75 同じだけど同じじゃない
無意識に力を入れ過ぎていただとか、手にまだ慣れていないからとか、動揺したとか。
その時々でそんな風に思ってきた。
少なくとも元の世界にいた頃に、こんな風に手が震えた記憶はない。
結構食べてたし寝てたのに、先生から何度も言われた食べろ、寝ろ。
あれは俺がすぐにふらふらしちゃうせいで。
無意味にコケたりもしたな。
「……」
落としたら怖いのでカップを両手で持ってようやくお茶を飲む。
逆に落ち着いてきた。
そもそも生きてるのが不思議って状況だったし、ひどい目にも散々あったのだ。
いまさら、なのかも。
汗がヤバいので風呂に入ろうと思ったんだけど、足も微妙に震えてる。
これは間違いなくランニングマシンのせいな気がするけど。
体育の先生がなんか言ってたのは覚えてるんだけど、思い出せない。
何だったっけ。水飲めばいいんだっけ? ストレッチ?
こうやって死ぬまで中途半端な知識の正解がわからないって考えるとちょっと精神的にクル。
あ、でも、思い出せないだけで脳ってちゃんと記録してるんだっけ?
その内思い出したり、夢に見たりして正解が分かる日もあるのかな。
「トントントントン」
インターフォン替わりに設置した蹄鉄型呼び出しベルに、
「うぉっ!」
とびっくりして声を上げたら、
「どうしました!?」
ってバタバタとエルンストさんが駆け込んできた。
あ、なんかすんません。
「鳴ると思わなかったからびっくりしただけ、です」
そういう俺を見てびっくりするエルンストさん。
床に直座りで両手でカップ持って汗だくだからな。意味不明過ぎる。昨日もイーダに挙動不審て言われたし。
「いや、額から血が出ている」
血? 額を手の甲でこすったらヒリヒリした。ランニングマシンの足元がザリザリしてるからすりむいたんだな。
「あー、顔面からコケて」
ランニングマシンを指差しながら苦笑い。
「動いたらちょっとすっきりしてきたんで、一瞬風呂入って着替えて来ていいですか?」
貼りついたシャツを剥がしながらお伺い。急ぎならせめてタオルを取ってこよう。
「ああ、構わない。薬箱は二階か? 準備する」
珍しく口調が崩れてるエルンストさん。
気が付いてなさそうだけれど俺はそっちの方が嬉しいので黙っておく。
それより立てるかな。
立ち上がろうとする俺の動きがのっそりしてたせいか、エルンストさんに脇に手を突っ込まれて持ち上げられてしまった。
長時間の移動でエルンストさんも獣人さんに毒されたらしい。
あ、元から獣人さんだった。
そのまま風呂場にポイっとされる。
「手伝いますか?」
「結構です」
また敬語に戻っちゃったのは残念。
風呂からあがってエルンストさんと話をしたんだけど、恐ろしい事に三十分以上無理な速度で走っていたらしい。
そりゃ膝に来るよな。
こういうタイミングの悪さが手の震えを分からなくさせてたって間抜けなオマケ付きで。
おでこに謎のベタベタを塗ってくるので小さ目に切った布を貼りつける。これで触っても大丈夫。
一度戻ったエルンストさんは、ビアンカさんから俺が心配だから側にいる様に言われたそうだ。
お仕事お疲れさまです、と言う俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でて、私も心配だったので、だって。
頭撫でられる年でもないんですよ、俺。
ビアンカさんとイーダは、俺の予備を作ったって錬金術師さんにあれこれ質問中らしい。
運搬のためにバラした体にショックを受けたのかもって、戻せるから心配しなくて大丈夫と言伝付き。
そこも気になりはしたけどそこじゃねぇんだよ感ハンパないな。
錬金術師さんも悪い人ではないみたいで、このままじゃ死んじゃいますよ!? って研究の続行を訴えてるとか。
「あれ? でも箱に入れるためにバラさないとダメなサイズまでは育てられたんですよね?」
想像すると気分が悪いので、言葉にするだけで映像を思い浮かべない方向で話をする。
「私も詳しくは分からないのですが、恐らく培養液の中で、生きているだけなら可能なのだと思います」
「へぇ……」
そうなのか。
「それだけなんですか?」
びっくりされた。
「えっ? 他になにか? ええっと……ない、かなぁ?」
詳しく分からないならあれこれ質問しても仕方がないし。
俺より数倍頭の良い人が考えた話を聞いてからじゃないと何とも。
今から話に参加して二度手間かけるのも申し訳ないし。
エルンストさんは難しい顔。
「そういうところですよ、心配なのは」
逆にこちらから話をするためにも考えてみましょうと提案されて、考えてみる。
でもどこから考えたらいいんだろう?
「……さっき気が付いたんだけど、元の世界だと手が震えたりとか転んだりとかはあんまりしなかったなって」
死ぬレベルの体調不良とは考え難いけど取っ掛かりはこの辺?
「手足の震え……塔の上に登ると酸素が薄くなるので、種族によってはそういった症状がありますね。息苦しいと感じた事は?」
なんか医者にかかった気分だな。
風邪ひくくらいで持病とかなかったし、両親も健康だった。
祖父母は入院とかあったし、大量に薬を飲んでたけど、何のためにだったかは知らない。
病気の知識って自分でもびっくりする程なかった。
あ、でも、高所なら。
「俺のいた所でも、山登りとかでそういう話は聞いたことがあるよ。息苦しさは感じないかな。気にならない程度で、実は慣れたって線もなくはないけど。気にしてなかったから来た頃の状態とか覚えてないし……宇宙に出るとそもそも酸素がなくてすぐ死ぬ。こっちの人もそうだよね?」
こっちにも植物はあるから酸素があるはず。
そうじゃなきゃとっくに死んでる。
「無酸素状態でも問題ない種族もいますけれど、大半は死にますね」
平気な人居るの? そっちにびっくりなんだけど!
でもまぁ、空気中に俺が摂取するとよろしくない成分が含まれる可能性はあるかもしれない、のだ。
「う。それを言ったら食べ物も飲み物もだよね?」
その辺が原因ならもう今生きてるだけで奇跡みたいな話になる。
話になるっていうか、奇跡的、なんだけどね。どう考えても。
こっちの人が摂取しても大丈夫でも、俺に大丈夫とは限らない。
即死じゃないなら蓄積?
なんでも食べ過ぎれば害にはなるけれど。
「毒になる……足りない、という事はないですか?」
栄養失調?
「貧血とか、腹だけ出るとかは聞いた事があるけど……あ!」
そこで俺はようやく決定的な違いに思い至った。




