十八、
章子は掲示板に返信をくれた、父親の名前と同じ読みであるタダシと数日間に渡りメールを交わした。タダシは市内に在住しており、これまでに幾人もの未成年女子と援助交際をした経験があると言う。
章子は、針の山である学校から大急ぎで帰宅すると、リュックサックを自宅へ置き、着替えてから、タダシが指定した待ち合わせ場所である新つつじヶ丘駅の近くにあるダッキーホーテの前に立った。T字路の角に建つディスカウントストアの大きな黄色い看板はよく人目を引く。そこは人通りが多く、同じような待ち人を持つ人間達が集まり、街全体が活気づいていた。
タダシからの新着メールを受信し、章子はスマホを両手で握り締めると内容を確認した。
『着いたよ。今、どこにいるの?』
スマホを持つ手が恐怖と緊張により大きく震える。血の気が波のようにざあーっと引いて、章子は束の間の眩暈を感じ、精神的にもよろめきそうになった。
目の前を平静な表情をして通りすぎてゆく人、人、人。章子はその人々へ、無意識の内に救いを求めでもするかのように、すがりつくような視線を向けた。
今すぐ、ここから逃げ出したい。タダシには一切何も告げず、連絡も入れないで家に帰りたい。そうしなければ自分は、何度シャツを洗っても落としきれないケチャップの染みのように、取り返しのつかない人生の汚点を作ってしまう。章子は周囲の背景が白一色に見える程、怖じ気付いていた。
そうだ。何食わぬ顔をして、このまま立ち去ってしまおうか。でも、金が欲しい。性的快楽を味わいたい。上位女子達と同じことをしてみたい。
そして、何より、
シアワセニナリタイ。
章子は、ごくりと唾を飲み込み覚悟を決めると、恐怖を食道の奥へと流し込んだ。意を決して、
『私も着きました。』
スマホの画面をタップして文字を打ち込み送信した。
『どんな服装してる?』
数秒でタダシから返信が来た。
えーっと。暴れそうになる気持ちを宥めるように心の中で声を出しながら、章子は今日、自分が着てきた洋服を見て、
『紫色のワンピースの上にグレーのコートを着ています』
と、送信した。それが章子のできる精一杯の防寒も兼ねたお洒落だった。
『分かった。こっちから声掛けるね』
タダシからのメールの返信内容を確認し終えると、章子はスマホをコートの右ポケットへしまい入れ、まっすぐ正面を眺めながら肺一杯に大きく息を吸い込んだ。心臓が裏返しになり体内で大騒ぎしているかのような緊張感だけが、鮮やかすぎる程に研ぎ澄まされてゆく。章子は鳥が翼を広げ大空を飛翔するかのように、早くこの場から飛び去りたくてしようがない。
左肩を叩かれ、
「めい?」
偽名を呼ばれる。
章子が振り向くと、そこには上から下まで黒一色の服装をした中肉中背の若い男が立っていた。
事前に送ってくれた写真の中のタダシとは顔は同じだが、明らかに服装が違っていた。写真に写るタダシの服装は水色のTシャツを着ており、見る人に清潔感と共に人畜無害さをも与えていた。
章子の知る同級生のどんな男子とも違う。目の前にいるタダシは、未知で物騒な大人の趣だけを濃厚にかもしだしている。超然とした怪しげな身のこなしに、遊び人で女慣れしているかのような雰囲気は、それこそ同じ読み仮名である正とは全く毛色の違った浮世離れ感があった。まるで、真っ黒な烏のような出で立ちに、章子は声も出せず、ただ数回頷くばかりだった。喋れない代わりに必死になって浮かべたのは、不出来な愛想笑いだった。
「タダシです。めいだよね?……じゃあ、行こうか」
そう言って、タダシは不敵に微笑むと左手を章子へ差し出した。がっしりした広い色白の手の平に、まだあどけない右手を重ねると、章子はタダシの隣について歩き出した。章子は正を除いて、一度も大人の男と手を繋いだことがなかった。章子は簡単にタダシの掌中へと惹き込まれてゆきそうになる気持ちを何とか食い止めようとする。
タダシは緊張と言う言葉の意味を忘却するくらいによく喋った。それとは対照的に、章子はほとんど口を開くことさえ難しかった。
「緊張してる? 何となくそんな感じがする」
「俺の顔どう? イメージとちがう? 好みの顔じゃない?」
「本当に高校生? こういうことは初めて?」
「金欠って、親が借金でもしてるの? それとも、お小遣い稼ぎ? どちらにしても、今日頑張らないとね」
「彼氏はいるの? いないなら彼氏作ってバンバンやらないと人生損だよ」
「兄弟はいるの? ひとりっ子なら、お父さんとお母さんにバレたらすごく悲しむだろうね」
