込みを待つ間もなく、相手のプロフィールに移った。

 ニックネームは『ナナオ』。

 年齢は『一八歳』、『男性』。

 身長は『一六八センチ』で、体重は『六二キロ』。体型は『筋肉質』。

 このサイトで出会えた回数は『三回』。

 異能傾向は『中』の『水』。

「はぁ……」

 青年は一時間ぶりの声を出した。厄介だな、とため息が漏れる。

「水使いか……」

 寒いのは嫌だな、と漠然と思いながら腰を上げる。中腰の姿勢のまま、足をかけていた鉄棒を蹴り飛ばしてジャングルジムから飛び降りた。

 靴底が地面を叩くと同時に、ばしゃんと水が跳ねた。飛沫が身体に振りかかる。予想していた軽快な着地音の不発と冷気に驚きながら、辺りを見渡した。

「マジかよ」

 カラカラに乾いていたはずの土の上に、水が溜まっている。靴に染みこむ前に足が水浸しになってしまったのは、それがくるぶし辺りまでの水位になっているからだ。

 この公園にある水道が、いつのまにか開いていた。音もなく吹き出る瀑布の如き水流は、着水を緩やかにしてその尋常でない水量を流し込んでいた。

 青年は慌てて走りだす。ばしゃばしゃと水を蹴りながら、足が重くならない内に少しばかりの高地を目指す。しかし公園にそんな場所があるはずもなく、結局ジャングルジムに舞い戻ってきた。

「あークソ、寒いじゃねえか」

 ジーンズが水に濡れて重く冷たい。お気に入りのコンバースもぐしょぐしょだ。吐息ですら凍りつきそうな摂氏マイナス五度のこの寒空の下で、よもや水に濡れるとは。

 怒りよりも、虚しさが湧いてくる。

 本当に、厄介だ。

「間抜けな姿だな。はは、まったくお山の大将じゃあるまいし」

 少し高い、幼さの残る声が寒気に震えて耳に届いた。

 見下ろした先に、少年が立っている。水が彼を避けるように円を描いて穴を開けていた。その下の地面は湿ることを知らぬように濡れていなかった。

「おいクソガキ、十八歳未満はご利用を禁止されているはずだぞ」

「未満だからいいんじゃないか、あんたは馬鹿かな?」

 少年はその身に漆黒を纏う。胸元から金色のボタンが整然と揃い、首まで包む固そうな襟を持つその服装は、紛い無く学生服だった。

「はあ? うっせバーカ! 馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですー! 大人を舐めるもんじゃないって、ママから教わらなかったのかなあ?」

「子供かよ」

「うっせえよ! お前のせいでくっそ寒いんだよバカ! 今二月だぞ、華氏二三度だぞ!」

「子供かよ」

「バーカうるせえんだ――よぉ!」

 青年が手を翳す。

 先ほどまで力は何も感じられなかった。だがそれは、先程までの自分だ。

 今は違う。存在そのもの、まるごと違う。今の自分は、比喩ではなく――まったく別の存在だ。


「なっ、ぐおうっ!?」

 突如として空間が弾けた。瞬間に眩い輝きと、凍えた肌が忘れていた滾る熱が爆ぜた。

 学生服の少年は反射的に腕で顔を守り、水を蹴りあげる。己のイメージ通りに、地面を浸していた水が自身を包み込むヴェールとなって防護した。

「ちょ……くそ」

 それでも、少年は焼けるような熱さを感じていた。息を吸込めば肺が焼けそうな熱気が辺りを包んでいる。

 目を開いた先の光景は悲惨だった。

 学生服が焦げ付いている。さらに周囲は火傷しそうなほどに熱せられた水蒸気に包まれていた。熱気の正体はこれだった。

 さらに、どこか近くでぐつぐつと煮えたぎる音が遠く聞こえる。なのに、たたらを踏めばばしゃばしゃと熱湯が飛沫を上げた。

 爆発が起こった。その認識だけが、頭のなかで繰り返される。

 続いて状況を確認する。水が沸騰し、高熱の水蒸気が発生している。認知しえぬ爆発音のせいで聴覚が狂っている。腕も足も熱い。水の操作に集中できない。

「――い。お――い、き……か……!」

 遠くで声が響く。

 否、耳を引っ張られる痛みから、それは耳元でがなりたてられる怒声だと認識できた。


「おい、聞こえるか!? もう戦えねえなら負けたって認めろよ!?」

 青年は、両腕で頭を防護する少年の耳を無理やり引っ張り叫んでいた。それでも、反応は薄い。

「殺したかねえんだよ! わかんだろ、死にたくねえだろ!? こんなくだらねえことで、なあ!?」

 少年はゆっくりと腕を解く。だらり、と落とした腕の片方が、そのままポケットに入った。

「あ、ああ……き、声、声、聞こえてる。わかった、負けだ。僕の、負け」

 言いながら、少年は取り出したデバイスを取り出す。

「水蒸気で、見辛いんだ。操作を、頼む」

「水蒸気はとっくに晴れたよ。残像だろ。目が焼けたんなら悪かったな」

 青年は差し出されたスマホを受け取る。しかし操作をする前に、暗転している画面にポップアップが表示されていた。

 思わず眉間にシワが寄る。それから慌てて、自身のデバイスを手に取る。同じものが表示されているようだった。

 

『規定の限定更新です』


 それを見ると同時に、突如として轟音が響き渡った。

 視界の隅で、大きな何かが一瞬にして崩れ落ちる。大地が派手に振動し、何かが叩きつけられる衝撃が全身をビリビリと震わせた。

 横を見れば、先程まで居たジャングルジムが残骸と化していた。先ほどまで座っていた錆びついた鉄の棒が細切れに切断され、山となって重なっているようだった。


『ミケルさんの現在地より――』


 青年は、また大きなため息を漏らした。

 異能者の出会いは、まだ終わらない。

 青年はスマホを睨みつけて、諦観を踏みにじった。

 このサイキック・ネットワーク・サービスは、異能の輪を無尽蔵に広げていくのだから。

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