第3話 元から無い平穏なんて望んだところでやっぱり無い前編
入国時の騒動が在ってから早数週間。ようやく協会にも慣れ、知り合いも出来た百目は自分の部屋で朝の準備に追われていた。
協会に行く時間まで余裕が幾らか在るが、幼馴染みが朝食を食べに来るからである。幼馴染みとは当然沙綺の事だが、彼女は百目と同じアパート(と言うよりも協会の寮に近い)の隣部屋に住んでいた。沙綺の父親、要は双角鬼を纏め上げる姫城家の御当主様だが、彼は散々二人で同じ部屋を借りる様に勧めてきたが、百目がそれだけは何としてでも阻止しようとして成功したので、最後の妥協案として隣同士となっている。
アパートは協会から少し離れた場所に在り、のんびり歩けば15分位かかる。部屋の作りは簡単で、キッチンと扉一枚挟んで部屋が一個あるだけの簡単な物だ。沙綺の部屋も同じ作りだろうが百目はまだ訪れた事は無い。
沙綺は何故か朝食を食べに毎朝やって来るので百目としても気が抜けない。本当は朝ぐらい手を抜いて簡単に済ませたいのが百目の本心だが、沙綺曰く、「どうせ一緒に協会に行くんだから、朝も一緒の方が良いんだ」と解る様な、解らない様な理由を並べ立てていた。まあ結局の所百目と一緒に朝食を取りたいだけなのだろう。
これで沙綺が素直に言うなり、百目がもう少しこう言った方面に聡ければ結果も変わったかも知れない。しかし、現状は沙綺にとってこれが精一杯の努力だった。因みに百目は期待するだけ無駄だ。
「少し、何時もより遅いな……」
朝食の準備も済み、一段落した百目は呟いた。毎日同じ時間にきっちりと現れる沙綺がまだ来ない。何時もなら既に部屋の中で寛ぎながら、百目を急かすのが常なのだが。
百目は気になり隣の部屋に行こうとし、ドアのノブを握ろうとした。
しかし、その瞬間バキッと音が鳴り握ろうとしていたノブはドアの向こう側へと消え去った。
あまりの事態に唖然としていた百目だが、今度は扉が激しく叩かれだした。咄嗟に身を捻って回避したら百目の体の在った場所をドアが凄まじい勢いで飛んでいき、更には窓の割れる音と外から通行人の悲鳴が聞こえてきたが取り敢えず無視した。
何故ならそこには顔を真っ赤にした沙綺が息も絶え絶えに立って居た。
「……すまん。遅くなった」
「いや…、それは良いんだが……。何故朝から破壊活動に勤しんでるいんだドアとノブに何か怨みでも?」
「……そんな訳無いだろう。少し力の加減を間違えた」
沙綺は少しイラついた様に呟いた。
一体どんな風に加減を間違えばドアが部屋を過ぎ去り、表通りまで吹き飛ぶのか。
しかし、百目はそれよりも沙綺の髪が気になった。何時もなら黒い髪が赤みを帯びている。それも前に廃墟で見せた様に綺麗な真紅ではなく、斑状に所々が赤くなっている。
「沙綺、もしかして熱があるのか?」
確かに沙綺の顔は赤く上気している。瞳も潤んでいるし、息も少し荒い。何より百目には覚えがあった。以前も沙綺が風邪で熱を出し、普段抑えている鬼の力が抑えられず意思とは関係なく表面に出てきた事があった。その時も確か最初は今みたいに髪が斑に染まった。
「……違う。…………と言いたいが、すまん。限界…」
そこまで言うと沙綺は百目の方へ倒れこんで来た。慌てて百目が受け止めると驚くほどその体は熱くなっていた。
百目が何とか沙綺を部屋まで運び寝間着に着替えさせ熱を測って見たら39度6分もあった。誰が見ても微熱なんてレベルではない。
「こんな熱で無理するなよ。何時からおかしかったんだ?」
「……」
「黙っていたら解らないだろ?何時から違和感があった?」
「………………………昨日の朝から」
「おま、馬鹿か!早く言えよ。何で言わなかったんだ!?」
「……迷惑掛けると思って」
そう言われると百目としても言い返し辛い。何より百目にとっては何時もの傲岸不遜とも言える沙綺がここまでしおらしいと調子が狂う。
「とにかく、今日は休め。俺も午前中までしかないから直ぐに帰ってくる」
「……行っちゃうの?」
百目は思わず「うぐっ」と唸った。そう彼の心に何かがクリーンヒットした。
しかし、百目としても協会を休んで沙綺を看病する訳にはいかない。それから何とか沙綺を説得して協会へ向かったが、朝からドッと疲れた百目だった。
百目が協会へと向かっていると途中で見知った顔と合流した。
「おはよう、ヒャクメ君」
「よう!いい朝だな、ヒャクメ」
「おはよう、二人とも」
最初に挨拶してきたのはガルシア=ジェイマン。百目と同じく人間で歳は同じ位らしい。らしいと付けたのは、余りにも幼く見えるからだ。身長なんてルーン人に比べて小さい八ツ島人の百目より小さい。本人としてはそれもコンプレックスらしく、偶に周りからからかわれては怒っている。しかし元々大人し過ぎる位穏やかな性格と童顔な顔つきでぴょこぴょこと怒られても、全く怖くない。寧ろ小さな子供が背伸びをしている様で微笑ましくなってしまい、一部の人間はそれを解ってやっているのだが本人は知らない。
百目が最初のごたごたとアヴァルでは珍しい八ツ島人と言うことで浮いていた所に声を掛けて来てくれたのがこのガルシアだ。それ以来暇な時は大体沙綺とガルシアの3人で研究の話に花を咲かしている。
