第29話
次の日、深海が教室に入った時ランドは既に席に座っていた。
「よ! フカミ! オレ早いだろ! 迷子になったら困るから早く家を出たんだ。昨日より電車も空いてたし、良かったよ!」
にこにこしながらランドが喋る。深海はやはり疲れた顔をしてランドにノートを渡した。
「今日の分だ」
深海は席に座るとバッグを横にかけるなり、突っ伏して仮眠を取り始めた。
間もなくして始業のチャイムが鳴り、中森先生が出席簿を開く。
「えーっと、今日の休みは奈瀬さんね」
彼女の一言に深海とランドは一斉に奈瀬の席を見た。
(ナセ具合悪いのかな……?)
(今日が土曜で午前中しかないからってサボったな……)
それぞれの思いを内に秘め、午前中だけの授業が始まった。
午前十一時五十分頃、英語の授業中に深海の携帯が突如として振動した。
(まさか月橋……!?)
深海は急いでポケットから携帯を取り出し、机の下で画面を見る。
(「奈瀬冴歌」……。今授業中だぞ?)
深海は無視することに決めた。が、何度も電話がかかってくる。
(せめてメールにしてくれよ! そんなに緊急なのか?)
深海は奈瀬にメールを打とうとして、突然天井からの蛍光灯が遮られるように影ができたことに気づいた。そして右上を見上げる。
「深海くん……、随分余裕ね。黒板に書かれている日本語を英訳して」
怒気を纏ったアラフォーの英語教師に言われ、深海は軽く溜息をついた。
「『All living things are made of organic compounds, which are based on carbon.』……Miss, I’ve been in the UK for ten years so your class is boring. I’m afraid…would you leave me alone, please?(先生、僕はイギリスに十年もいたので、あなたの授業は退屈なんですよ。すみませんが、放っておいてくれませんか?)」
先生は口を開けたまま閉じることができず、深海は先生に喧嘩を売ってしまい大きく溜息をついて額に手を当てた。教室は静まりかえっていた。
(無駄な争いを……。俺疲れてんな……)
深海は携帯を持ったまま、唖然と立ち尽くす先生の横を通り、廊下に出た。
「お、おいフカミ!」
ランドもなぜかそれに続いて教室を出て行く。
「フカミ、大丈夫か? 何言ったか分からないけど、先生めっちゃ怒ってる風だったぞ!」
トイレに向かう深海をランドが追いかける。深海はそんなランドに構う様子もなく、携帯で奈瀬に電話をかける。
『あ、深海くん! 張り込んでた甲斐があったよ! 諸星くんのことを詳しく知る人捉まえたの! 今すぐ昨日の施設に来てくれない? その人にはわたしたち友達だって言ってあるから!』
「……奈瀬さん、今授業時間中なんだけど。奈瀬さんのせいで先生怒らせてしまったじゃないか」
『え? 意味がよく分からないけど? ま、とにかくすぐ来てね! それまで引き留めておくから! じゃ!』
奈瀬は要件だけ言ってすぐ電話を切ってしまった。深海は再び大きく溜息をつく。
「ランド、行くぞ!」
「ど、どこに?」
「昨日の施設だ。諸星のことをよく知る人を奈瀬さんが捉まえたらしい」
「ナセやるな! 了解!」
二人は教室の前に戻り、深海は勢いよくドアを開けた。先生、生徒の視線が一気に二人に注がれる。
深海は先生の前に来て、足を止めた。
「先生、先ほどは済みませんでした。家で飼っていた犬が今日の朝亡くなってしまい、気が立っていたんです。父は仕事、僕は学校に行かなくてはならず、亡くなった犬を家に置いてきているんです。腐ってしまうと困るので冷房はかけてきたんですが、気が気じゃなくて……。祖母に家に来てもらうように頼んだんですが、家に来たら来たで何をすればいいのか分からないようで。それで電話を何度もくれていたんです。だけど、授業中に電話はできないので、メールで教えてあげようと思ったんです。それで先生に注意されて、つい言ってはならないことを口走ってしまったんです。本当に申し訳ありませんでした。でも、今日はそのせいか体調も優れませんし、この授業で今日は終わりですが、早退させていただきます」
俯きながら言う深海に、先生は憐憫を誘われ、静かに言った。
「ペットは家族だものね。深海くんの気持ちも分かるわ。反省もしているようですし、顔色も悪いみたいだし、今日は帰った方がいいかもしれないわね」
やつれた顔の深海を見て、先生は心配そうな表情を浮かべる。
「はい。済みません……。お言葉に甘えて今日は帰らせていただきます。中森先生にもよろしくお伝え下さい」
そう言って深海は帰り支度を整え始めた。
ランドも何食わぬ顔をして深海と同じように帰り支度を整えていると、誰かが真横で立ち止まった。ランドはゆっくりとそちらに首を捻ると、視界に映ったのは睨みをきかせた先生だった。
「月橋くん? あなたは何をしているのかしら?」
「えっと、オレの家も飼っている猫が今朝死んじゃって……」
「そんなわけないでしょ! 犬を猫に変えただけで騙されると思わないことよ!」
ランドが先生に怒鳴られている横を深海はバッグを持って涼しい顔で通過する。
「それではお先に失礼します」
深海は一礼して教室を出て行ってしまった。
(え、フカミ! オレのこと置いてくの!?)
「さっさと教科書出して! 月橋くんはあと三十分しっかり授業に集中しなさい!」
強い口調で言われ、ランドは脱力気味に椅子にすとんと腰を下ろした。仕舞ったはずの教科書を悲しくもバッグから取り出す。
(フカミー、置いてくなよぉ!)




