4.聖女の仕事
佳詩奈がこの世界に来てから一か月ほど過ぎた。この王国の歴史や常識についてある程度の知識がつき、聖女の力の扱いもしっかりしてきたころ。王都周辺部の魔物の討伐をするようになった。
討伐と言っても何も難しいことはなかった。10人以上の騎士に守られ、数匹程度の魔物の群れに『浄化の光』を打ち込むだけのことだった。
佳詩奈の聖女としての力は絶大だった。『浄化の光』を軽く放つだけで、魔物の群れはチリひとつ残すことなく消滅した。
防御に関してもおよそ鉄壁だった。聖女が纏う『聖なるオーラ』は魔物の接近を阻む。低級な魔物なら近づいただけで消滅してしまうらしい。
女神の加護によって身体能力も上がっていた。佳詩奈はもともと、廃墟めぐりで歩くのだけは得意な方だ。女神の加護も加わって、少々遠出した程度では疲れることもなかった。
騎士たちと過ごして分かったことは、聖女は魔物に対しては強いが、騎士を相手にしたら敵わないということだった。
聖女の浄化の力は確かに魔物に対しては強い。大型の魔物だろうとほとんど一撃で簡単に倒すことができる。しかし浄化の力では人間を倒すことはできない。当たれば気絶くらいはさせられるらしいが、実際に試したことはない。
聖女は女神の加護で身体能力が上がっているし、初級の精霊魔法程度なら扱える。しかし魔力防御の装備を整えた騎士相手には大して抵抗できないだろう。命がけで戦えば5人くらいは倒せるような気がする。でも佳詩奈は、自分の性格ではそこまでできないだろうとも思っている。
王都周辺の地理についてはある程度把握している。イーデキュアの授業と、周辺を実際に歩いたことで大分理解も深まった。でも、それより遠くはわからない。それでも王都の外に出るときは常に10人以上の騎士が護衛についている。これでは逃げ出すことも簡単ではない。
そもそも逃げる必要がない。立派な部屋があるし食事も用意してくれる。炊事洗濯掃除は全てお付きのメイドさんがやってくれる。魔物の討伐も佳詩奈の力に合わせた無理のないスケジュールで計画される。今のところ、使い潰されるという心配はない。
でも、それならなぜ女神はあんな警告じみたことを言ったのだろう。それに、あの白い世界に入った時。身体に染みわたってくるような言葉の数々は何だったのだろうか。
それらのことが、佳詩奈の心にひっかかっていた。
「遠国から取り寄せた茶葉だが、君の口にあっただろうか?」
「はい、この香りは気に入りました」
「そうか、よかった」
ある日の昼下がり。王宮の中庭に設けられたガゼボ。そこで佳詩奈は第三王子エスインダルとお茶の時間を共にしていた。
教育係のイーデキュアからマナーについて教わった。実践して身に着けるには実際にそれなりの場で貴族や王族と過ごすのが一番だ。
イーデキュアも伯爵令嬢で立派な貴族ではあるが、教育係として接する時間が長かったために、どうしても気安さが勝ってしまう。
そこでエスインダル王子とお茶の時間を過ごすことになった。確かに聖女の事情に通じて王族として礼儀作法を身に着けているエスインダル王子は、マナーの実践するのに最適の相手だった。そのことをきっかけに王子と接する時間が少しずつ増えてきた。
これは危険なことだった。佳詩奈はまだ特定の相手とも付き合った経験のない地味な少女である。エスインダル王子は王族だけあって美形でかっこいい。しかも『親愛による縛鎖』によって親近感を覚える。そんな相手と一緒に過ごして警戒心を保つのは難しい。ふと気づけば和やかに談笑してしまっている。事前に知らなければ、この親しみを恋心と勘違いしていただろう。
親近感というのがなんとも厄介だ。悪い感情ではない。強制力はない。それだけに抵抗しづらい。
これまで王子が強引に距離を詰めてこなかった理由を理解した。正当な理由の元、過ごす時間を増やすだけで、『親愛による縛鎖』の効果で聖女は恋に落ちてしまうのだ。無理に関係を迫って失敗すれば、後の関係に禍根を残すことになる。聖女の血を王家に取り込むつもりなら、焦らずじっくり待つのが確実なのだ。
聖女としての仕事にもすっかり慣れてきてしまった。
最近は週七日のうち、自室でイーデキュアの授業を受けるのは1日程度となった。残りの日は聖女としての訓練か、魔物の討伐だった。
召喚当時でも歴代上位と評価された佳詩奈の浄化の力だったが、訓練と実践を重ねて更に高まった。今では歴代最強とまで言われるほどだ。剣もろくに通さない頑強な魔物も、見上げるほどの巨大な魔物も、佳詩奈の放つ『浄化の光』の一撃で簡単に消滅した。
佳詩奈としては、魔物を討伐するのに抵抗感を覚えないことが意外だった。
生き物を殺すのが嫌いだった。夏場の廃墟は虫がいることも多い。虫自体がそこまで苦手と言うわけでもない。自分に近づいてこない限り大して気にも留めない。でも身体に止まった蚊を潰すのは嫌だった。だからいつも虫よけグッズは常に入念に準備していた。
