のやまをかける
フスは久方ぶりに月を『見た』。白い円形の光が、真っ暗な中にただ浮いている。こちらを煌々と照らし、獣たちがそれを頼りに蠢く。
獣たちにはありがたい視界の恵み。それは否定できなかった。
女性はその『月』を眺め、何か納得したようだ。
「月は良いですね。ずっと地球の周りを回るんですから、何もしていないようで憧れます」
「??」
訳が分からなくてフスは聞き流した。
「シゴトですから。何もしないのが。月みたいになって、楽をしたい」
月って?
人の思考を失っているリクルートスーツ姿の女性は純粋に首を傾げた。
あの丸い光は勝手に浮いているだけだ。たまに満ち欠けてはまたあがる。
それだけだ。
「少し遊びたくなりました。かけっこをしませんか」
艶々した髪を手でいじりながら野良悪魔は微笑む。
「う?」
「さて、走りますか」
身を震わすと人間の姿があっという間に巨大なリャマに変わった。奇妙なリャマを前に、フスは威嚇した。
「ペェッ!!!!!!」
唾を吐かれ、さらに唸りをあげ後ずさる。
「ついつい唾が出てしまいましたわ。すいません」
「ガウう!」
顔面が唾まみれになり、上手く手を使えない彼女は地面に擦り付けるしかなかった。最悪な気分になり噛み付いてやろうかとも思ったが、あのリャマは走り出していた。
山の斜面を軽々と走る様は野鹿のようであり、狩猟本能を掻き立てられる。
「アア!」
四つん這いのまま後を追う。獲物もなかなかの速さで追いつけない。
「自由に走るのは楽しい。いつの世もそうですわね」
野良悪魔は少し晴れやかに言い放って、速度を増す。見ているのが仕事だがたまには休憩してもいい。
「野良悪魔は仕事をサボっても怒られないもの」
リクルートスーツ姿の野生化した女性は疾走するとぶち犬のような、不思議な錯覚を生み出した。
野山に不気味な生き物が二匹。
楽しげに山肌を走っているのを──たまたま目撃した人がいそうな。
野良悪魔さんたちは生を謳歌して欲しさがあります。
リャマ悪魔さんの口調が不安でした…。




