第4話 元から無い平穏なんて望んだところでやっぱり無い後編
大変お久しぶりであります。
今回は少々何時もより長くなっておりますが、よければ是非最後まで御付き合いを。
余りに突然だったので思考が追いつく前に「ええ」と返答してしまい、女性はニコリと笑みを浮かべて隣の席に座ってきた。
最近では染色剤を用いて髪を染める者も多いと聞くが、彼女のそれは恐らく地だろう。染髪特有の色の態とらしさが全く無く、色の変化も日に焼けて出来たものであろう、自然に馴染んでいる。身に付けている服や装飾品も決して派手はないが、よく見ると丁寧に作りこまれた装飾が施されている。絶妙なバランスの上に成り立っている上品さとでも言えば良いのか、彼女を構成する要素に何かを足しても、逆に何かを引いても下品となり果てる。そんな完成された優美さがあった。
「はじめまして、私はマリエル=フロイスコットと申します。あなたは、確かヒャクメ・・・・・・ヒャクメ=ヒラツカさんで良かったかしら?」
「ええ、その通りですが・・・・・・失礼ですがどちらかでお会いしましたか?」
「いえ、最初に申しました通り“はじめまして”ですわ」
まあ、件のごとく百目は良くも悪くも協会内では既に有名人となっているので容姿と名前を知られていても不思議ではない。だが、知らない相手に急に名を呼ばれると少し居心地の悪さを感じる。
そんな考えが顔に出ていたのか彼女は百目を見ながら、くすりっと笑みを漏らした。しかし次に「あらっ」と意外そうに小声で呟いた。
「何か?」
「いえ、大した事では。先生もいらした事ですし、詳しくはまた後ほど」
彼女―――マリエルはそれっきり話す事は無く、前を向きノートの準備をしている。少し引っ掛かる事もあるが百目も大人しく受講の準備をする。
しかし、ふと気になった。先ほどまで嫌と言うほど自分に向けられていたヒソヒソ声や視線を急に感じなくなったのだ。不思議に思い目立たないように回りを見回してみた。すると何故か周囲に座っていた者の殆どが気の抜けたような、もっと言えば虚ろな目で虚空を見ていた。
その突然の変化にぎょっとした百目の気配が面白かったのか、隣のマリエルが再び笑みを漏らした。
講義自体は坦々と進んでいく。講師は既にお爺ちゃんと呼ばれてもおかしくないほどの老境に差し掛かった人物で、その話し方も非常にゆっくりとしており眠気を誘う。
因みに講義は「魔術学概説Ⅰ」だ。
「・・・・・・となる訳です。えーですから、協会方式で分類する場合、生物の体内に内包されている魔
力というのは、二種類に分ける事が出来ます。えー、これが最初に話した随意魔力と不随意魔力ですね。えーこれが・・・・・・」
協会方式の魔術を扱う上で、非常に基本的な事だ。生物の体内には自分で意識的に扱う事の出来る魔力とそうでない魔力が存在する。いわゆる魔術師と呼ばれる者達はこの意識的に扱う事の出来る魔力、随意魔力を用いて魔術を行使する。この随意魔力の保有量が魔術師になれる者とそうではない者を分けているのだ。
現在ルーン地域で使用されているほとんどの魔術は協会方式を使用している。故にルーン地域で、ましてやアヴァルで魔術を少しでも齧った事のある者ならば知っていて当たり前の事を講義しているのだ。
その為か講義室の学生は半数近くが既に撃沈して突っ伏している。起きている者でも態々ノートを取ろうとする者は居ない。
ただ、百目だけは八ツ島出身と言う事と生来の真面目さも在ってノートに書き取っている。八ツ島で使われる魔術はアヴァルの魔術とは根幹から違い、一つ一つが百目にとって新鮮なのだ。しかし、普段なら嬉々としてノートを取るのだが今は別の事が気になっている。それは当然隣に座っている女性の事だ。マリエルと名乗っていたが、何の目的で百目に近付いてきたのか皆目見当も付かない。それと先ほどからどうもフロイスコットという家名が気になっているのだ。アヴァルに渡る前にどこかで目にしたと思うのだが思い出せなかった。
そんな風に悶々としながらノートを取っている内に講義の終了を告げる鐘が鳴り響き、それを合図に講義室内が賑やかになる。講師も慣れたもので、特に終了を告げるでもなく荷物をまとめて退出していく。学生も背伸びをしたり、仲の良い者同士で昼食を食べに行く等、次々と退出していく。
