できなかったこと
「あるるるるーーーー!!!!!」
「ったく!うるさい子だねえ!親の顔が知りたいよ!!」
縛られたまま訳の分からぬ雄叫びをあげる子供に、老人会のおばさんは辟易した。
「ママーッ!!ママーッ、いたいよおーーーー!!ぶだないでよおお!!」
「…ママはもういないんだよ!目を覚まして!」
倉見はこの少女は虐待された経験があるのではないかと勘づく。たまに痛がるような言葉を叫ぶのだ。
「ま……ま…」
「貴方は解放されたの!大丈夫だから──」
出会ってから何も映して居なかった虚ろな目に悲しい色が宿った。そこから涙があふれ、子供はワンワン泣き出す。
(どうしよう。託児所?いや、孤児院に連れてく?でもどうみても)
人間じゃない。
「わっ!」
ガシッと腕を捕まれ、顔を擦り付けられた。凄まじい力に唖然としていると、いきなり車のフロントガラスに衝撃が走った。
「にげて、にげて、おいていっていいから、ここから」
「えっ」
か弱い訴えに気を取られ、周囲の喧騒が遠のく。
(…何だろう。私はこの言葉を)
「ちくしょう!人轢いちまった!」
間涙がヒビで見えなくなったフロントに血飛沫がついているのに絶望して、我に返った。
「わ、私、見てきます!」
「いや、外に出んなっ!外はヤバい!このまま、隣の港町まで逃げるぞ」
「え、ええっ?!」
パニック映画さながらの状況下で、バァンと車体に硬いものが体当たりしてきた。
「ぎゃああっ!出たーっ!」
おばさんが悲鳴をあげ、外を指さしている。
「え──」
外には牙だらけの口をした白目の女が奇声をあげて、骨折してしまうのではないかというくらいの角度で手で車を叩いている。
「ダメだよ!外に出ちゃ!」
子供が引き寄せられるように、化け物の方へ向かおうとする。しかしそれだけは避けたかった。
「守るから!」
封じていた──ひいおばあちゃんの背中が脳裏に浮かぶ。あの寂しげで孤独な人へ寄り添えなかった。行方不明になる前の日、近所の老人たちが話をしていたのに。
──人理さんを、そろそろ山へ捨てに行かねば。化け物め。どんなに注意しても邪教を広めようとする。
──町のためだ。もう、手にかけるしかない。
それをすぐさまひいおばあちゃんへ知らせ、二人で逃げられた良かった。
体が熱を発し、眼球が溶けそうになる。きつく抱きしめた子供がたじろぎ、
『印猫さまに逆らう気か?』
『愚かな、愚かな愚かな!!』
あの子供らの声がして、ハッとまぶたを開けた。
「…ゾンビが、し、死んだわよ…何が起きたの」
あれだけ暴れていたゾンビの気配がしない。
「倉見。その目、どうした?!」
「は?何がですか?」
フロントガラスを向けられ、驚愕する。東洋人の特徴である黒い瞳が金色へ変化しているではないか。
「きゃあ、また、またゾンビ来てる!間涙さん!車を出しなさいよっ!」
「わ、分かってるって!」
アクセル全開でワゴン車を発進させると、港町から離れる国道へ突っ走った。ゲリラ豪雨か雨が降り出し、ますます車内は陰鬱となる。
「──あ」
ふと、道で猛スピードですれ違う見慣れない会社のタクシーがいた。その中に同じ金色が見えた気がして目で追う。
(ひいおばあちゃん、ごめん)
手を握ってくる少女に、かつてできなかった自分を重ねて罪滅ぼしをしようとした。