次に軽い調子で挨拶をしてきたのはレックス=クラインフェルター。こちらは百目やガルシアとは違い人外で、任意で狼に変身する事の出来る人狼族の青年だ。かなりの女好きらしく、百目が居ない時に沙綺に粉を掛けようとして文字通り返り討ちに遭ったらしい。無論人狼族とて人間からすれば破格なほどの戦闘力を持つがそれでも沙綺に手も出せず沈められたらしい。
しかし、本人はそれすらも気に入ったらしく今でもデートの誘いをせっせと行っている。百目としてはその後の不機嫌になった沙綺の相手をしなければならないので勘弁して欲しいが、顔を合わせている内に何時の間にか話をするようになっていた。
「あれ、そう言えば今日はヒメシロさんどうしたの?姿が見えないけど」
ガルシアが気付いたようなので、今朝起こった事の顛末を二人に告げる。ドアが吹っ飛んだ辺りでガルシアの顔が青ざめていたが最後まで話し終わった。しかし、結局あの後ドアを回収しようとしたら通りで粉々に砕け散っていた。けが人が居なかった事だけを祈る。
すると黙っていたレックスが急に「ウオオオ!!」叫びだし百目とガルシアはびっくりした。
「なんだ!遂に頭の中までイカレたか?」
「違う!!」
「今この時にもサキが熱で苦しんでいるのに、お前は何ともないのか!?」
「沙綺だって子供じゃないんだ。騒ぎ立てるほどじゃないだろ」
実際は百目が出て行こうとすると「置いて行かないで」とか「一人は寂しいよぅ」とか泣きながら駄々をこねて来たのだが、沙綺の名誉の為に言わなかった。決して後の報復が怖かったからじゃない。
「解ってない!解ってない!!お前がそんな事言っているなら、俺が今から看病に行ってくるぜ!!!」
言うが早いか、レックスは駆け出そうとしている。ガルシアはそんな彼をどうやって止めようか、あわあわしている。
しかし百目は冷静に、しかし何処か呆れたように言い放った。
「別に看病するのはお前の勝手だが、死ぬなよ?」
瞬間走り出そうとしていたレックスはピタリと止まり、顔だけこっちに向けて来た。
「さっき説明しただろうが。今の沙綺は鬼の力を制御出来ていない。意識が朦朧としている状態で下手な事をすれば全力で向かってくるぞ?」
今度はレックスの顔色が真っ青になり、カタカタと震えだした。もしかしたら沙綺に叩き潰された時の記憶がフラッシュバックしているのかも知れない。
「とにかく、馬鹿な事やっていると講義に間に合わないぞ」
百目とガルシアは震えながら「無理無理むりむりムリムリ……」と呟き続けるレックスを引っ張るようにして歩きながら、協会の講義棟へ向かった。
王立魔術協会には所謂教育機関が付属している。これは協会が設立された時に、時の女王が次代に続く後進の育成の為に作った制度だ。実績や知識の無い者を先ず学生という立場で教育し、その後に試験を受けマスターやドクターになる。余談ながら八ツ島ではそれぞれ修位と博位と呼ばれている。
そのドクターの中から各専門に8人まで協会の最高位たるプロフェッサーの椅子が用意されている訳だがこれはかなり狭き門で、毎年何人も挑むが一人も昇格出来ないのが当たり前の様になっている。また、プロフェッサーの席が満席の場合は当然資格を満たしていても昇格出来ない。
余りにも厳しすぎてプロフェッサーが2、3人しか居ない専門が殆どだ。
つまり百目達は今現在学生の立場で協会に出入りしている訳だ。だから厳密な意味では研究者ではない。自分の専門を研究するには最低でもマスターにならなくてはならない。更に研究室を持とうと思えばドクターでやっと何人か集まって申請すれば貰える合同研究室が与えられる。もっともそれも年間の活動実績が無ければあっと言う間に取り上げられてしまう。
個人の研究室と潤沢な研究費が与えられるのはプロフェッサーだけだ。
ガルシア達と別れて百目は1人講義室に向かう。何時もなら沙綺も同じ講義なので一緒に行くのだが今日はそれが無い。
ふと、「寂しい」と思ったが頭を振る。
「……沙綺のがうつったかな?」
そう言いながら、講義室に入った百目だが相変わらずこれだけは慣れない。まるで珍しい物でも見るかの様な視線。好奇心と僅かな嘲りの混ざった目、目、目。
百目は溜息を吐きながら席に着くが、その周りは穴が開いたように誰も座っていない。誰もが遠巻きに見ながらヒソヒソと話し合っている。
何時もは大して気にならないのだが、今日は妙に周りの事が目に付いた。これも恐らく沙綺が居ないせいだろう。心の中で「……沙綺が居ないと寂しいな」と呟いてみる。恐らく本人が聞いたら「馬鹿」と言いながら内心大喜びしたであろう。
そんな風に百目が傍から見てボーっとしていたら、不意に周りが静かになった。疑問に思う間もなく百目は声を掛けられていた。
「隣の席は空いていますかしら?」
「あ、ああ」
見るとそこには金髪に碧眼を持った女性が微笑みながら立っていた。
お久しぶりです、もしくははじめまして!こんにちは、陸要です。
今回の更新はだいぶ遅くなってしまい、ごめんなさいm(_ _)m
しかも、今回も後編へ続きます。
おかしい、構想では一話でけりを付ける積りだったのに……。
こんな作者ですが、どうぞ見捨てないで下さい。皆様のご意見ご感想を聞かせてください。それを活力にこれからもがんばります。