「さて、少しお付き合い頂けませんか?それと協会では同期なのですから、もっと気楽に話してくださって結構ですわよ」
マリエルの申し出に百目は少しの間考えるが、元々畏まったのが肌に合わない身としては願ったり叶ったりだったのでその提案に従うことにした。
「良いが、用事が在るから出来るだけ手短に頼む」
「ええ、そんなに時間は掛かりませんわ。とにかく移動しましょう」
マリエルに引き連れられて講義棟を出ると、段々と人気の無い場所へ向かっている。まだ協会内に詳しくない百目はこの先に何があるのか解らない。自分がどこに連れて行かれるのか解らない事の不安も含めて、沈黙が気まずかったので気になっていた事で話を振ってみる。
「そういえば、講義が始まる前に何か呟いてたけどあれは何だったんだ?」
「ああ、あれはあなたが“魅了”に掛からなかったから」
「魅了?・・・・・・でもあの時特に魔術が発動した気配は無かったが?」
「それはそうですわ。だって、私の魅了は魔術じゃなくて魔眼ですもの」
百目はギョッとする。
「あなた―――ヒラツカは本当に顔に出やすいですわね」
何が楽しいのかコロコロと笑うマリエルだが、百目はかなり動揺していた。
「魅了の魔眼、フロイスコット・・・・・・、まさかあのフロイスコット家か!」
「“あの”がどれをさすのか解らないですけれど、たぶんヒラツカの想像通りですわ」
百目は今はっきりと思い出した。アヴァルに渡る前に読んだ書物によればフロイスコット家はアヴァルに住む吸血鬼の一族だ。しかもかなり古くから存在する旧家で、吸血鬼の氏族の間でも上級に類するらしい。
ただフロイスコット家は他の吸血鬼とは少々毛色が違う。普通余り詳しくない人間だと吸血鬼に血を吸われると、同じ吸血鬼になると思われがちだが、全部の吸血鬼がそうなのではない。基本的に力の弱い吸血鬼ほど吸血による繁殖を行う。逆に強大な力を有する吸血鬼は吸血による繁殖能力が無いのだ。故に、吸血鬼で上級とされている氏族は吸血では増えない。
フロイスコット家も吸血による繁殖能力は無い。しかし、能力が高いかと言われると疑問が残るのだ。確かに人間と比べてしまえば吸血鬼は須らく“化け物”なのだが、フロイスコット家は吸血では繁殖出来ないにも関わらず、基本的な能力が低級の吸血鬼と同じ位なのだ。故に吸血鬼の間では長い間嘲笑の対象とされてきたらしい。
更にフロイスコット家を吸血鬼の間で異端とさせているのは、彼らの持つ技術だ。代々の当主達は自分達が弱い事を自覚した上である物に目を付けた。それは人間が持つ魔術と剣術だった。
本来ルーン地域の吸血鬼は武器を使う事を嫌う。自分達は強大な能力を有しているのだから脆弱な人間如きが悪足掻きに使う道具を使う事は恥、とまで考えるのだ。
フロイスコット家はそんな考えを捨て、周りからの侮辱に耐え、遂には磨き上げたその力で周囲を黙らせるまでに至ったという。
「それなりに、力を込めたのに魅了が効いていないから少し驚きましたわ」
「何て危ない事を、・・・・・・って周りの連中大丈夫かよ!?」
「そこまで強くしていないから、もう解けてますわよ」
それにしたって、百目からしたら胆の冷える話だ。もしかしたら自分も骨抜きにされていたかもしれないのだ。
そんな事を考えているところにマリエルが不意に話を振ってくる。
「ヒラツカは本当に人間?かなりの抵抗力を持っている様だけど」
「っ・・・人間だ。間違いなくな」
どこか探るように聞いてくるマリエルに対して百目は一瞬息が詰まり即答する事が出来なかった。その反応にマリエルは少し目を細めただけで特に突っ込んでこなかった。
それっきり、二人は話さず粛々と歩いていく。2分ほど歩いた所だろうか、マリエルは一つの建物に入っていく。百目もそれに付いて中に入っていくとそこはどうも体育館の様だった。
凡そ200×400m.ほどの広さだろうか。天井も高く、二階にはちゃんと観覧席まである。
しかし、何故自分がこんな所に連れて来られたのか解らず、疑問に思いマリエル訪ねようと振り返った瞬間、向こうから何か長い物が放られた。思わずそれを掴み取るとそれは剣だった。ルーンでは一般的な長剣だ。
マリエルの意図が解らず困惑しているところへ、彼女が説明してくる。
「私と手合わせして下さい」
「はっ!?いきなり何だ!?」
