第49話
渋谷の街に雨がザァ――と音を立てて降り続く。
五人は傘も差さずにその場に立っていた。
車の走る音、公園の青い遊具。
「…………戻って来たんだね」
陽斗が独り言のように呟く。息をゆっくり吐いて、真下にあった水溜りを覗いた。空から勢いよく落ちてくる雨粒は、水溜りを絶えず揺らしている。陽斗の顔がそこにはっきり映ることはなかった。
「……そうだな」
深海が息と共に言葉を吐き出す。そして、自分の胸元に目を向けた。
「夢だったんじゃないかと思うが、どうやら現実だったようだ」
そこには、式典で受け取った勲章がきらりと光っていた。
「あ! 俺のバイク!」
日下部は大声を上げて、自分がバイクを置いた辺りに駆けったが、それはもうない。がっくりと項垂れる日下部の横に奈瀬がつく。
「警察に持って行かれちゃったんじゃないですか? 違法駐車ですから」
奈瀬が嘲笑気味に自分の赤い傘を差す。それを恨めしそうな目で日下部が睨む。
カルマは持っていたビニール傘を差して、雨の中でも全員に声が届くようにはっきりと声を上げた。
「あの!」
皆の視線がカルマに注がれる。
「皆さん、本当にありがとうございました! 私の人生が大きく変わったのは、皆さんのお陰です!」
カルマはそう言ってから、若干下に目線を移した。
「……もうロッドはありません。だから、この世界で皆さんを魔法で喜ばすことはできない。でも、魔法に頼らずこの世界できちんと生きていきたいと思ったんです。……これから木本さんに会いに行ってきます。これからはずっと同じ世界ですから、またみなさんと会えるのを楽しみにしています!」
カルマは深々と頭を下げた。暫くして頭を上げたカルマの表情は晴れ晴れとしていた。その笑顔を見て、四人はお互い顔を見合わせて微笑む。
「ここで突っ立っててもしょうがねーし、帰るか!」
日下部が手をポンと叩いた。
既にずぶ濡れになった体に傘を差し、五人は渋谷駅へ向かう。
「あ、雨が止んだ」
駅に着く頃、奈瀬が傘をたたんで空を見上げた。灰色の雲から眩しい太陽が顔を覗かせる。
「またな!」
陽斗はJR、深海は半蔵門線、奈瀬は井の頭線、日下部は東急東横線、カルマは東急田園都市線に乗り、五人は別れた。
久々に乗る電車。同じ時間、同じ場所にこれだけ沢山の人がいる。その感覚が不思議に思える。
陽斗は東急池上線の荏原中延で降りて、家路についた。
家の前に着き、全体を眺める。約一ヶ月しか経っていないのに、ひどく懐かしい気がした。
インターホンを押そうと手を伸ばすと、突然ドアが開いた。
「あ! お兄ちゃん! どこ行ってたの!? 心配したんだからね? 学校も一日サボったみたいだし!」
沙雪はどこかへ遊びに行くのか、可愛いらしい私服で出てきた。
「うーん、どこって……。というか、心配したって割に友達と遊びに行くなんて随分余裕じゃん!」
沙雪は陽斗の言葉に一瞬詰まったが、だって! と続けた。
「お母さんが大丈夫だって言うんだもん。何かお母さんもお父さんもお兄ちゃんがいる場所知ってるっぽかったし。あたしが訊いてもはぐらかされたけど。学校から電話かかってきた時も風邪でお休みの連絡をし忘れて申し訳ありませんって言ってたし。それに、一応お兄ちゃん出て行く前に、友達んちに泊まるって言ってたしさ」
(母さんも父さんもおれがいた場所を知っていた……?)
