感情の色〈千歳茶〉
せんざいちゃ/茶がかった暗緑
―――今となっては。
「……じゃあ、行ってくるよ」
声を掛けると、食器を洗っていた妻はちらりと視線を上げた。
「いってらっしゃい」
送り出す声は平坦で、ただ機械的に返されただけに聞こえる。
何を言う気もなく、靴を履き、玄関を出た。
駅までは十数分。
まだ朝だというのに、照りつける日差しも跳ね返る熱気もねっとり絡みつくようで。少し歩けば滲む汗を拭いながら、それでも僅かな解放感に胸をなでおろした。
いつの頃からか、妻から感情が失せていた。
もちろんもうそれなりの年齢なのだから、若い時のようにはしゃいだ声を上げたりしないことはわかっている。しかし妻の様子は落ち着いたというにはフラットで、あまりに静かだった。
何を話しても生返事のような相槌しか返ってこず、話題を振っても広がらない。
喜ぶ姿どころか、怒っているのも悲しんでいるのも長らく見ていない気がする。
ずっと何かをしている妻に気を遣い、手伝おうかと申し出てみるが、いつも大丈夫としか返ってこない。
仕方なく、手伝うことがあれば言ってと伝えたところで、何を頼まれることもなく。初めこそリビングでテレビを観ながら待っていたが、そのうち居心地の悪さに自室に引っ込むかひとり出掛けるようになった。
逃げたところで解決しないことはわかっていたが、休日くらい心穏やかに過ごしたいという気持ちの方が強く。事を荒立てて疲れたくはなかった。
同僚にそんな話をすると、うちも似たようなものだと返されるだけ。
どこもそんなものかと思っていたが、そうでもないのだと先日知った。
偶然見掛けた同僚一家の様子は至って普通で。片方が話しかけるともう片方が応える、ただの日常の光景。
目にしたその普通は、既にうちにはないものだった。
帰路の足が重いのは、仕事で疲れたせいだけではなく。
ましてや金曜日ともなると、余計に足取りが重くなる。
子どもたちがまだ小さな頃は、休みとなると買い物に出たり日帰りで遊びに行ったりと、忙しい土日を過ごしていた。疲れることも面倒なことも多かったが、楽しそうな子どもたちの笑顔に苦労は吹き飛び、また次の予定を立てる気になれた。
思えばこの頃はまだ妻も笑っていたような気がする。
子どもたちもすっかり大きくなり、今更家族で出かけることもなくなって。初めの頃こそ子どもたち優先ではなく自分が好きなところに行けると浮かれ、楽しんでいた。
しかし、趣味ごとなどない自分が行くところなどしれたもので。そのうち飽きてしまった。
次第に休日を持て余すようになり、ふたりで出掛けることすらなくなって。
そうして初めて、妻の表情が動かなくなっていることに気付いた。
いつからかと振り返ってみてもわからず。
思い当たる出来事もない。
ずっと傍にいたはずの妻。それなのに、どこでその笑顔が消えたのか全く覚えがない。
気付いてからの妻は、決められた反応を返すだけのロボットのようにしか思えなかった。
しかし、温度を感じないやり取りは居心地が悪いものの、それ以上の不都合があるわけではなく。
日々の疲れにわざわざ波風を立てる気になれないまま、今に至る。
「ただいま」
「おかえりなさい。お疲れさま」
淡々と返される労いの言葉は単なる挨拶と同じで、その響きに意味はない。
「土日、何か用事はある?」
「特にないわ」
相変わらずぶつ切りの会話。返答のわかりきった問いを、それでも口にする。
「何か手伝うことある?」
「大丈夫」
案の定の答えに浮かぶのは、諦めと安堵。
これがうちの日常。
ぶつかることも、わかりあうこともない、無表情な平穏―――。
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