「ヒラツカはかなり心得が在りますわね。普段の体の運用を見れば解ります。・・・何よりあの、ヒメシロさんだったかしら?常に彼女を護る様に、それこそまるで護衛の様に位置を取っていますわよね?」
百目は絶句した。まさか普段からそこまで見られており、かつそこまで見抜かれているとは思いもしなかった。本来ならそこまで百目を見ている目があれば感付けた筈なのだが、いかんせんここ最近は常に周囲から注目されていたので感覚が麻痺していたのだ。
「私は見てみたい、八ツ島の剣術を。立ち合ってみたい、まだ見ぬ強さと。それがフロイスコット家に産まれた者の性」
マリエルはこちらの都合を気にした風も無く滔々と歌うように口上を述べる。これを聞く限りどうもフロイスコット家は相当な尚武の家系らしい。百目としては堪ったものではない。だがそれと同時に経験上この手の相手は武術を神聖視しているので逃げたら逃げたで厄介ごとに発展する事を百目は学んでいた。
「手合わせをすれば帰って良いのか?」
「ええ」
諦めた様に仕方ないと百目は剣を構える。そもそも知り合ったばかりの相手にのこのこ付いていく自分が愚かなのだ。
それを見てマリエルも嬉しそうに剣を構える。かなり堂に入った構えで隙が少ない。それに比べると百目の構えはどこか素人臭い。どこか剣身も安定せずふらふらしている。
マリエルは気になった。幾ら何でも構えが素人過ぎる。剣身はふらふらと安定していないし、隙が無い部分を探す方が難しい。しかし、直ぐに心の中で笑みを浮かべた。態と隙だらけにして此方を困惑させ、自らの攻め手を読ませない様にしていると勝手に解釈したのだ。
一瞬の静寂の後、マリエルが踏み込んできた。一撃目は刺突だ。百目の鳩尾目掛けて剣を突き出す。百目は慌ててそれを弾こうと剣を振り下ろした。
するとマリエルはそのまま手首を返すと百目の剣を絡め取る様にして弾き上げた。剣は持ち主を離れて放物線を描いて百目の背後にがしゃん、と落ちた。
百目としては「まあ、当然か」位にしか思っていなかったのだが改めて正面を見て驚いた。マリエルが顔を真っ赤にしてこちら睨んでいる。
「・・・・・・ますの」
「へっ?」
「馬鹿にしていますの!!!!」
大音声が室内に響き渡った。目を見開く百目を他所にマリエルは喚き散らす。
「そりゃ、確かにいきなり手合わせをってのも失礼だと思ったわよ、道中聞いちゃいけない事を聞いちゃったわよ。でも、それでも真剣勝負に手を抜くなんて、侮辱だわ!!!!」
僅かに涙の零れるマリエルを見ながら、百目は呆然とするしかない。というか「口調が変わっているが、こちらが地なのだろうか?」などと埒外な事を考えるぐらいに混乱していた。自分は決して「手を抜いていない」し、まさかそれで相手が泣き出すとは思っても見なかったのだ。
それを弁明しようとしても、マリエルからは「嘘だ!!」と返される始末。さてどうしたものかと頭を悩ませる。
「だって、あなたを見ていたら強いって解るもん。私はまだ修行中だから細かくは解らないけど、少なくともこんなに弱い筈が無いもん」
段々と言葉が幼時退行している。「そこまで悔しかったのだろうか?」と百目は遂にすんすんと啜り泣きながら顔を両手で覆っているマリエルを見た。
(・・・・・・というか精神面弱すぎだろ)
更に泣かれると厄介なので言葉には出さない。今この状態ですら自分に非は無い筈なのに潰れそうなほどの罪悪感が圧し掛かって来る。
そして、同時に百目は納得していた。このお嬢様は見切りきっていない。百目の強さを読む事は出来ても、百目が何を得物とするかが解っていない。
「すまない」
そんな考えが頭を巡りながら百目は頭を下げていた。その行動にマリエルはとりあえず啜り泣きを止めた。
「確かにさっきのは俺の全力じゃなかった。ただフロイスコットを侮辱する気なんて微塵も無かった」
「じゃあ、なんで?」
「あ~・・・・・・」
マリエルのどこか恨みがましく聞こえる問い掛けに言いよどむが、正直に話す事にした。
「俺、刀剣の扱いは出来ないんだ。師匠から三日でダメだし食らった、「お主は才能がこれっぽっちも無いのう」って」
百目のまさかの告白にマリエルは驚く。
「じゃ、じゃあ、本当の武器は何なの?槍?斧?」
「いや、これ」
そう言って百目は自分の拳を握ったり開いたりする。
「手って・・・そんなので戦えるの?」
