第4話
陽斗は、先に教室に到着し自席でさっきと同じ本を読んでいる深海を一瞥して、彼の前の席に腰を下ろした。
朝から変わった奴だと思っていたが、奈瀬から話を聞いた後だと余計だ。凄まじいオーラを放っているような、そんな感覚が背中に伝わってくるようなこないような。
全員が席に着くと、中森先生はそれを確認するように教室を見回した。そして、プリントを配り始める。オリエンテーションの三日間のスケジュールと連絡網の確認のプリントだ。
陽斗が後ろにプリントを回す時も、深海は目も合わさずそれを受け取るだけだった。
適当にプリントの内容に目を通し、先生が何か話しているのを聞いている振りだけして時間を過ごす。
今日の最後のイベントは席替え。というより、無秩序に座っている今の状態から出席番号順に綺麗に並んだ状態にするというだけの話。ということは――。
「よっ!」
後ろから陽斗の肩を軽く叩く奈瀬。彼女の席は陽斗の後ろ。そして左は……。
「あ、深海くん。初めまして。よろしくね!」
窓側から三列目の後ろから二番目の陽斗の席。後ろは奈瀬。左は――深海。
奈瀬は笑顔で深海に話しかける。
深海は奈瀬の顔を見て、
「よろしく」
とだけ短く答えた。それからすぐに読みかけの本に目線を落とす。だが、奈瀬はそんなことはお構いなしに、深海に話し続けた。
「わたし、新聞部で。深海くんに興味をもって色々調べたんだけど、その内容新聞に載せてもいいかな?」
深海の動きが一瞬止まり、それから本をぱたんと閉じる音が響いた。彼は鋭い目つきで奈瀬を見上げる。
「どこまで調べたのか知らないけど、それって個人情報だよね。学校新聞に載せる内容ではないと思うけど」
「……そうですよね」
奈瀬は明らかにがっかりして、戻って席に着いた。個人情報という言葉には弱い。
今日は新学期初日のため、午前中で終わりだった。
「奈瀬さん、今日これから時間ある?」
まだ生徒たちがお互い喋っている教室で、陽斗は後ろに振り向いた。
「うーん、今日は空いてるけど……」
「もしよければ、帰りちょっとスタバ寄らない?」
奈瀬は少し考えてから、嬉しそうに返答した。
「いいよ!」
奈瀬は十中八九誘いに乗ると陽斗は思っていた。深海が新聞への掲載を拒否した段階で、奈瀬の性格上誰かに話したくて仕方ないはず。誘って話を聞けば、彼女は喜んで答えてくれるだろうと踏んでいた。
そんなことを話している間に深海の姿は消えていた。一番に教室を出て行ったに違いない。彼は学校が終わるとどこへ行くのだろう。直帰するのだろうか。
「じゃ、行こっか!」
教室を出て、下駄箱へ向かう。そこでローファーに履き替えて、学校の敷地から一歩踏み出した。目の前は二車線ずつある大通りで、道路を走るタイヤの音が大きく聞こえる。守られている空間から、一瞬にして別世界へ飛び出したような、そんな感じがする。
奈瀬は陽斗の前を歩いて駅の方に向かった。
「でも何でスタバ? ドトールとかベックスとかタリーズとか、カフェは沢山あるのに。しかもスタバって高いんじゃないの?」
(奈瀬さんって値段気にしなさそうなのに意外だな……。それにスタバってそんなに高いっけ?)
「今、ハマってるんだ。スタバのカフェモカ」
奈瀬はふーんと鼻を鳴らした。
「あんまりカフェって入ったことないけど、そんなに味変わるもんなんだ?」
「分かんない。多分ほとんどのカフェは変わらないと思う。だけど、スタバで飲んだ時、その美味しさに感動したんだ」
坂を下りて山手線の高架下を通り、スクランブル交差点の前に出た。
「そこのスタバでいいよね?」
陽斗はガラス張りの建物の二階に貼り付けられたスタバのロゴを指差す。しかし、奈瀬は首を縦に振らなかった。
「確かマークシティの中にスタバあったよね? そっちじゃダメかな? そこのスタバ混んでるし、わたし井の頭線だから」
渋谷にスタバは山ほどある。別に話ができるところなら正直どこでもよかった。
方向転換し、井の頭線方面へ行く長いエスカレーターに乗った。そこにいたほとんどが、そのままエスカレーターを降りてホームへ向かう中、二人は一人乗りのエレベーターに乗って更に上の階を目指した。
「あった! ここだよ」
陽斗の誘ったスタバほどではなかったが、奈瀬が指さしたスタバも混んでいた。店員がテイクアウトかインか並んでいる客に訊いている。
二人は大学生くらいのカップルの後ろに並んだ。前はその一組だけだ。
店員がやってきたので、陽斗は店内に入ることを伝える。
「で、わたしを誘った理由は何?」
奈瀬は微笑しながら陽斗を見つめる。何となく予想はしているのだろうけど、直接聞きたいらしい。前に並んでいたカップルが案内されて店内へ入って行った。