「本当の年はいくつ? めいの前にヤった女の子で小学生の子がいたけど、こっちが少し引くくらいノリノリだったよ。最近の子は、早熟だからびっくりするよね」
タダシの言葉一つ一つが、章子をひどく揺さぶり、肝を潰し、顔の表情をも無機質で冷たい石のように固まらせてゆく。隣を歩くタダシは、明らかに間違いようもなく危険な男だった。
章子は否応なしに右の手の平が汗ばんでゆくのを感じた。そのことで、タダシに気持ち悪がられ突然殴られるのではないか、と内心薄氷を踏むような思いがした。恐怖心がタダシの持ち合わせている美貌によるメリットをすべて打ち消す。章子は怯えが表情に滲み出そうになるのを必死で抑えた。
ふいに、タダシが口を閉ざして歩みを止めた。章子もそれに合わせて立ち止まった。
目の前にあるのは白い五階建ての建物で、英語でホテルと読める縦長の看板がくっついている。
手を繋いだまま自動ドアを通ると、エントランス奥の中央に大きなタッチパネルが設置されてある。
タダシは慣れた手つきですばやくタッチパネルを操作し、ショートタイムで一番安い部屋を選ぶと、出てきたレシートを手に取った。再び章子と手を繋ぎエレベーターで五階まで上った。五○一号室のドアを開け章子を先に入らせると、あとからタダシが続いた。
室内で二人きりになると、タダシは唐突に章子の体を抱き寄せて唇を重ねてきた。章子は顔色を失い、瞬時に体を強張らせた。タダシの肉体の触感は、いくら密接していても章子の皮膚へと馴染んでゆかない。圧倒的な戦慄、膨大な不安が、章子の好奇心と金銭欲を凌駕する。
タダシの舌は得体の知れない生き物のように章子の口内を這いずり回った。身の毛がよだつほどのおぞましさに、背筋が寒くなる。
章子は思わずタダシの体を押し返そうと両肩を押したが、びくともしない。年に一度学校で行われる体力測定の握力検査で、同級生の男子達を越える数値を叩き出した経験のある章子は、自分は男より力があると侮っていた。しかし、今目の前にいるタダシの力は桁外れに強く、足掻いたところで容易く封じ込まれてしまう。大の男の力は、育ち盛りの男子の力とは比較出来ないほど強かった。
濃厚なキスは窒息しそうなほど長く、ようやく唇が離れてゆくと、透明な粘液の糸が二人を繋いでいるのが見え、章子は今にも卒倒しそうになった。重大な事態から目を背けさせ、汚い現実から心を守るかのように思考は完全に停止している。
「大丈夫。いきなり後ろに入れたりしないから安心して」
タダシの発言は脅迫めいていて、自分を強く見せようとしているのかもしれない。
章子は慄然として震撼し、急速に口の中が乾いていった。
洗練されたホテルの室内は、タダシの服装と同じ黒色で、シックに統一されているが、ゆっくり内装を見ている暇も余裕もなかった。
章子はタダシに着ている洋服すべてを脱がされ、二人は全裸になり浴室でシャワーを浴びた。生まれたばかりの姿になることに、不思議と抵抗や恥じらう気持ちは生まれなかった。今の章子にあるのは、幅広く胸中にのさばっている恐怖のみだった。
章子は全身をくまなくタダシに洗われている間、温かな湯気と特徴的な狐目から放たれる眼差しを鋭敏に感じ取って、熱い息苦しさを覚えた。平静を装いながら、何度も浅く浅くすばやく呼吸を繰り返した。
いやらしいタダシの手つきに章子は、ひたすら耐え抜き、この行いの必要性を改めて胸中で自問自答した。つい先ほどダッキーホーテの前で考えた時と今では、出てきた答えに変わりはなかった。金と好奇心と期待だけで、出会ってから十分も経たないうちに男とラブホテルへ行き、こうして体を洗われている。緊張からこのまま、息が止まってしまうのではないかと危ぶむが、章子は奇しくもそれほど後悔をしてはいなかった。
互いの体を洗い終えると、二人は浴室を出てダブルベッドに横になった。
そして、タダシは巧みに、章子は不器用に、互いに性的快感を与え合うと、
「上に乗って」
タダシに促され、章子は一瞬のためらいを見せたのち大人しく黙従した。
仰向けで寝ているタダシの上に跨がると、
「自分で入れてみて」
と指示をされ、章子はその通り試してみるが挿入できなかった。タダシからの手助けにより、ようやく受け入れる場所の位置を特定することまではできたが、これ以上男性器を飲み込み、腰を深く下ろすには痛みが強すぎた。
「どうしたの?」
「痛くて……」
すると、タダシは正直な訴えを無視し、何度も強引に章子を貫こうと試みた。その度に、章子の腰は受け入れを拒否して逃げ続けた。
そんなことが数分の間に何度も繰り返されると、タダシはいきなり章子の両方の足首を掴んだ。
