きっても きってもきってもきっても きれない
至愚は香炉から燻る匂いに包まれ、自らの穢れを祓っていた。安悉香または安息香。古くから密教などで使われてきたお香だ。西洋圏でも悪魔祓いなどでも仕様されてきた生薬である。
言葉は武器になる。実際に「貴方が好き」や「大嫌い」どが胸に刺さり、生活に支障がでるくらいには。
言霊なる力があると日本国は昔から信じてきた──いや、それは人類共通か。言葉により幸運を祈る人々がいる、神に祈る言葉がある限り、類人猿は自ら産み出した言語の呪縛から逃れなれない。
八重岳 イヨ子の呪詛を祓う。
イヨ子が所在なさげに市営墓地でうずくまっていた景色がまぶたの裏に蘇る。あの時声をかけていなければどうなっていたのか?と疑問に思った。
決まっている。
パーラム・イターの贄となり、行方不明者扱いで終わりだろう。
あの時までは彼女はまだ呪力も有さないごく普通の人間の、女の子であった。自主性の無い、の割に未熟な未成年。
思春期の穢れなき心を踏みにじられたあの瞳は、自殺志願者か破壊衝動を実行する前の光を閉じ込めていた。
(もし健全に生きていたら…多分だが、社会で浮いてしまっていたろう…。道筋は間違えていなかった…)
言い訳じみていると嫌気がさす。いつまでこうしてイヨ子への言い訳を述べるのだろう。
「あの小刀の呪いはおぞましい…呪詛、毒気の塊だ」
「刀?あー、このパーラム様を刺した憎いガラクタか」
求めていた声がして、やっとこの時が来たのだと歓喜している自分がいる。
「やあ、至愚。邪道に堕ちた巫者の成れの果てさん」
気味の悪い森にいた。鬱蒼とした森──雑木林だろうか?変わった木々は──神聖なはずのコウヤマキが多くを占めていた──空を隙間なく埋め、不気味で巨大な蛾が木にとまり、羽の模様がこちらを見ているようだった。そして何故かあちこちに錆び付いた信号機があって、夜間点滅信号のため赤く点滅している。
あの串刺しにされた亡骸たちが信号機の犠牲になり──訳が分からないが、か細く呻いている。
視界にパビャ子に似た女がいた。意地悪い悪趣味の空間に。
彼岸花の咲き乱れる空間で、パーラム・イターが椅子にふんぞり返っていた。
「パーラム・イターっ!!やっと会えたな。殺めてやる」
「おいおい。知能まで下がってるのかよ。人間らしい会話をしようぜ」
「人間?貴様が人間の何を知るか」
「私も社会勉強したんだ。まあ、乎代子の知識だけどな」
笑い飛ばすと、パーラムはジックリと人面獣を観察した。
「畜生道に堕ちた気分はどうだ?稀代の禍根術師」
「畜生道?お前が六道を解くなんぞ!笑わせるな」
牙をむいた至愚に、彼女はさして気にしておらず、彼岸花を手にくつろいでいる。お香の煙に包まれていたはずの周りは奇妙な世界に変貌しており、いつの間に術中にハマっていたのだとイラつかせた。
「なあ?あの子は相当痛かったんだろうな?信頼していた人間に殺められ、しかも名を消された。神と勝手に崇められ、束縛され、終いには裏切り者だと暫定される。それがあのガラクタ…小刀の力さ」
「あ?…大戸或女神かい?」
「…。私を恨んでいたかもしれない。なぜ助けてくれなかった、だとか、どうして代弁してくれなかった…とか。まあ、死人に口なしだ」
(たしか、このオンナが執心していた神だったな…)
『大戸或女神』に当てはめられたこの世の者でない部類が神社に祀られていた。人間であった頃の至愚には可視できず、悲劇が終わった後に死骸を見た。
オオサンショウウオに少し似ている塊だった。目も口もない。半透明な塊。
「だからと言って神具に刺される理由にはならねえ。あの子が小刀を持って刺してきたなら、納得するがね」
どこまでも甘ったれたヤツだ、と呆れた。あの神はただ話を聞いていただけかも知れぬ。己を受け入れたと錯覚しているだけかも。
なのに、パーラムは『それだけの』関係性で刺されても良いというのか。
「…イヨ子は、大戸或女神に導かれたのか…それか輪廻を巡り、人間となった大戸或女神か」
「うん?何を言い出すんだ、お前」
「貴様への罰を考えていた」
するとパーラムは片眉をあげ、不快感に眼光を鋭くした。
言葉で縛り付けてやろうと思った。マジナイを含まぬ、真正な悪意のある言葉で。
「あの子が仕向けたって?何言ってんだ」
「偶然と必然が交じる世界で、アンタに罰が下るかを考えているのさ。考えてみなよ?なぜその『あの子』とやらの形見である小刀があたしの手に渡った?なぜ八重岳 イヨ子が贄になり、小刀を使役できた?」
神の形見であるあの小刀は、神の遺志で鞘が抜けなくなっていた。至愚の元に渡ってきた時に誰も抜けなかったと謂れがついていた。それをイヨ子は容易く抜き去り、パーラムに刃を突き立てた。
「至愚。オメエ、小刀が抜けない前提で小娘に渡したのかよ。鬼畜だなー」
「例え鞘が抜けなくてもあたしがその隙をついて貴様を調伏していたよ」
「アッハッハッ!さすがは徒魚サマ!血も涙もない術士だなぁ」
やれやれ、と芝居がかった仕草で茶髪オンナは呆れてみせた。
「イヨ子と『あの子』に繋がりがあるかは確証はない。大戸或女神の転生先だったとしても、彼女は一生を終えてまた流転する場合だってあった。あれは天から罰が下されたんだ。分かったか?罰せられたんだ。反省しろ」
「理由づけ。陰謀論者。後付け、くだらない。お粗末。ちんけ──だが」
ひとしきり罵ったあと、彼女はニヤリと卑下た色を含ませた。
「イヨ子があの子だった場合、また可愛がらせてもらうよ」
「は?」
「運命の人は必ずや巡り会える。そーいや、多多邪の宮がそんな口説き文句をぼざいてたな。そうだな。ロマンチックだ!運命!いい響きじゃあないかっ!」
「…はあ、頭が痛いよ」
ポジティブシンキングなヤツにため息が出る。
罪悪感で苦しめようとしたらこれだ。
(あの大戸或女神がお前を恨んで刺したとして、その時お前は想いをきちんと精算できるのか?そこまでの器を持ちえていないだろ?)
「さあ!対話の時代だ!乎代子!パビャ子!お前らから大戸或女神を抉りだそう!」
(ヤバいのではないか?イヨ子の魂が大戸或女神と分かるまで分解されれば…)
「待て──」
眼前には香炉があるだけであった。
文字数がでかいとアプリの挙動がおかしくなるんですね。
笑いました。