「……つまり、沙雪はあんまり心配してなかったってことだよね?」
「そ、そんなことないよ!」
沙雪は慌ててそう答えてから、行ってきます! と言って足早に駅に向かった。
陽斗は一度深呼吸をしてから家に足を踏み入れた。
「ただいま!」
陽斗の声に反応し、父と母の両方が玄関にやって来た。陽斗は二人をじっと見つめる。
「何ぼーっとしてんの! 早く中に入りなさい。今お茶入れるからね」
母に急かされ、手洗いうがいをしてリビングに入った。
自分の席に座り、目の前に置いてあった温かいお茶を口に含む。何だか、凄くほっとした。
「どこに行ってたの?」
母が椅子に座りながら、陽斗に訊く。
「……沙雪が、父さんも母さんもおれがいた場所知ってたみたいだって言ってたけど」
陽斗は、顔を見合わせる父と母を交互に見つめた。彼らを試してみたくなった。
「知ってたわけじゃないよ。ただ、そこじゃないかなって勝手に思ってただけ」
「で、どこだと思ってたの?」
陽斗の言葉に母親は一瞬迷うような表情を見せたが、彼女は諦めたように口を開いた。
「……エスディアよ」
(やっぱり知ってたんだ……)
「約一ヶ月間この家にいたのは、おれじゃないってことも分かってた?」
陽斗の言葉に、母親は静かに首肯する。
「その間ずっとこの家にいたのは、ランド様でしょ? いくら顔がそっくりだからって陽斗かどうか分からないはずないわ。だって母さんは陽斗の母親なんだから」
陽斗はそれを聞いて、向こうの世界での出来事を全て話した。目の前にいる母親がライレーンの乳母であるという事実を知ったことも全て。
それを聞いた上で、母親はそう……、と呟いた。
「随分向こうの世界は大変なことになっていたのね」
「あのさ、母さん。母さんはどうやってこの世界に来たの?」
陽斗の質問に、彼女は思い出すように遠い目をして、それから穏やかな雰囲気を纏った。
「陽斗を抱いてライレーンを出てから数日後、今まで見たこともない小屋を見つけたの。こんな所にこんな小屋あったかなって思ったんだけど、陽斗はまだ生まれたばかりだったし、その日はそこに泊まろうと思って中に入ったわ。朝起きてその小屋を出る前に、陽斗を抱いたまま身なりを鏡でチェックしたの。そうしたら、気づいたらこの世界に来てた。雨が降ってて、全然知らない場所で。最初は凄く驚いたんだけど、驚いたのは母さんだけじゃなかった」
母は父に目を向ける。父は懐かしそうに笑った。
「そうだよ。あの時はホントびっくりしたよ。雨が降っててあんまり人のいない公園にいたら、突然人が現れたんだからな」
父は当時若手社員で、新規顧客開拓を任されていたらしい。しかし、あまり仕事が上手くいっていなかったようだ。雨が降るある日、一人になれる場所を探して公園に入ったらしい。
「渋谷は人が多いだろ? だから人が少ない所ってなくてさ。近くの公園を覗いたら雨が降ってるせいか人がほとんどいなくて。そしたら母さんが陽斗抱いて現れたってわけよ。びっくりして思わず話しかけた。そしたら、この世界の人間じゃないって言うんだから、もっと驚いたよ! それが母さんとの出会いだな」
微笑しながら父が語る。
(そういえば父さんと母さんの出会い話、初めて聞いたな……)
「陽斗」
母が陽斗を真っ直ぐに見据える。
「陽斗がライレーンの王様、王妃様と血が繋がっていても、誰が何と言おうとも、私たちは陽斗の父親母親なんだからね? 王様王妃様には悪いけど、陽斗は私たちの子供なんだから!」
母が悪戯っぽくニッと笑顔を見せる。
「一国の王子になるはずだったのに、ただのサラリーマンが父親になっちゃって申し訳ないな」
父も笑いながら冗談っぽく言う。
「二人とも何言ってるの……?」
陽斗の言葉に二人は不思議そうな顔で彼を見つめた。
「最初からおれの父さんと母さんは一人しかいないし、ただのサラリーマンの子供で俺は満足だよ? 向こうに行って、この家がどれだけ温かいか、どれだけ大切か、どれだけ好きか、離れてみてそれが分かったんだ。だから向こうに残るという選択肢を捨てて、この家に戻ってきた。それくらい、この家は、この家族はおれにとってかけがえのない存在なんだよ……!」
母はもう泣いていたし、父も瞳が濡れていた。陽斗は自分で言っていて少し恥ずかしくなったが、それでも口にできて良かったと思った。




