84 うつつ
カリンバを弾きながら雪原を歩く。
イーダとウーヴェ、エルンストさんには離れてもらった。
歌も歌う予定なんで恥ずかしいから聞こえない距離。
もう二歩、三歩左、本当に少しだけ向きを変えて。
グリグリと足で砂雪を掘って目印を付ける。
肩にかけてたカバンを目印の上に置いて、二歩ほど後退して空を見上げた。
今日は体が凄く軽くて、それはコンディションの問題ではなくて、天気とか気温の話に近い。
重力みたいな、引く力? が弱い日なんだって。
いつもより高く飛べるし、落ちてもケガは軽い。
中央には存在しない現象で、ひょっとしたら火の国にもあるかもしれないって。
そんな日で。
歩く度に舞い上がっていた雪砂も落ち着いて、シンと静まり返ってる。
カリンバが止まりそうになれば歌を歌い、またカリンバに戻った。
空からスポットライトみたいに、カバンに向けて粒々が舞い始めてる。
光景だけの話なら物凄く神々しいけれど、俺の弾けて歌える曲なんて蝶とか蜂とかなので意味が分かると微妙だろうな。
もうちょっと。
余分に集まって?
絶対に成功させたいんだ。
『もう大丈夫』
そんな音が聞こえた気がして、最後のダメ押しにもう一曲。
最後はちょっと神聖な曲にしようか?
イトコの結婚式で参列者に讃美歌を歌う様にと配布された歌詞には楽譜も書いてあったのだ。
メロディだけの楽譜だったから帰宅してからカリンバで弾いたんだよね。
歌詞も音符もうろ覚えだけど、なんとなくこの場には似合っている気がした。
「―――」
最後の音が鳴り終わり、音もなくカバンが空に消えて行く。
目で追える速度じゃなかったな。
わぁ、と思って口が開いてしまう。
まぁ、でも。
それで良かったのかな。
ぼんやり空を見あげたまま、なにも考えていなかったと思う。
俺はその後すぐに膝から崩れ落ちたらしい。
そのまま夢を見た。
***
世界がなんだかゆっくりで、青っぽかった。
ああ、でも形は分かるな。
警察署の前だ。
どさりと落ちてきたカバンに、歩行中のおばさんが驚いている。
車から投げ捨てたとでも思ったのだろうか?
キョロキョロと道路を見ていた。
でもすぐにカバンを避けて去って行く。
いや、届けろよ。
警察署が目の前なんだから。
気持ちは分かるけどさ。
実際、届けたら届けたで面倒なんだよな。
なんか個人情報を書いて、期日内に持ち主が現れなかった場合はどうのこうのと説明をされるのだ。
金塊とかならウキウキで届けて宝くじ気分かもしれないけれど、小汚いカバンである。
そりゃ避けて通って終わりか。
カバンには馬鹿みたいに大きく名前と住所を書いてある。
ぶつかっても軽傷で済む様に、中身はタオルに包んだ手紙だけだ。
ある程度の重さがないと落としたい場所に落ちないんじゃないかってそうしたんだけど、怪我人が出なくて良かった。
しばらくして警察官がカバンを拾う。
すぐに住所と名前に気が付いて、スタスタと警察署の中に入って行った。
そこで場面は切替る。
多分、自宅、なんだろうか。
痩せて、なんだか老けた両親が椅子に座っている。
二人並んで手紙を読む光景。
相変わらず見える物はゆっくりで青っぽかったけれど、手紙を読み終えて折り畳んだ辺りで急に鮮明になった。
また場面が切り替わったのかもしれない。
夢にありがちの、場面が切り替わっても疑問に思わないあの現象だ。
なにもない空間なのに不思議と安定感があって、普通に最後に会った時の両親と対面している。
エプロンの母は当日の朝、スウェット姿の父は前日の夜だ。
「こんなんじゃ分からないわよ」
怒る母の手元には手紙がある。
そもそもの話。
右手を取り変えちゃったんで筆跡とか変わっちゃってるんだよね。
だからカバンの住所とか名前を見ても、俺が書いたとは思わないだろうって結論になって。
手紙は認識してもらうために物凄く長くなったり、諦めて物凄く短くなったりを繰り返した。
警察沙汰になっても大変だし。
余計に心配されても本末転倒だし。
だからごく短く。
ありがとうとさようならとどうか幸せにと。
それだけを書いた。
本当に自己満足だけになるから、凄く悩んだけどね。
家出少年扱いになっても、カバンが遺品扱いになっても、誰かのいたずらと処理されても、両親は傷つくだけになっても。
その三つは伝えたいと思ったのだ。
「字、違うのに俺だと思ったの?」
ひらひらと一回り小さくなった右手と火傷だらけの左手を振りながら聞けば、母は一瞬目を見開いた後に泣き出して。
父は困った顔で母の肩を抱く。
それ程距離が離れてはいないけれど、それ以上近付けないと本能的に理解していた。
しばらくして口を開いたのは父で。
「不思議な事件だったからね。監視カメラにも伊吹の姿が消える映像が残されていたし、ずいぶんと報道されたんだ。失踪から七年目で、警察は手紙に指紋も検出されなかったから質の悪い悪戯だろうと処理をしたけれど」
「カバンはあの日のままに見えたわ」
母が父の言葉を引き継ぐみたいに言うけれど。
「ちょ、ちょっと待って! え? 七年? 七年経ってるの?」
俺、一年ですけど?
「? そうよ?」
そういう母と父の顔が、手紙を読んでいる時の、痩せて、なんだか老けた姿に変わっていく。
ちょっと待って、止まって、止まって、と思うけれど止まらなくて。
驚きすぎて言葉もでなかった。
「あっという間だったわね」
それから両親は、ぽつぽつと七年を語り始める。
警察やテレビ、自称超能力者や霊媒師、インフルエンサーに宗教活動家、果ては次元を研究する学者まで。
入れ代わり立ち代わりで俺の失踪事件に関わって来た事。
父が外野は黙ってろと警察のお世話になった話とか、母が腎臓を壊して入院した話とか。
面白おかしく喋る努力をしてくれたのだと思う。
笑って、泣いて、怒って、飲み込んで、
「伊吹は、どうしていたの?」
と、話の終わりに囁く様に聞かれて、俺は俺の一年を話した。
死ぬ確立が高すぎて戻らない選択をした事を褒めてくれて、手紙をありがとうと笑う両親に。
ああ、この時間ももう終わりなんだな、と理解する。
最後の最後は言葉にならなくて。
それでもお互いに思った事は通じたと思う。
いつかまた。
それまで元気で。
幸せに楽しく過ごせる様に。
祈ってる。