マリエルは不思議そうにしているがこれは文化の違いだ。アヴァルでは武術としての徒手空拳が非常にマイナーなのだ。無論剣術等に付随する形でも体術は伝えられているが、それはあくまで武器在っての話になる。
理由は簡単、単純に武器が有ったほうが強いからだ。だからアヴァルでは、態々武器を持たず徒手空拳で戦おうとするのはそれを突き詰めて鍛え上げたよほどの変わり者ぐらいしか居ない。
「ああ、その方が良い。だから今度こそ全力で立ち合う事を約束する」
「!?」
瞬間、マリエルは弾かれたように立ち上がって剣を構えた。少しでも気を抜けばその間に一撃を受けて弾け飛ぶ自分を幻視してしまった。
百目は特に構えている訳ではない。足を肩幅に開いて、肘と膝を軽く曲げているだけだ。一試合目と同じく隙だらけの格好。
だが、マリエルは攻められないでいた。百目はただ立っているだけなのに凄まじいプレッシャーを掛けられる。先程から冷や汗が止まらない。そんなマリエルの迷いを読み取ったように今度は百目が攻めてきた。
気が付けば既に目の前まで迫った百目の拳が見える。慌ててそれを受けようと剣の身で受けようとする。先程とは真逆の配置だ。
それを見ても百目は臆する事無く剣身に自分の拳を叩き込む。マリエルは剣で受けた瞬間手が弾き飛ばされそうなほど痺れを受けた。ただ重い物を受けただけではなく、まるで電気を流されたような・・・・・・。
そしてその次に我が目を疑った。何と剣が砕けたのだ。自分が握っている部分を除いて刀身は粉々になっている。
「っ!!!!」
驚いたがそれ以上に危険を感じて、盛大に飛びのいた。自分の頭の有った位置を百目の拳が通り過ぎ、僅かに回避が間に合わなかったのか髪が数本切られて舞った。
(さっきとはぜんぜん違う!何よりあの技は一体?・・・・・・駄目だ、考えるのは後、先ずは剣を!!)
マリエルは森を思い浮かべる。ただし、そこに生えているのは決して樹木などではない。枝葉は無く、どこまでも武骨で鈍色を放つそれら。
刃金だ。古今東西、形状問わず様々な刀剣が刺さっている。
剣が森を成している。
その異形の森に呼びかける。
「レコーウス」
静かに呼ぶと既に手の中に一振りの剣が納まっている。幅広の両刃剣だ。その光景に、百目は「ほう」とだけ呟いた。
だが、それだけで百目は再びマリエルに打ちかかる。マリエルはまた剣で受けるが百目は先程度同じ技で剣を砕いた。剣はまるでガラスが砕けるような高い音を放って、文字通り跡形も無く消え去った。
疑問も在るがそれより先に追撃を掛けようとして今度は百目が驚く番だった。
「シャルバラ!!」
マリエルがそう叫んだかと思うと空いた手の方に今度は片刃の細身な刀身が既に握られていた。それを容赦なく百目目掛けて振り下ろす。
堪らず百目は回避し距離をとる。
「・・・・・・もしかして、それがあの名高い「剣の森」か?」
「そうよ。まだ完全に発動させてるわけじゃないけど」
剣の森。
これがフロイスコット家をフロイスコット家足らしめている魔術であり、しかも一族しか使えない為に固有魔術と呼ばれている物だ。
異界に封印した刀剣本体から、精巧なコピーを現世に召喚する。代々の当主が剣術を研鑽すると同時に時間を掛けて生み出した一族のシンボルだ。
「さっきも聞いたけどあなたこそ本当に人間なの?剣をあんな風に砕くなんて聞いた事も無い」
「人間だよ。そしてこの技は魔術でも能力でもないただの武術だ。一応流派の名前は六枝流という」
「ロクシリュウ?」
マリエルは不思議そうに繰り返す。当然だろう、何せ八ツ島の武術などアヴァルには何も知られていないに等しく、流派を言った所で解る訳が無い。更に加えて言えば、六枝流は八ツ島でも非常にマイナーだ。何せ百目を含めても使い手は5人も居ない。
六枝流に関してはまたいずれ語る機会があるとして。
「さて、次で決着を付けようか」
「くっ!?」
百目の雰囲気がまた急変する。
床を踏み抜かんばかりの踏み込み音と共に百目が突っ込んでくる。更に速い踏み込みにマリエルは戦慄した。何せ対処が思いつかないのだ。剣を振るえばまたあの技で破壊されると思うとどうすれば決定打が打ち込めるのか解らない。
そうこうする内に百目が目の前に迫っているので遮二無二剣を振るう。すると百目は剣身を横から右の掌で軽く触る。するとまた剣が粉々になった。
六枝流絶技が三手「蝕砕」
相手の武器・防具を素手で破壊する為の技だ。
(くっ・・・次を、次の剣を!!)
