アウェー
ビョン爺は子供が大嫌いだった。赤ん坊はところ構わず泣き叫ぶし、小さい子供は走り回るし、中学高校になると騒ぎ始めるからだ。
しかしそれらがビョン爺の子供嫌いの決定的な要素というわけではなかった。かつてはビョン爺にも子供がいたのだ。玉のように可愛い女の子だったが4歳の頃、近所の狂った中学生に殺されてしまった。
それからだった。彼が子供を嫌うようになったのは。
世の中にはクズとしか呼びようがない者が多すぎる。なぜ娘が死に、そいつらが生きているのか、ビョン爺には分からなかった。
ビョン爺はある日、市の図書館へと足を運んだ。彼のような行き場のない人々にとって図書館はオアシスそのものだった。本を読めるのはもちろんのこと、エアコンが効いていて綺麗なトイレまで使わせてもらえる。
図書館に入ると、受付の前で中学生くらいの男女が10人くらいで騒いでいた。男子が男子にタックルをし、されたほうもやり返し、皆で笑っていた。
スタッフが「やめてください」と注意すると、そのうちの1人が「フンッ」と鼻を鳴らし、あとに男女の笑いが続いた。
この街は変わってしまった、とビョン爺は思った。
昔は図書館といえば平和そのもので、こんな輩は当然おらず、皆笑顔で過ごしていた。それが今ではクズの遊び場に成り果て、司書は全員ノイローゼのような顔をしている。
気付くとビョン爺は1人の肩を掴んでいた。
「なんだよジジイ」
鬱陶しいな、という顔をしていた。
「お前たち、どこの生徒だ。学校に通報してやる」
ビョン爺がそう言うと、グループ全員がどっと笑いだした。
「なんだこのジジイ、正義の味方のつもりかよ」
「したけりゃ勝手にしろよ」
「どうせここしか居場所がないからな、こういうジジイは」
「その点オレたちはどこでも遊べるから、ここが出禁になっても痛くも痒くもねぇんだわ笑」
結局笑われただけで学校名は教えてもらえなかったものの、中学生たちが出ていったのでビョン爺にはそれだけで万々歳だった。
しかし、まだ終わりではなかった。
彼らがいなくなったにもかかわらず、館内がうるさいのだ。
周りを見渡すと利用者のほとんどが中学生から高校生くらいの男女で、皆机の上に教科書やノート、筆記具などを出していて、本を読んでいるのは2人しかいなかった。
この図書館は勉強禁止のはずである。ビョン爺は自分の記憶が合っているのかどうかを司書の女性に訊ねた。
「皆さん毎日こうなので、注意してもやめてくれません。私たちはもう諦めました」
そんなようなことを口を揃えて言った。これは問題だと思った。
「ワシが言ってくる」
そう言うとビョン爺は、まず1番近くの机にいた女子高校生に声をかけた。
「ここは勉強禁止だ。すぐにやめなさい」
「おじいさん、あなたのそれ、老害って言うんですよ」
予想だにしない答えに鳩が豆鉄砲を食らったような顔になるビョン爺。
「あなたみたいなお年寄りに若者の勉強を邪魔する権利なんてないんです。これだけみんな集まって勉強してるってことは、これが正しいんですよ。図書館が間違ってるんです。だからもう邪魔しないでください」
ビョン爺は怒りを抑え、次の机に向かった。
が、結果は同じだった。
うるさかったとしても客のほとんどが学生なのだから、お互い様だというのだ。本来の利用目的から逸脱し、数少ない善良な利用者を隅へと追いやり、学生たちで占領することが正しいというのだ。
「お前たち、家はないのか」
ビョン爺がそう言うと、1人の男子がそれに答えた。
「家だと集中出来ないんで。学校も部活とかやってるし」
「だからって図書館に迷惑かけていいのか?」
「どうせ僕達が来なきゃガラガラなんだから、いいでしょ」
「話にならんな」
ビョン爺は図書館を出た。
ビョン爺はこの国を愛していた。どれだけクズに虐げられようと、国を愛することだけはやめなかった。