暗転した。
次の瞬間には、タダシが獣のように目をぎらつかせながら章子の上に覆い被さっていた。
「やる気あんのか。脚開けよ」
荒々しく言い放つタダシの言葉を聞いて、章子は慄然を深めながらも従順に開脚をした。その開かれた両脚の間をタダシの体が入り込み、男性器が無理やり押し込まれてゆく。
めりめりめりめり。処女膜が容赦なく剥がされてゆく。
「んああああああっ!!」
章子は目を剥き、ほとんど絶叫に近い声を上げていた。地球上に存在する男全員を殺したくなるくらいの覚めるような鮮やかな痛みに、我を忘れた。
タダシは微笑し、
「初めてをもらえて嬉しいよ」
と言って、覆い被さった体勢のまま章子を優しく抱き締めると、そっと口付けをした。
章子の両頬には、いつの間にか幾筋もの涙が伝っていた。減るものじゃないと思っていたものは、無意識に泣けてくるほど大切なものだった。
章子の体内でタダシの長くて太くて硬い男性器は、まるで凶器のようだった。容赦なく抜き差しを繰り返された箇所が熱を孕む。
大事な一点をひどく犯され、章子はダブルベッドの上に体を横たえてしばらくの間、放心していた。初めての性交は、想像していたものとはちがって激しい苦痛を伴うものだと知った。
事が終わると、タダシはいち早く体勢を起こし、ベッドの上に座って、取り出した煙草の先端にライターで火をつけスマホを弄り始めた。
章子は上下する胸が落ち着きを取り戻してくると、横向き寝の姿勢から起き上がって、タダシの隣に三角座りした。過去一で痛い目に遭わされたのにも関わらず、章子はタダシにすり寄りたくなる自分がいることに気がついた。
「何、見てるんですか?」
口から自然と言葉がこぼれる。
タダシは口の端を吊り上げ、蠱惑的に微笑むと、挑発的な目で章子を見た。
「前ヤった女の子の画像」
そう言って、スマホの画面を章子へ向ける。
章子はその画像を見て目を大きく見開き、驚きのあまり堪えきれず生理的に口をうっすら開いた。
「何? 何? どうした?」
タダシは軽薄そうに笑いながら、けれど、章子の異変を決して見逃さずに問いかける。章子は脳裏に浮かんだ名前を、首を左右へふた振りすることで掻き消した。きっと、ただの他人の空似だろう。
「この子さー、メールで連絡してた時、いつも件名の真下にある返信先に笹木野円香ってフルネームが載ってたんだよねー。名前聞いたら、スズカって言ってたのに。もしかして、円香が本名かなあ」
章子は、先ほどより一際大きく目を見張ると、タダシのスマホ画面を食い入るように見つめた。
髪の毛を肩まで垂らした未成年と思われる女の子が、淫らに写っている。全裸で開脚し、性器を両手で隠して恥ずかしそうに微笑んでいる。その姿は極めて扇情的ではあるが、確かに見覚えのある顔だ。そして、それは章子の脳裏に浮かんだ名前とタダシが先程口にしたフルネームと合致する。
「ま、えっ、まどかちゃん……?」
囁くような小声が、口をついて出る。
「えっ、まじ? 知り合い? この子の名前、円香って言うの?」
新しいおもちゃを与えられた子どものように、タダシは嬉々として人を馬鹿にしたように破顔した。
「私のクラスメイトです」
章子は言いながら、円香を裏切り苛めているかのような気持ちがして、少し戸惑った。口に蓋をして、秘密にしておかなければならなかったのかもしれない。
「やべえ、まじでウケる。円香、どんだけバカで間抜けなの」
タダシが円香を嘲る言葉には、快感がふんだんに含まれているように感じる。
「すげえ、頭悪すぎてウケんだけど」
思ったことをすぐ口に出してしまう気質なのだろう。タダシはそれからしばらく円香をけなす言葉を幾つか吐いては嘲笑した。
章子は、そんなタダシの言動が、スクールカースト上位のクラスメイト達と重なり、虫酸が走って、軽く眉をひそめ、下唇を噛んだ。いくらタダシが章子の好みの容姿をしているからと言って、こうまで内面の悪さを見せつけられては心底幻滅してしまう。けれど、章子の中で、タダシに引きずられるようにして、ある嗜虐心が、あらゆる感情の中から抜きん出てゆくのを抑制することができなかった。
復讐をしたくなる。円香の抜けている部分を愛すのではなく、ほじくり返して馬鹿にした上で更にいたぶってやりたい。その思いを、章子は容易く掻き消すことができそうになかった。
冷静になってから初めてまじまじと見たタダシの男性器は、巨大なミミズのような図体をしていた。
章子は、何故か無性に円香に会いたくなった。章子は円香の人生最大の過ちと恥部を見てしまったのだ。