召喚したと同時に百目目掛けて斬り付ける。といっても実際に斬る訳にはいかないので剣を伏せて空いた肩を狙い叩きつける。それでも当たれば骨ぐらいは簡単に砕ける威力だ。マリエルは百目がその一撃を避けると思っていた。しかし、百目は実際には微動だにせずそれをそのまま受けた。
驚愕は二重の意味でやって来た。初めは避けられたであろう一撃を百目が受けた事。次にその一撃が当たった瞬間に体中の力が消失した。
六枝流絶技の二手「水鏡」
剣を叩きつける際に込めた力も、その反動を抑える力も全てが急に無くなった為、動く事が出来ない。
一瞬の事とは言え、それが命取りとなった。何をされたのか訳が解らず、体に力を込め直した時には何処に一撃を入れられたのか解らない内に視界が暗転し、意識を刈り取られていた。
はっ、とマリエルは気が付き周りを見ると百目が傍に座っていた。気絶していた時間は2分ほどだった。
気が付いたと同時に負けた実感と悔しさが沸いてくるがそれを押し込めて百目に頭を下げる。
「ありがとうございました」
マリエルが剣術を始めて父から最初に習ったのは戦った相手対する敬意だった。そんな習いからマリエルは礼を告げるが、百目もまた同じ様に返してきた。
「こちらこそ、半年近く誰とも立ち合ってなかったから良い稽古になった」
「あのレベルで、稽古なの?本気を出したヒラツカとはやり合いたくないわね」
百目はその言葉に思わず苦笑する。
「ああそれと、俺の事は百目と呼んでくれ。平塚で呼ばれているとどうも落ち着かん」
「ええ!!な、名前で呼んでいいの!?」
「?問題ないぞ」
マリエルはどこか照れた様に、顔を赤くしてもじもじしているがそれに百目は気付かない。気が付く訳が無い。体を動かした後だから熱が取れてないんだな、位にしか思っていないし、そうでなければ百目ではない。
「ヒャ、ヒャ・・・ヒャクメ」
そのまま消え入りそうな声だったが、百目はそれに「応!」と嬉しそうに答える。それを見てマリエルの顔は更に赤みを増すのだが、それはさて置き。
「じゃ、じゃあ、私も名前で呼んで?」
「ああ、これからもよろしくマリエル」
何故かそこでマリエルが小さくガッツポーズをしたのを不思議に思った百目だったが、そこでようやく沙綺の事を思い出し、再度マリエルに礼を告げて走り帰った。
最後まで顔を赤くしながらマリエルは百目の後姿を見送っていたが当然のごとく百目はそれに微塵も気が付かなかった。
日が傾きかけていたが、かなり急いだおかげか協会から7分ほどでアパートに到着した百目は、そのまま沙綺の部屋へと向かう。玄関から部屋へと繋がる扉の所で、一旦止まりノックをして声を掛けるが返事が無い。それを確認してから部屋の中に入ると沙綺は眠っていた。
大分落ち着いたのか寝息も落ち着き、顔色も良くなっている。一応熱を確認しようと百目が額に手を触れた時に丁度、沙綺が目を覚ました。
「・・・・・・おかえり」
「ただいま。具合はだいぶ良いみたいだな?」
「うん。頭が少しくらくらするぐらいかな」
百目は安心した様に「そうか」と笑みをこぼし、夕食の準備を始めた。メニューは風邪の時の定番、お粥だ。
半時間ばかり水に浸けた米を沙綺が食べ易い様に七分粥にし、それに味噌で薄く味を付けて作る。これが平塚流で百目も幼い頃に良く作ってもらった記憶が在る。今回はそれに溶き卵を入れトロトロに煮て、最後に細かく刻んだ葱を掛ければ完成だ。
因みに米も味噌も、探せば何でも在ると喧伝する王都セレスティアの裏町の闇商店街を探したら、本当に見つかった。しかもどちらも百目と沙綺の地元、八ツ島の栄が産地と表示されていたのには流石に二人とも驚いていた。
