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八、

 今日の日曜日は、いつもとは一味も二味も違う休日で、今、我が家には章子の客人が二人も訪れている。

「章子ちゃんち、また行きたいな。今度は彩花、ううん、花田さんも呼んでいい?」

 ある日の円香の要求を叶えるべく、章子は無心になって千春専門学校まで二人を迎えに行った。

 円香と花田は、幼稚園の頃から親交が深い幼馴染み同士だと聞く。

 章子は未だ円香へ不信感を抱いたままだった。学校では目も合わさず、笑顔を向けることもなく、会話をすることもない。そんな接点の少ない存在を真の友達と呼べるのか。

 円香がなぜ近付いてきたのかその意図すら分からず、章子の脳内では単純な疑問が尽きない。行方知れずとなった漫画本は、初めて円香を自宅に招いた翌日に章子が一人で公園を探し歩いたが見つからず、探索を断念していた。漫画本の行方について、章子から円香へ事情を聞くことはできず、円香からも章子に真相を明かすことはなかった。渚の影響で吝嗇家な一面を持つ章子は、失くされた漫画本一冊分でうまいよん棒が十本は買えるはずだから三日間は生きていけたのに、などと眉を曇らせ思い詰めてしまう。

 花田に対しては嫌えるほど知らないが、直感で互いをよく思っていないことは明白だろう。円香が間に入らなければ、決して自宅へ招くこともなく当然会話だって交わすことはないだろうと思う。それだけに花田はクラスメイトの中に複数人はいるギャルだった。髪の毛を明るく染め、けばけばしい化粧をして、派手な格好をしていることが多かった。

 章子は臭い物に蓋をするかのように、円香と花田、二人への複雑な心情を抑制しながら時間ぴったりに待ち合わせ場所へと到着した。

 円香は爽やかな水色のシャツに淡く優しげなピンク色のスカート。花田はゴールドのラメが煌めくゴージャスで大人びた黒のニットと暖色カラーのグラデーションが映えるタイトスカートという身なりで、既に校門の前に立っていた。章子はオセロのような白黒チェックの長袖Tシャツとパンツという極めてシンプルな服装で、待っていた二人に軽く会釈をすると自宅まで連れてきた。道中、三人の会話が弾むことはなく、幼馴染み同士が学校の授業内容を話題にぽつりぽつりと雑談をする程度だった。章子はその話には加わらず、逆に話を振られることもなく、まっすぐ前を見つめて無言で二人より先を歩いた。

 円香と花田を家に招くことは、事前に渚へも伝えてあり、ようやく孤独続きだった我が娘にも友達ができた、と渚は目に涙を溜めながら喜んでいた。

「二人とも可愛い~! いつも章子のことを気にかけてくれて本当にありがとう。これからも、うちの子と仲良くしてくれると嬉しいな。ねえねえ、二人は部活とか委員会とか入ってるの? うちの子、家に帰ってきても全然学校の話をしてくれなくて。普通じゃないよねえ」

 渚は家の引き戸を開け玄関土間まで入ってきた二人を、中年女性が出すにはあまりにも不自然な猫なで声で出迎えた。

 時と場合と人によりキャラが豹変する渚に、章子は恥ずかしさと同時に苛立ちを覚えた。これでは円香により一層、親から何不足なく与えられているお金持ちのお嬢さまだと勘違いされてしまうのではないかと懸念もした。

「お母さん、やめて! 向こうに行ってよ!!」

 苛立ちが恥ずかしさを上回る時、章子はつい渚に向けてきつい調子で言葉を放ってしまう。

 後悔先に立たず。言ってしまった後で、渚の気持ちや自分の体裁を気にし始めても手遅れだった。章子が恐る恐る二人に視線を遣ると、どちらも口元に薄く笑みを浮かべているだけで本心が読めない。渚は既に台所へ行ってしまっている。

