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3.聖女の勉強

 気が付くと、佳詩奈(かしな)は石造りの部屋の中にいた。

 足元には複雑な模様が描かれており、燐光を放っている。

 そして目の前には、金髪碧眼の美男子がいた。上品で柔らかな微笑みを浮かべ、佳詩奈に向けて語りかけてきた。


「召喚に応えてくれてありがとう。私はこのイラウサージュ王国の第三王子エスインダルだ。美しき乙女よ、どうか君の名前を聞かせてくれないか?」

「わ、わたしは西条(にしじょう) 佳詩奈(かしな)です」


 気づけば佳詩奈は名乗っていた。彼女は人見知りの方だ。金髪の男相手に最初に取る行動と言えば、まず一歩引いて距離をとることだ。

 それなのに問われるままに名乗ってしまった。自分の思いがけない行動に戸惑う中、エスインダル王子は瞳を輝かせた。


「ニシジョウ カシナ……素敵な名前だ。これからは君のことは聖女カシナと呼ばせてほしい」

「せ、聖女ですって……!?」


 事前に女神から聖女になると聞かされていた。それでも実際に呼ばれると違和感しかない。そもそも異性に下の名前で呼ばれるなんて、小学校以来のことだった。

 戸惑う佳詩奈を気遣うような目を向けながら、しかしエスインダル王子は言葉を止めなかった。

 

「ええ、その通り。君は聖女としてこの王国に召喚されたんだ。今、王国は危機に瀕している。どうか君の力を貸して欲しい。その聖なる力で邪悪な魔物を打ち倒して欲しいんだ」


 佳詩奈は廃墟めぐりが趣味なだけの普通の女子高生だ。廃墟めぐりで足腰はそれなりに鍛えられているが、それだけだ。戦うどころか、中学に上がってからは誰かに手を上げたことすらない。近所の子犬にほえられるだけでもちょっと怖くなってしまうくらいだ。たとえ聖なる力があったとしても、魔物の前に立つなんて絶対に嫌だった。

 それなのに、エスインダル王子の宝石みたいに綺麗な碧の瞳から目をそらせない。気づけばこくんとうなずいていた。

 

「ありがとう、聖女カシナよ! だが今日は召喚されたばかりで疲れているだろう。君の部屋は用意してある。そちらでどうか、ゆっくりと過ごして欲しい」


 エスインダル王子が手を上げると、部屋の隅から白と黒のシックなメイド服を纏った綺麗な人が歩み寄ってきて、頭を下げた。

 テレビやネットで見かけたコスプレ喫茶のメイドとはまるで違う本格派のメイドだった。ただのお辞儀一つとっても洗練された美しさがあった。


「聖女カシナ様、どうぞこちらへ。お部屋にご案内いたします」


 その案内に従わないのはひどく不作法なことに思えて、言われるがままについていく。

 部屋を出るとすぐ階段があった。周囲は無骨な石の壁。湿った空気からして、どうやら今までいたのは地下室か何のようだった。

 

 階段を登り切り、いくつかの扉を抜けると急に雰囲気が変わった。白い壁に高級そうな赤いカーペットが敷かれた廊下が続ていた。そこかしこに花瓶が飾られている。内装も調度品ももすごく高級そうで佳詩奈は落ち着かなかった。

 そう言えば召喚されたのは王子だった。つまりここは王宮か何かなのかもしれない。

 汚したり壊したりしたらとても高くつきそうだ。佳詩奈は、びくびくしながらメイドの後を歩いて行った。

 

 そうしてたどり着いたのは広々とした部屋。大きなベッド。白を基調とした落ち着いた壁紙。柔らかな絨毯。まるで高級ホテルの一室、豪華で格調高く、それでいてどこか安心できる一室だった。


「こちらが聖女カシナ様のお部屋です。こちらでおくつろぎください。何か御用がありましたら、そちらのベルを鳴らしてください。すぐに駆けつけます」


 そう言って、メイドさんんは退室してしまった。テーブルの上にはベルがある。細かな装飾が施されたそのベルはとてもお高い品に思えて、鳴らすのにはちょっと勇気がいりそうな感じだった。

 こんな高級品ばかりに囲まれては落ち着かないように思えた。立っているのもおかしいので、佳詩奈はとりあえずソファに腰を下ろしてみた。

 そうしたら秒で落ち着いた。

 ほどよく柔らかく、しかししっかりと身体を支えてくれる感触は、快適の一言だった。これも高級品なのだろう。

 