そんなビョン爺が今、この国に失望していた。若者は国の宝であり未来だ。そんな若者が、数人ではなく街単位で腐っている。これではこの国は落ちていくばかりだ。
ビョン爺は酒を飲むことにした。
近くのコンビニに行くと、駐車場で若者が屯していた。
「ジジイだ」
「ほんとだ」
「ハゲてる」
当然のようにそんな言葉を吐き、指をさして彼を笑う。この街では、この国ではこれが普通なのだ。
コンビニに入ったビョン爺はカップ酒を1つ手に取り、レジへ向かった。
レジには店員がいなかった。店内を見渡すと、奥の棚で何かを補充していた。
「すまんが、レジを」
ビョン爺の声に気付いた若い男の店員が軽く舌打ちをして立ち上がる。
「1点で208円になりまーす」
そう言ったあと、ボソッと「こんだけでわざわざ呼ぶなよな」と言ったのをビョン爺は聞き逃さなかった。
「2円のお返しでーす。あざさっさっさっしゃぁー」
店を出ると、まだ若者が屯していた。
「ジジイが酒買ってる」
「ほんとだ」
「ハゲてる」
ビョン爺は公園へ向かった。ベンチに座って、ウトウトしながらちびちび呑むのだ。
公園では小学生たちがサッカーをしていた。ビョン爺が「自分の頃は野球だったな」と思いながらベンチに腰を下ろすと、顔めがけてボールが飛んできた。
「フグホッ!」
ビョン爺の鼻から真っ赤な血が垂れた。
「すいませーん! ボール取ってくださーい!」
ビョン爺は無視した。子供が嫌いな上に、怪我までさせられたのだ、当然である。
しばらくして、小学生が走ってきた。
「死ねよジジイ」
そう言ってボールを手に取り、走っていった。
「あのジジイ、ウザいな」
「クソだよな、ボールぐらい取ってくれればいいのにな」
「しっ! 聞こえるぞ」
「どうせ聞こえてないって、耳悪いだろうから」
ビョン爺は公園を変えることにした。
今度の公園は平和だった。ランニングする中年や、自分と同年代の人らが散歩しているだけで、子供がいないのだ。
ビョン爺はワンカップの蓋を開け、ポケットにしまった。
「旨い」
嫌なことがあった時は酒である。これで全てを忘れようと思った。
酒を飲み干したビョン爺はいつの間にかベンチに横になって眠っていた。
目を覚ますと、顔や体に砂がかけられていた。水飲み場で口をゆすぐと、ビョン爺は歩き出した。もうすっかり夜になっていた。
街灯のない暗い道を歩いていたところで突然、後ろから誰かに殴られた。
「痛っ⋯⋯誰だ! なにしやがる!」
振り返ると、10人くらいの男女が立っていた。
「あれ、こいつ昼間のジジイじゃね?」
「ほんとだ、ハゲてるもんな」
「やっちまおうぜ」
図書館の受付の前で暴れていた中学生だった。
「お前たち、こんな時間まで出歩いてたのか」
「お前に言われたくねーよ、ジジイ」
「なんで殴った」
「なんとなく」
ビョン爺は近くの交番に行くことにした。こいつらを補導してもらうのだ。
「おいジジイどこ行くんだよ」
「警察だ。お前たちにお灸を据えてもらう」
「あ、そう」
そう言うと中学生たちはビョン爺を取り囲み、腕を掴んで取り押さえた。
次の瞬間、真正面から顔を殴られた。鼻に激痛が走り、骨が軋む音がした。
「なにするんだ!」
「ウザいからボコす」
何発も殴られたビョン爺は立っていることも出来なくなった。
「死ーね! 死ーね! 死ーね! 死ーね!」
倒れたビョン爺の顔や腹、腕などを全員で何度も踏み抜く中学生たち。
ビョン爺は痛みの中に自分の幸せを見つけていた。これはマゾヒストという意味ではなく、こんな世界で生きていく自信がなくなった彼の、ただの諦めであった。
ビョン爺は国を愛していた。愛しているからこそ、落ちぶれていく姿を見たくなかったのだ。
それが叶うと解った時、彼の顔に笑みが生まれた。