河豚の鳴き声
とある漁村に若い男がいた。男は半人前の漁師であり、まだ一人で漁に出たことがない。それでも食い意地が張っており、美味い魚には目がなかった。
ある日の仕事前の朝、男は自分と同じように半人前の漁師の友人と雑談を交わす。
「なぁ、お前河豚って食べたことあるか?」
「いや、ねぇよ。でも食ってみてぇなぁ。河豚ってめちゃくちゃ美味いんだろ?」
男は口の中を涎まみれにしながら、河豚の味を想像する。
「ああ、美味いって噂だぜ。でも、中には毒がある奴もいるんだ。河豚を食ったら死んじまう場合もある」
「ああ、知ってるよ。んなこと、漁師として常識じゃねぇか」
男がそっけなく返事をかえすと、友人は慌てた様子で話を続ける。
「あ、ああそうだよな。でも、実は見分ける方法があるんだ。それというのも、毒のある河豚は鳴き声を出すんだよ。それで河豚を叩いてみて、鳴き声を上げたら毒があるって証拠になるんだ」
「えっ? そうなのか? 初めて知ったよ」
男は目を丸くして友人を凝視する。
そんな男の驚く顔を見て、友人は得意げな顔になった。
「まぁ、これも一人前の漁師なら常識だよな? 普段は親方たちも河豚を食べさせてくれないけど、この方法を知ってれば誰でも河豚の毒を見分けられるんだ。だから、もし河豚を食べる機会があったら試してみるといいよ」
男は自慢げな友人に少しムッとする。
けれど新しい知識を得たことで、男は好奇心を抑えられなくなっていた。
やがて漁の時間が始まり、男と友人はその場で別れた。
その日の夜、男は魚が収納された倉庫へと侵入した。男は友人から河豚の話を聞いた時から、どうしても河豚を食べたくて仕方なくなっていた。だから河豚をくすねて食べようと画策していたのだった。
男は早速倉庫から生きた河豚を発見し、それを一匹くすねる。
そして男は誰もいない部屋まで移動し、くすねた河豚を皿の上に乗せた。
(確か、河豚の毒を確かめるには、河豚を叩いて鳴き声が出るかどうか確かめればいいんだよな?)
そこで男は木の棒を懐から取りだす。
生きた河豚に向かって、一発殴った。
河豚は鳴き声一つ上げず、ピチピチと動いた。
(う~ん、鳴き声は上げなかったけど、これって大丈夫ってことなのか? もう一度叩いてみるか)
男はまた木の棒を振り下ろす。
ボンッ! と今度は強めに叩いた。
それでも河豚は鳴き声一つ上げず、ピチピチと体を動かした。
(う~ん、やっぱり鳴かないなぁ。これって毒がないってことでいいのか? でも、念には念を入れてもう一度やってみるか)
それから男は、何度も何度も河豚を棒で叩いた。
叩かれる度に河豚はピチピチと跳ね回るが、それでも河豚は鳴き声を上げない。
やがて河豚は叩かれているうちに、ピクリとも動かなくなった。
(うん! まぁ、これだけ叩いても鳴き声を上げないってことは毒がないってことだよな? よし、そうと決まったら早速食べてみるか!)
男は喜び、早速包丁を取りだし河豚を切り分ける。
中身はぐちゃぐちゃになってしまっていたが、それでもその白い身は美味そうだった。
男はその新鮮な海の幸に食欲を堪えきれず、とうとう一口箸につける。
「ふぐぅッ!」
だが、その途端に男は苦しみ始めた。
腹の底から痛みが這い上がる。全身から冷や汗が流れ、体中に痺れを感じる。
やがて男は呼吸さえできなくなり、そのまま絶命した。
その後、朝となり、倉庫で男の死体が発見された。
漁師の親方はすぐに男を検分し、河豚を食べたことによる中毒死だと鑑定を下した。
だが、そこで親方は不審を感じる。
「こいつはどうして河豚なんて食ったんだ? 河豚に毒があることなんてこの村じゃ常識なのに」
親方が首を捻っていると、死んだ男の友人が身を縮こまらせながらやってくる。
しばらく友人は体をわなわなと震わせていたが、やがて堪えきれなくなったように口を開いた。
「お、俺が、毒のある河豚は叩いたら鳴き声を上げるって教えたんです……。それでおそらく俺の友人は、叩いても鳴き声を上げなかったから河豚を食ったんだと思います」
「ナ、何だとッ! 河豚が鳴き声なんて上げるわけないだろ!? どうしてそんな嘘をついたんだ!?」
「い、いや、その……」
男の友人は言いにくそうにしながら、もぞもぞと言葉を紡ぐ。
「お、俺、あいつに自慢したかったんです。あいつが知らない知識を披露して、俺がいかに頭がいいかって見せたかったんです。魚を取る腕は、あいつのほうが上手かったから」
その話を聞き、親方は呆れかえる。
「お前らは揃いも揃って馬鹿だ! 半人前の癖に見栄を張って嘘をついたのも、その半人前の情報を鵜呑みにして河豚を食べてしまったのも。全く、生半可な奴に限って、そんな風に見栄や嘘に振り回されるんだ!」
そう親方が言い捨てると、周囲にいた漁師たちに指示を出す。
漁師たちは指示に従い、死んだ男の死体を海に放り投げる。
そんな男の無様な最期を見届けると、友人は深い後悔とともに嗚咽を漏らした。