 とにかく気分が落ち着いた。そして先ほどのことを振り返ってみた。

 明らかに異常だった。

 佳詩奈は人見知りな方だ。普段なら初めて会う金髪碧眼の美男子相手にまともな受け答えができないはずだ。

 それなのにごく普通に答えて、しかも受け入れてしまった。


「これが『親愛による縛鎖(ディアー・バインド)』というやつですか……?」


 他人に持つべき警戒心が湧かない。抵抗感がない。違和感すら覚えない。それらの代わりに、理由のない親しみを感じる。

 もし事前に知らされてなければ、なんの疑問も持たずに受け入れていたかもしれない。あんな美形の王子様相手に出会った時から親しみを感じたら、恋と錯覚してもおかしくない。これが王家の策略だとしたら、なんて狡猾なのだろう。

 流されるままでいては取り込まれる。警戒心を保たなければならない。佳詩奈は改めて気を引き締めた。

 

 ふと窓の外を見ると日はとっぷりとくれている。元の世界では夕方だったが、この異世界ではもう夜らしい。夕食を食べ損ねたが、空腹は感じない。そして、なんだかだるい。廃墟めぐりを終えた後のような疲労感がある。

 ひとまず睡眠をとるべきだろう。疲れていてはちゃんと考えることもできない。

 ベッドの上には寝間着が用意してあった。今さらになって、自分が制服のままなのに気づいた。召喚されたのは放課後の学校なのだから当然だが、この高級な部屋の中ではなんだか場違いに思えた。

 とりあえずそれに着替えて、ひとまずベッドに横になってみた。この状況で眠れるとは思えなかったが、目を閉じているだけでも少しは休まるはずだ。

 

「ふわあああ……!」


 おもわず変な声が出てしまった。

 ベッドは今まで体験したことのない柔らかさだった。どこまでも沈み込むようで、しかし一番心地いいところで身体を受け止められる不思議な感触と、ほどよいぬくもり。どうやらこのベッドも相当な高級品であるらしい。佳詩奈はあっという間に眠りに落ちた。




 翌朝、メイドに優しく起こされて佳詩奈は目を覚ました。

 新しい服をもらった。白を基調としたローブだった。聖女はこういう服を着なければならないらしい。制服は洗濯して大事に保管してくれるとのことだった。

 メイドさんに朝食を用意してもらい、テーブルで食べた。メニューはパンと塩漬けの野菜とシチューだった。素朴な料理だったが味はよかった。豪華な部屋で朝食をとるとなんだか優雅な気分になった。

 

 思わず気が緩みそうになって、佳詩奈は首を振って気を引き締め直した。

 なにしろこの世界の王家ときたら、強制的に召喚したうえ、『親愛による縛鎖(ディアー・バインド)』なんて魔法で心まで操ろうとしているのだ。佳詩奈のことを聖女として使い潰すつもりに違いない。

 こんな快適な生活は最初だけだ。これからは過酷な労働に従事させられるに決まっている。いきなり大量の魔物の相手をさせられたり、朝から晩までポーションを作らされたり、寝る間もないくらい回復魔法を使わされたり……そんなことをさせられるのだ。


 佳詩奈は戦々恐々として、次に何が起こるか待ち構えた。しかし彼女の予想は全て外れてしまった。

 最初に課せられたのは、勉強だった。




「初めまして、聖女カシナ様。聖女様の教育係を拝命したイーデキュアと申します。これからよろしくお願いいたします」


 部屋にやってきたのは物腰柔らかな令嬢だった。絹のような滑らかな金の髪に、澄んだ青い瞳の美しい少女だった。年齢は佳詩奈と同じ16歳とのことだ。とても上品で、なんだかいい匂いがした。

 なんでも伯爵家のご令嬢で、王家とは遠縁の血筋にあるという。妙に親しみを感じるのは『親愛による縛鎖(ディアー・バインド)』の効果なのかもしれない。

 

 そして授業が始まった。イーデキュアはまず、王国の歴史と聖女の関係について教えてくれた。彼女の授業はは分かりやすく丁寧なものだった。以前、佳詩奈は名門塾に体験入学して個人授業を受けたことがある。イーデキュアの授業はそれに劣らないクオリティだった。

 本に書かれた文字は日本語ではなかったが、問題なく読むことができた。改めて思い起こせば言葉も通じている。聖女として召喚された者は、女神の加護によって言葉がわかるようになるらしい。