「朝の話の続きが訊きたくてさ。深海のこと」
陽斗の言葉に奈瀬は目を輝かせる。
「やっぱり言いっぱなしだと気になるよね!」
ちょうど入れ替わりの時だったのか、陽斗たちもすぐ席に案内された。入って右側の段差を上がったところの席だ。
財布だけ取って、バッグは椅子に置いたままカウンターへ向かう。
「カフェモカのアイス、トールサイズでお願いします」
陽斗がそう頼んだ後、奈瀬は奥の壁に貼ってあるメニューと睨めっこしながら店員に質問を投げかけていた。
「甘い飲み物がいいんですけど、どれがいいですか? あ、チョコレートとかは苦手なんですけど」
店員は、それでしたら、とキャラメルマキアートを勧めた。
「あ、じゃあそれの普通サイズをアイスで」
二人はカウンターでそれぞれのドリンクを受け取って、バックの置かれた席に戻った。
「深海くんの話だよね? どこまで話したんだっけ?」
奈瀬はキャラメルマキアートのストローに口をつける。
「スコットランドヤードに捜査協力してたってところまで。何で高校生に捜査協力?」
「あ、これ美味しい! 何ていうか、マイルドでコクがあっていいね!」
奈瀬はどうやらキャラメルマキアートが気に入ったようだ。
「ごめんごめん。捜査協力の話ね。イギリスでさ、ジャック・ザ・リッパーの模倣犯が出たらしくて。で、スコットランドヤードが犯人逮捕に手古摺ってた時に白羽の矢が立ったのが、深海くんだったわけ。元々、イギリスの大学で起こる不思議事件を解決していたとかで、有名だったんだって。日本の警視総監の息子ってこともあって声が掛かったらしいけど、本当はどうせ解決できないだろうってダメ元で頼んだらしいよ。誰も期待していない中、見事深海くんが華麗に解決してくれちゃったってわけらしい」
陽斗はカフェモカを飲むことをすっかり忘れていた。
(何て化物だ! どんだけ頭の回転いいんだよ!?)
「そもそも深海って何でイギリスにいたの? お父さんは日本にいるでしょ」
「小学生の時にお父様の転勤でイギリスに行って、そのままみたいだよ。お父様が帰国される時に帰らないでイギリスに残ったんだって」
深海の話を聞いていると、どこかのドラマやマンガに出てきそうなキャラクターのような気がして、自分が非日常空間にいるような錯覚に陥りそうになる。それを止めるかのように、右手に持っていたカフェモカをじっと見つめた。
「今回深海が日本に戻ってきた理由は何なの?」
「それなんだけどさ」
そう言って奈瀬が置いたカップの中には細かい氷だけが残っていた。
「渋谷で高校生が行方不明になっている事件あるでしょ。どうやら、それが関係してるらしいんだよね」
まだ半分ほど中身が入っているカップを机に置き、陽斗は眉を顰める。
「あの事件は警視庁が調べてて、まだ何も掴めてないんだよね? 行方不明になってからもう一ヶ月経つし、可哀相だけどその子はもう生きてないんじゃないかな?」
「高校生の生死は関係ないよ。警察も半ば諦めてる。深海くんが呼ばれたのは、犯人逮捕のため。周辺で不審人物の浮上はなし。証拠品は血のついた高校生の傘だけ。しかも誰の血か判別できない。聞き込みで、事件現場を特定できただけ。この状況の中で果たして深海くんは犯人を捕まえられるのかな」
奈瀬は深海の置かれた状況を楽しんでいるようだ。だが、陽斗はそんな彼女の表情には気付かない。話を聞きながらただ事件のことを考えていた。
「神隠し……」
ぽつりと零れ落ちた自分の声。予期せず口を突いて出た言葉を聞き、陽斗は自分で自分の口を塞いだ。そんな非科学的なことがこの世にあるわけない。自分で言っておいて、恥ずかしくなった。
「神隠しね……。中々いい見出しだよ! 今度使わせてもらうね」
二つのカップから飲み物がなくなって暫くして店を出た。
上ってきたエレベーターと反対側に設置してあるエレベーターで下の階に下りる。
「そういえば、今日深海はすぐに教室を出て行ったけど、どこに行ったんだろう?」
「多分、警視庁に挨拶しに行ってるんじゃない? 昨日の夜の便で帰国して今日から学校。まだ事件現場にも行ってないんじゃないかな?」
「ふーん……」
陽斗と奈瀬は井の頭線の改札前に来た。
「じゃあ、今日はありがとう。スタバが美味しいって分かったよ」
そう言って奈瀬は陽斗に背を向け、改札を通ろうとして動きを止めた。それから陽斗のところに小走りで戻ってきた。
「あのさ、携帯のアドレス教えてくれる?」
「うん、いいよ」
「赤外線でいい?」
二人は端の方に避けて、携帯のアドレスを交換した。
「じゃあまた明日」
奈瀬が手を振る。陽斗もそれに合わせて手を振り返した。
(お腹も空いたし、おれもそろそろ帰るか)
陽斗はJRの改札口へ向かった。