 章子は気まずく思いながらも居間を通りすぎて隣の部屋の畳部屋へ二人を案内すると、座布団の上に座ってもらった。

「飲み物、オレンジジュースと烏龍茶とミルクティーがあるけど、どれがいいかな?」

 章子は、春になって筍が土から頭を覗かすように、胸中で台頭してくる吝嗇さを無視するべく芝居めいた声で訊ねると、

「私、オレンジジュースが良いかな」

「私はミルクティー」

 円香はオレンジジュース、花田はミルクティーを選んだ。

「うん。分かった」

 章子は渚の処世術を真似て、愛想のために必死で口角を上げ不器用な微笑を浮かべながら、慣れない手つきで1.5lのペットボトルをグラスコップの上で慎重に傾けてゆく。

 その間、二人は章子には分からない学校の吹奏楽部の話題で盛り上がっていた。

「ねえねえ、先輩、超怖くない? 今年の後輩の吹奏楽部レベル低すぎて話になんねえよ、って聞こえよがしに言うんだよ」

「分かる。私も言われた途端、恐怖感じたわ。何も言い返せないし、目つけられたら怖いから、ごめんなさいって感じで俯いてた」

「だよね。お姉ちゃんが同じクラスだからどんな人か聞いたら、学校でもきつい性格で通ってるらしい。優等生らしいけど」

「まあ、ヤンキーじゃなくて優等生系できついならまだいっか」

「最悪何かあったら、お姉ちゃんに何とかしてもらう」

「あ~、円香のお姉ちゃん、不良で喧嘩したら負けなしな印象あるわ」

「ああー! 彩花が不良って言ったってお姉ちゃんに言いつけてやろう」

「ちょっと、やめて! ごめんってば」

「もう大丈夫だって、言わないから」

 章子の自宅の畳部屋は、完全に円香と花田だけの世界が広がっている。

 水道の蛇口から流れ出す水のように太くこぼれ続ける二人のお喋りを聞きながら、章子は強烈な心細さを感じた。孤立ゆえに藁にも縋るような思いで、突如胸中に現れ出た親近感を持って円香へ目を向けた。章子は訳も分からない話に首を小さく縦に振り相槌を打つが、円香は花田だけに親しみの込もった笑みと眼差しを送る。花田もまた、スクールカースト最下位の前では、逆に二人の絆が深まると言わんばかりの余裕のある涼しげな微笑を浮かべ、円香だけを受け入れている。

 二人に嫌われているのかもしれない、章子は単純にそう察した。

 そんな二人の前へ、章子は無理に微笑み続けながら飲み物を注ぎ終わったグラスコップをテーブルの上に置いた。

 円香と花田は、

「ありがとう」

 と軽く礼を言うと、すぐに再び楽しげに顔を見合わせて二人だけで会話をし始めた。

 章子はしばらくおもねるかのように笑んで、視線を二人の間に彷徨わせていたが、入り込む隙間は一分も見当たらなかった。二人とは相容れないために生まれた疎外感が章子の身に染みてゆく。愛想笑いなんて円香と花田の二人を前にしては、全くの無意味だった。妙に幼子じみている未熟な章子の精神では、時折話せなくなる欠点も合わさって、この状況を打開できない。章子は二人の会話に無理に割り入ることもできず、無言で俯きながら自分用に注いだミルクティーをちびちび飲んだ。

「昨日のスタスタ見た? 狩野が1人でコントやってる」

「見た、見た。狩野、まじウケるよね! 何回もNG出してるのにそのまま泳がされてて」

「だよね! でも、誰も助けないからちょっと見てて哀れんだ」

「うん。最後の方、1人で暴走して顔面蒼白だったよね」

「最初の時の余裕が消えたよね。トリプル芸人の羽山は、実際にパワハラで訴えられて逮捕されたらまじでウケるけど」

 どうやら、相変わらず二人だけが分かるとびきり面白い話らしく、腹を捩って爆笑している。花田は口元を押さえて笑みを溢すだけだったが、円香の笑い声は大胆で豪快だ。

 よく作り笑いでもいいから笑った方が良い、その方が脳が楽しいと勘違いするから、と言うけれど肝心要の場面で効果がないのでは頼りがいがないと章子は思った。円香が笑えば笑うほど、章子は口角を無理やり持ち上げる己自身に虚無ばかりを感じて打ち沈んでゆくようだった。

 目の前に二人もクラスメイトが遊びに来ているにも関わらず、章子は強く孤独を感じた。孤影悄然と畳表を見つめる。胸にじわりと黒い液体が落ち、染みが作られてゆく。

 すると、

「章子ちゃん、こっちへおいで」

 台所から顔を覗かせた渚が満面の笑みで手招きをしている。章子はようやくこの場から離れることができるのが嬉しくて、小走りで渚の元へ駆け寄っていった。

 台所の死角に入ると、渚は満面の笑みを余所行きの作りものであったかのようにさっと消して、険しく歪んだ本心を露にし章子を睨みつけた。

「どうして会話に入っていかないんだよ! お前は!!」

 渚は激しい口調で小声で囁き、章子の腕の肉を服の上から掴んでつねり上げた。

「痛いっ。やめて!」

 まさに泣き面に蜂だった。章子は涙を流しながら小さく弱々しげに訴えた。

「これを持ってけ!!」

 乱暴に手渡されたのは、大皿と数枚の小皿がのったシルバーの丸い盆で、大皿の上に盛られているのは湯気の立ったじゃがバターだった。大きな角切りサイズのバターが、見るからにほくほくしたじゃがいもの十字の切れ目の間に挟まっている。優しいじゃがいもの香りとバターの芳醇な匂いが鼻腔をくすぐるが、その美味しそうな香りや匂いが章子の心情まで癒すことはなかった。

 どうして、と章子は思う。

 バターは高いから買えない、と渚はよく口にしていた。今回のことで家のお金がなくなってしまうかもしれないし、吝嗇家云々ではなく彼女らにじゃがバターより高い価値があるとは到底思えない。渚は章子に初めてできた友達だからと、惜しみ無くバターを振る舞ったことが見ればすぐに分かる。その想いを察すると、急に胸がぎゅうっと絞られているかのように苦しくなった。

 二人はこの家の住人である章子には見向きもせず、構うこともなく、そっちのけで会話に夢中になっている。そうなると、早く二人をこの家から追い出したい、振る舞った飲食物を口にして欲しくない、どうしようもなく二人の顔を目に入れたくない、といった気持ちが沸いてくるのは必定だった。盆の上にのったじゃがバター達が、章子の腕の中で不安げに身を寄せ合ってぶるぶる震えた。

 円香と花田の幼馴染み組は、結局最後まで一度も章子には目もくれず振る舞われた飲食物を無遠慮にほぼ全て口にして、章子の心に多くの不信感を残していった。円香の大胆で精彩な笑い声だけが、追い詰めるかのように章子の耳に残った。

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