 そうして一週間ほどは部屋で授業を受ける日々が続いた。

 身の回りの世話はメイドがすべてやってくれた。初日は部屋に一人にされたが、あれは召喚されたばかりの聖女を落ち着かせるための処置だったらしい。

 食事にも不満が無かった。現代の日本に比べれば素朴な調理方法の料理が多かったが、味の方はかなりよかった。おそらく使われている肉や野菜が高級なものなのだろう。食に詳しくない佳詩奈にはそのくらいのことしかわからなかった。

 スマホがないのは不便だが、それを除けば生活面では何不自由なく過ごすことができた。

 

 第三王子エスインダルが王家に取り込もうとなにか仕掛けてくるのではないかと身構えていた。だが彼は、日に一度挨拶に訪れるだけでそれ以上の干渉はしてこなかった。

 王国の歴史によると、聖女を血筋に取り込むことで王家は女神の加護をより得られるようになった。それで聖女を召喚できるようになったらしい。召喚に立ち会っていたことを考えると、エスインダル王子は佳詩奈のことを娶るつもりに違いない。それなのに接触を図ってこないのは妙に思えた。

 だが佳詩奈は少しほっといた。『親愛による縛鎖(ディアー・バインド)』のせいでエスインダル王子には妙に親しみを感じてしまう。グイグイ来られたら、抵抗できないかもしれない。


 この王国の歴史についてある程度学んでいくと、それと並行して聖女としての修行も始まった。

 召喚の時、女神アインフィラーヴェからは「歴代最強の浄化の力を与えます」と言われていたそれは本当のことだった。女神への祈りの言葉と力を放つイメージ。ただそれだけで放たれた『浄化の光』は、訓練用の的を蒸発させた。魔物を象った的は、聖女の放つ『浄化の光』でも、数発程度は耐えられる物だったらしい。教育係のイーデキュアによれば、これは歴代の聖女の中でも上位に属する力量とのことだった。

 本来、浄化の力は人体に影響はない。だがここまで強力になると、普通の人間でも気絶するくらいのショックを受けるらしい。まぶしすぎる光で目がくらむことがあるように、清浄すぎる力は人であっても影響がある。人には向けて放たないように注意を受けた。


 回復魔法についても訓練を受けた。こちらも簡単な祈りと力のコントロールだけですぐに効果が出た。訓練相手はいくらでもいた。王国では騎士の育成に力を入れており、訓練で負傷する者が毎日何人もいるのだ。

 最初は小さなあざや切り傷の治療だった。徐々に慣れていき、骨にひびが入った程度の怪我なら簡単に治せるようになった。

 

 聖女の力を学ぶとともに、精霊魔法についても軽く訓練を受けた。精霊魔法は魔力を精霊の力を借りて変換し、火の玉や氷の矢を生み出す魔法だ。こちらは初級魔導士程度の威力しか出なかった。聖女は高い魔力を有するが、精霊魔法の適性は極めて低いとのことだった。

 

 


 聖女に関する教育は実に行き届いていた。

 佳詩奈はファンタジー関連のことはあまり知らない。暇つぶしに小説サイトでファンタジー系の小説を読む程度の知識しか持っていなかった。

 現代の日本と言う異世界から来た佳詩奈が、それが無理なく段階的に異世界の歴史を学び、これまで想像したことすらない聖女の力も自在に扱えるようになっている。伯爵令嬢イーデキュアが教育係として優秀だったということもあるが、教科書やカリキュラムは事前に王家が用意していた物のようだ。

 教育は朝から夕方まで続いたが、一時間ごとに休憩時間があるし、昼休みはゆっくり過ごせる。教育係のイーデキュアは佳詩奈のことを気遣ってくれるので、つらいと感じることもなかった。

 部屋は広くて快適だし、身の回りの世話は全てメイドさんがやってくれるし食事もおいしい。すごく快適に過ごせている。

 

 でも、快適すぎるのが逆に怪しかった。

 そこまで充実した教育体制を整えている理由は、王国の歴史を学んでいくうちにわかった。王国は昔から何十人もの聖女を召喚してきている。過去の聖女への対応の積み重ねによって、洗練された教科書と充実のカリキュラムを用意できたのだ。

 そんな王家にこのまま身をゆだねていいものかと不安に思うこともある。しかしここは異世界だ。いくら聖女の力があるからと言って、一人でどうにかできるものではない。

 なにをするにしても、知識をつけない事には方針すら決められない。ひとまず佳詩奈は勉強に励むことにするのだった。

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