魔物を浄化するのも最初は少しは嫌だった。でも次第にまったく気にならなくなった。
これはおそらく、王家の教育カリキュラムによるものだ。教育係イーデキュアの授業でも、騎士団との訓練でも、ことあるごとに魔物は邪悪なものであり、「邪悪なものを浄化魔法で消滅させるのは正しいこと」と繰り返し教わった。授業と訓練と実戦で、それが頭の中にすっかり刻み込まれてしまったようだった。
今でも虫は殺せない。でも魔物なら消滅するのになんの感情も揺らがない。どれほど人に近い姿をしていても、それが魔物ならためらわずに浄化できる。王家の与えた教育カリキュラムは、魔物を無慈悲に消滅させる聖女へと佳詩奈を作り変えてしまった。
聖女としての仕事が増えると、聖女の有用性もわかってきた。
聖女とは、一言で言えば安価で有用な兵器なのだ。
王国の騎士たちはみな精強だ。聖女がいなくても魔物に対抗することはできるだろう。それでも魔物は強い。まともにぶつかれば騎士たちにも少なからず被害が出る。大軍を動かせば費用もかかる。この王国において、魔物の発生頻度は高い。騎士だけで戦い続ければ膨大な費用を要するようになるだろう。
だが聖女がいれば解決する。魔物に対する攻撃力だけなら、聖女は騎士100人分に相当する。しかも聖女一人を養うコストは、大軍を運用するよりずっと安上がりだ。
王国が聖女を召喚し、大事に囲い込もうとする理由も納得がいく。
そもそも過去の歴史によれば、異世界からの聖女召喚というものは王国存亡の危機のみに可能な大儀式だったらしい。
ところが王国は現在、定期的に聖女を召喚している。教育係のイーデキュアから教わった歴史によれば、王国が女神の加護を受けて可能になったことだという。でもおそらくそれは偽りだ。聖女召喚の条件を解き明かし、有用な兵器として使うために召喚するようになったのだ。女神が聖女召喚に否定的なのは、そうしたこともあるのだろう。
王国は聖女のことを大事にしている。
確かに王国は佳詩奈のことを何不自由なく生活させてくれる。魔物の討伐にはいつも佳詩奈の能力に見合った無理のないスケジュールで計画され、騎士たちのサポートにより安全にこなすことができる。週に二日は休日があるし、魔物の討伐が続けば臨時の休みももらえる。
王国は聖女に無理をさせない。しかし、楽をさせてくれるわけでもない。佳詩奈の能力を把握し無理のない範囲で仕事を課してくる。
過去の記録に目を向けると、ここ数代の聖女は老境に至るまで活躍している。それはつまり、王国が聖女の使い方をより洗練させたということだ。
今はまだいい。聖女として力を振るうのは新鮮なことで、魔物を討伐すれば騎士たちから喜ばれる。王都を歩けば人々から笑顔と称賛を向けられる。正直、やりがいを感じている。でもこれを、年老いて働けなくなるまで続けさせられると思うとぞっとする。
このまま行けばエスインダル王子と結婚することになる。王族となれば国を守るのが義務となる。聖女の務めを投げ出すことは許されないだろう。
召喚されたとき、耳に飛び込んできた言葉のいくつかを思い出す。
「やめられない……」「あらがえない……」「偽りの愛……」「それでも子供は見捨てられない……」「戦わされる……」「使い潰される……」
あれはきっと過去の聖女たちの声なのだ。きっと彼女たちは手遅れになってから気づいたのだ。王族と結婚し、子供ができて、逃げ出すことのできない状況になってから王家の企みに気づいたのだ。
王国は聖女を使い潰すことはしない。ただ、使い切るのだ。快適な生活環境を与え、仕事の量を無理のない範囲で増やし、老人になって動けなくなるまで働かせるのだ。
思い切って、元の世界に返して欲しいとエスインダル王子に願ったこともある。だが色よい返事はもらえていない。
「元の世界に戻す魔法は高度な調整が必要なんだ。魔物の出現頻度の高い今では危険すぎて使えない。すまないが、もう少し待ってほしい」
そんなふうに説明された。どこまで本当かわからない。
それに最近は日本のことを思い出すことも少なくなっていた。この世界について学ぶことと聖女の仕事。それらがあまりにも充実しすぎていて、日本の生活を思い出すことも難しい。あるいはこれも王家の策略のひとつかもしれない。
疑い出すときりがない。『親愛による縛鎖』のためか、王家に強く問いただすのが躊躇われる。それにあまり反抗的な態度をとるとどうなるかわからない。魔物に対しては無敵を誇る聖女であっても、人間を相手にすれば大したことはないのだ。
「これなら何も知らない方が悩まずに済みました。女神様、なんであんなことをわたしに教えたんですか……?」
部屋で一人きりの時、天に向かって問いかけてみた。『浄化の光』を放つ時は女神から力を授かっているという実感がある。それなのに、佳詩奈の問いに答えが返って来ることはなかった。