それはさて置き、二人でお粥を食べ終わった後、沙綺は暫く雑談をしていたが次第にうつらうつらしだした。
「眠いんだろ?無理はせずに寝ておけ」
「ううう、そうする。・・・・・・・・・・・・布団は戸棚の中だから使って」
そう言ったきりぱたりと寝落ちる。
(・・・・・・それは暗に、ここに泊まっていけと言う事か。まあ、もともとその算段も在ったから良いか)
やれやれと思いながら、自分用の布団を敷く。まだ時間にして20時を過ぎた位だが、沙綺が寝てしまったので明るくしておくのも気が引ける。
結局そのまま何時もより2時間も早く就寝し、夜中に特段沙綺に起こされる事も無かったのでそのまま一日を終えた。
百目は翌朝何時もより早くに目が覚めた。昨日早くに寝た為だろう、まだ朝日すら昇っていない。沙綺の様子を見ようとベッドに目を向けるが既にそこに居なかった。「はて?」と思ったが、浴室から水音がするので恐らく体を流しているのだろう。それならばと百目は昨日のお粥に火を入れた。一日経ったお粥は水を吸ってぼてぼてとしているが、それはそれで一つ乙である。
「いただきます」
「フン、・・・・・・いただきます」
何故か不機嫌な沙綺の様子に百目は大人しくしているしかない。
(何で、沙綺の奴こんなに不機嫌なんだろう?何かやったっけ?)
(この男は!この男は!!この男は!!!同じ部屋で寝ていながら手を出すどころか、朝まで熟睡ってどういう了見よ!?しかも朝、直ぐ隣で風呂に入っているのにのほほんと粥なんて温めて、私は粥以下か!!!!!!)
唸らんばかりに顔を歪め、お粥を匙で滅多刺しにする沙綺に流石に百目も危機感を覚える。それと同時に沙綺の行動から自分なりに解釈を加え、機嫌を取ろうと試みた。
「・・・やっぱり、さらさらのお粥が良かったか?」
「喧しい!!!」
何処までも噛み合わない二人である。
そんな朝の一幕もありながら、二人は協会へ行く準備を進める。そんな中急に百目が沙綺を呼んだ。まだ機嫌の直らない沙綺が無言で、振り向くと眼前に百目の顔があり息が詰まった。そのまま百目は自分の額と沙綺の額を合わせて熱を測る。
「もう、大丈夫そうだな。でも病み上がりには変わりないんだから無理はするなよ?」
沙綺は口をぱくぱくとさせて何か言おうとしているが、百目はそれで安心したのかさっさと部屋から出て行こうとする。
軽く溜息を吐いた沙綺はそれに付いていく。今更この朴念仁に過度の期待を掛けても仕方ない事は沙綺が一番わかっている心算だ。どうせこのアヴァルでは百目は浮いてしまって、ライバルなど元より存在しない。慌てる必要は無いのだ。それよりは今の自分に対する心配と額同士とはいえ百目とくっ付けた事に対する嬉しさを噛み締めようと頭を切り替えた。
何故かにこにことしながら共に歩く沙綺を心底不思議に思いながら百目は協会へと向かう。角を曲がり大通りに出た所で昨日と同じくガルシアとレックスが合流する。ガルシアは純粋に沙綺を心配し、レックスは下心丸出しで言い寄っては素気無く袖にされている。
何時も通りわいわい騒ぎながら協会まで来ると門の前で百目は見知った相手を見つけた。相手も同時に見付けたらしく、小走りでこちらにやってくる。その表情は昨日見せていた微笑等ではなく、満面の笑みを浮かべていた。
「おはよわっと!!」
百目が挨拶をしようと声を掛けている最中でその相手―――マリエルが飛び付いてくる。
「ヒャクメ、おはよう!!」
百目に抱き着いたままそう挨拶するマリエルの笑顔は本当に嬉しそうで、昨日までの取り澄ました様子は一切無い。
