ゆいちゃん
廊下で、背中を向けたままの友だちに声をかけた。
振り向いた顔を見た瞬間、走って逃げた。
――でも、置いて帰ったことは、どうしても許せなかった。
「ゆいちゃん、まだ片付け終わらないのかな……」
教室に残っていたのは、もう私ひとりだった。昼間あれだけ騒がしかった空間が、夕方になると別の場所みたいに冷える。窓の外は薄暗く、黒板の文字だけがやけに白く見えた。
家に帰れば、お母さんがフルーツポンチを作って待っている。そう思うと、落ち着かない。約束していた相手が来ないことより、教室にひとりでいることの方が怖くなってきた。
「……探しに行こう」
子ども用携帯をポケットに押し込んだ。遅くなると母に心配されるから、いつも持っている。ランドセルを背負って廊下へ出た。
――いた。
廊下の先に、ゆいちゃんが立っていた。壁を向いたまま、動かない。近づくほど、背中が大きくなる。
「……ゆいちゃん? 片付け終わった? 一緒に帰れる?」
返事はすぐには返ってこなかった。
しばらくして、背中のまま、声だけが返ってきた。
「……ち、い、ちゃん、お待たせ。一緒に、カエロウ」
言葉の区切りが、変だった。声も、いつもの明るさがない。胸の奥が、どくんと重く鳴る。
どうして振り向かないの。
聞きたくないのに、聞いてしまう。
「……どうして、後ろ向いたままなの?」
ゆいちゃんが、ゆっくり言った。
「それはね……こんな顔に、なっちゃったから」
振り向いたゆいちゃんの顔を見て、息が止まった。
顔色が赤い。目が血走っている。おでこに二本、角。笑っているのに、笑っていない。鬼みたいな顔だった。
「きゃあああ!!」
私は叫んで、反対方向へ駆け出した。靴音が廊下に響く。階段へ飛び込み、二段飛ばしで下りる。
踊り場の壁に、美月先生が立っていた。壁に向かって。
「廊下は走っちゃだめよ」
背中のまま、淡々とした声。
「美月先生……! ゆいちゃんが、ゆいちゃんの顔が……!」
言葉がうまく繋がらない。壁に向いた背中が、妙に不気味だった。先生がゆっくり続ける。
「その顔って……こんな顔だったかい?」
振り向いた先生の顔も赤く、目が血走り、角が生えていた。
「きゃあああ!!」
もう止まれなかった。昇降口まで走り、靴を履き替えて、家まで一気に駆けた。
「お母さん……!」
台所で準備をしている背中に、学校のことをぶちまけようとして――言葉を飲み込んだ。
もし、お母さんまで。
「どうしたの? 何かあったの?」
背中を向けたまま、声がする。背中が、いやに大きい。喉がひゅっと鳴った。
「……ううん。なんでもない」
「今日のおやつはフルーツポンチよ」
振り向いた顔は、いつものお母さんだった。甘くて冷たい味に、少しだけ息が戻る。
――でも。
夜になっても、胸のざわざわは消えなかった。ソファに寝転がって、天井を見つめる。何が起きたのか、分からないのに、分かってしまう感じがする。
電話が鳴った。
お母さんが出る。受話器を耳に当てたまま、私の方を見ない。声が少し小さくなる。
電話を切ったあと、お母さんは受話器の方を向いたまま言った。
「ゆいちゃんのお母さんから。ゆいちゃん、まだ学校から帰って来ないんだって。何か知らない?」
背中に冷たい汗が流れた。
背中だ。背中を向けたまま話すとき、何かが始まる。
いま、言っちゃだめ。
「……知らない」
怖くて、そう答えてしまった。
「そう……」
振り向いた顔は優しいのに、胸がもっと苦しくなる。
ゆいちゃんは、まだ学校にいる。
私は、友達を置いて帰ってきてしまった。
ポケットに手を入れる。子ども用携帯が、冷たく当たった。画面を見ないように、ぎゅっと握りしめる。見たら、行かなくていい理由が見つかってしまいそうだった。
玄関の鍵を開ける。外はもう真っ暗だった。
「……待ってて。ゆいちゃん。いま行くから」
私は夜の学校へ向かって、走り出した。
to be continued
ここまで読んでくださってありがとうございます。
僕の作品は「決して見捨てない」ことを主軸にしています。
ちいちゃんが怖かったのは、角の生えた顔よりも、置いて帰ってしまった自分でした。
続きを書くなら、母親がちいちゃんの子ども用携帯の位置情報を頼りに、深夜の学校へ探しに行く回を書きたいと思っています。戻った先で、ちいちゃんはどうなってしまったのか。一旦今期のゆいちゃんはここまでにしようかと思っています。
ホラー短編オムニバス形式で毎週金曜日21:00更新を目指しています。第一期は30話を目標にしています。よろしくお願いします。




