3話 静かな森
セリスの様子から、ただ事ではない空気を感じた。
しかし、――その理由がわからない。
「……ヴァルグの森って、何なんだ?」
「え……」
セリスは一瞬言葉を失い、はっとしたように息を呑んだ。
「そっか、ソーリはわからないよね」
何か呟いたと思うと、セリスの顔色が少し曇る。
「セリス大丈夫?」
「私は大丈夫」
セリスは小さく首を振り、視線を落とした。
「ヴァルグの森はね、この辺りでは一番危険な場所なの」
「普通の人は、近づきもしないし……この町では入ったら帰れない、とまで言われてる」
あそこはそんなにやばい所だったのか。確かに死にかけたしな俺……
「それにね、ソーリが対峙したスライムだって、油断したら命を落としちゃうくらい強い魔物なんだよ」
「そうだったんだ。ちなみに魔物も魔法は使うの?」
「使うよ。種族や生息地、食べるものとかによって得意とする魔法は変わるの」
「ヴァルグの森は他の森や洞窟に比べてかなり強い魔物が発生する危険区域だから近づいちゃだめ」
「フィリアの森から来たんだと思ってたのに」
「そこは安全な場所なの?」
「100%とは言い切れないけど、道も整備されてるし魔物被害は少ないの」
「そうなのか。色々教えてくれてありがとう」
この世界では今までゲームやアニメで得た知識が全く役に立ちそうにないな。スライムですら人を殺せちゃうみたいだし。
「南にねアルディアっていう大きな街があるの。
ミルヴェラよりずっと栄えてて、人も多いし色んなものが集まってる場所。
商人とか冒険者の出入りも多いから、安全だし日本についても何かわかるかも……
とても賑やかでソーリも驚くと思う」
確かにミルヴェラは田舎町だから情報を得ようにも限界があるだろう。
「それでね、そアルディアにはアルセナ魔学院っていう場所があって――」
セリスが視線を逸らしながら言っている。
「お父さんが魔学院の教官でね、魔法について学べるの。良かったら私と一緒に行ってみない?」
今の俺はこの世界では当たり前である魔法が使えないし、日本へ帰る手掛かりを探すためにも最低限の魔法は身に付けるべきだよな。
「是非行きたい!
けど、お金とかはだいじょうぶなの?」
「任せて。それについてはお父さんに相談するから」
少しだけ安心したように笑うセリスに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……本当に、助かってる」
「どういたしまして。困ったときはお互い様でしょ?」
そう言って微笑むその表情に、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。
「よし、それじゃあ決まりだね。準備しよっか」
――多分、いや間違いなく。
俺がこの世界に来てから、こうして落ち着いていられるのは、セリスがいてくれるからだ。
「ありがとう」
「うん」
「それとね、ソーリ。先に着替えたほうが良いかも。その格好ちょっと目立つから」
セリスが用意してくれた服に袖を通す。
フード付きのコートに、細身のズボン。しっかりとした革のブーツ。
さっきまでとは違う、軽くて動きやすい感覚。
「どうかな?」
「うん、バッチリ。似合ってるよ」
セリスは満足そうに頷いた。
「それじゃあ、準備できたし……行こっか」
「ああ」
不安と期待が混ざる。
けれど――
一人じゃない。それだけで足は前に出た。
ミルヴェラの町には人の気配が満ちていた。
行き交う人々の視線が、時折こちらに向けられる。少し居心地が悪かった。
「正門は使わずに、外れから出よう」
「え? なんで?」
「ソーリ、ヴァルグの森にいたんだよね?」
セリスは少し声を落としながら続けた。
「あそこから来たって知られたら、変に目を付けられるかもしれない。
あの森に近づく人なんていないし、ソーリは目立つから」
「なるほど……」
あの場所が普通じゃないのは俺でもわかる。
「だから、一旦東に回ってフィリアの森を抜けようと思うの」
「了解。そっちなら安全なんだよね?」
「うん、でも完全に安心しきっちゃだめだよ」
取り敢えず気を引き締めてセリスについて行こう。
「あそこがフィリアの森の入り口。さっきも言ったように、魔物が出ることもあるから油断しないでね」
前方約100m先に何の変哲もない木々が見えた。
「俺はセリスの後ろをついて行けばいいよね?」
「うんそれで大丈夫」
やはりセリスは頼りになる。
森の手前まで来たとき、ミルヴェラやヴァルグの森とは違う空気を感じた。
なんだか全身を温かい空気で包まれ、癒されるような感覚。
「温かい……」
「ふふっ」
少し張り詰めた顔をしていたセリスが微笑んだ。
「フィリアの森はね、他の場所より魔気が穏やかなんだ」
「魔気は、色々なものに干渉するの。例えば草や木々、それを食べる動物達、その土地に住み着いて魔気を利用する人間とかね」
「だからこの辺りの魔物は弱いのか」
それなら納得できる。ヴァルグの森は気味が悪く、そこにいた魔物も強かった。
少しずつこの世界がわかってきたぞ!