百目はいきなりの事に慌てるが、何とかおはようとだけ返す。
しかし、マリエルの追撃の手は一切緩められない。
「ねぇねぇヒャクメ、今度の週末は暇?」
「へ?」
「むぅ、だから今度のお休みに何か用事は有るの?」
「いや、・・・いや何も無い筈だけど?」
「じゃあ、今度のお休みに私の実家に遊びに来ない?お父様に紹介するから!!」
最後の発言にガルシアは自分の事でも無いのに恥ずかしそうに、レックスは「いいぞ、もっとや・・・えっ?なんすぐっはあああああ」と沈められた。
その叫び声に百目は振り返る。そこにはさっきまでの機嫌の良さなど微塵も無い沙綺が自分達を射殺さんばかりの眼光で睨んでいる。彼女の右手には泡を吹くレックスの顔面が握られていたが、それをぞんざいに放り捨てる。
「・・・・・・百目」
ただ名前を呼ばれただけなのに、腹の中の色んな物がぺっちゃんこにされたかの様だ。気の弱い人間ならそれだけで心の臓が止まりそうな怒気を孕んだ声に、百目は辛うじて「はい」とだけ掠れた声で返した。実際ガルシアは少し中てられたのか顔を青くして震えている。
一方マリエルはそれを面白く無さそうに見ながら、百目から離れた。
「貴様、誰だ?」
「あら、人に名前を尋ねるなら自分から言ったら?まあ貴女の事は知っているから、どうでも良いけど。私の名前はマリエル=フロイスコットよ」
「ほう。ところでアヴァルでは朝の挨拶に態々相手に抱きつくのか?それとも貴様が痴女なのか?そうか痴女なんだな」
「なっ!?あなた言うに事欠いてフロイスコット家に向かって痴女ですって!!!」
「家名に頼るとは底の浅い女だな!!!」
「極東の田舎者の分際でっ!!」
二人の周りでそれぞれ魔力が渦巻く。沙綺は何時の間にか角が生えており、マリエルも何時の間にか、剣を召喚していた。確かシャルバラと呼ばれていた剣だ。
段々と周囲の魔力偏在値が高まり、飽和状態になったところで変化が生じた。沙綺の霊格に中てられた飽和魔力は炎にマリエルは雷に、それぞれが各々の周囲で渦巻く。
そしてその瞬間、まるでそれが合図であった様に二人が激突する。既に二人とも完全戦闘態勢だ。沙綺は完全に鬼へと変化し、マリエルは背後の魔術陣の中に(恐らくこれが完全に起動した「剣の森」だろう)幾本もの突き立てられた剣を召喚している。時折マリエルの「次!!」と言う声に合わせて争いの渦中へ剣が飛び込んでいく。
「私がヒャクメと何をしようと勝手でしょ!!」
「うるさい!!あいつは私のだ!!!」
「うっわ、何その自分勝手な言い草。ヒャクメも可哀相ね!!」
「喧しい!!!」
喧々囂々と続く、彼女らの闘争は既に多くの注目を集めている。そろそろ協会の教授陣が動きそうな気もするし大事にはしたくないのだが、最早百目にはこの事態を止める術は無く、ただ傍観するしかなかった。
「可哀相だな?」
何時の間にか復活したレックスは百目の肩に手を置きながら、哀れみとも、からかいとも取れる言葉を投げ、それに対して百目は深い溜息と力無く頭を振る事しか出来なかった。
因みにフロイスコット家に於いて家名ではなく名前で異性同士が呼び合う様に申し出る事が婚約の口約束に相当するのだと百目が知るのは、もっと後になっての事だった。
九ヶ月ほどご無沙汰をしていました、陸要です。
ようやく後編を投稿する事が出来ました。これからはもう少しスムーズに更新出来るようにがんばりたいと思います。
次回はとりあえず百目と沙綺の過去編を予定しています。
本作を読まれてのご意見・ご感想を是非お聞かせ下さい。それを励みにこれからも精進していきます。