「それは少し違うかな」
「え?」
「ここにいる魔物は強いよ」
「でも安全なんじゃ……」
「うん。それは優しいから。もっと言うなら、自分のほうが強いからだよ」
「もちろん個体差はあって、弱い魔物もいるけどね」
俺はまだこの世界を何もわかっていなかったみたい。
「魔気に違いがあるのは、神様の力なのか?」
「ソーリってば鋭いね。神様の力が関係してるって言われてる……
けどね、私は違うと思うの」
「違うって、なにが?」
「魔気の違いが、神様の力によるものだってこと」
――はい?
頭の中では、はてなが生まれた。
「そう言われてるだけで、ちゃんと証明されてるわけじゃないの」
セリスは真剣な表情で続けた。
「五柱の神が世界の均衡を保ってるっていうのは有名な話だけど……
それと魔気の性質の違いが関係してるかは、別だと思う」
「じゃあ、なんで場所によって違うんだ?」
「わからない」
「ワカラナイ?」
「うん、わからない」
きっぱりとセリスはそう言った。
「だから、わたしは――」
その時だった。
――カサカサ……
「今の、聞こえた?」
「何かの足音?」
「そうだね。多分虫型魔物、それもかなりの数」
徐々に奇妙な大量の足音がこちらに向かってくる。
「ソーリ! 私の後ろに隠れて!」
背の低い草木の下から、黒い何かが這い出てくるのが見える。
「蟻……?」
蟻のような形のその魔物は、手のひらほどの大きさで、身体は黒く、眼が赤い。
蟻にしては大きかったので、正直気持ち悪い。
気づいた時には周りを囲まれていた。
「こいつらは”アント”。
大きな顎で嚙みついてくるから気を付けて」
本当に気持ち悪い。
昔から創理は虫が苦手で、蟻も例外では無かった。それも手のひらサイズの蟻。
這い寄ってくるアントを創理は足で払いのけた。
「ソーリダメ! アントを刺激しないで!」
セリスが大きな声を上げる。
しかしその時にはもう遅かった。
ギチッ
「いっ、てぇ……!」
鋭い痛みが足に走る。
「くそっ」
足に嚙みついたアントを振り払うと同時に、じわりと血が滲む。
「こっちに来て!」
セリスの鋭い声が聞こえた。
直後、
風が巻き起こり、足元に群がるアントたちは一斉に飛ばされた。
しかし、地面はまだざわついている。
――カサカサカサ
「数が多い……」
セリスは歯を食いしばり呟いた。
吹き飛ばしたはずのそれらも、体勢を立て直し、再びこちらに向かってくる。
「ダメ、キリがない……!」
その言葉で理解した。
これ、マジでやばくね?
「ソーリ、立てる?」
「うん、なんとか」
「足は治したから、走るよ!」
次の瞬間、手を引かれ走り出す。
迷ってる暇などなかった。




