17 子どもには聞かせたくない話(イーダ視点)
中央国のビアンカ・フォン・キベン様のお屋敷にいる。
初日は深夜に到着し、混乱するイブキを寝台に入れただけで終わった。
翌朝、人の気配を感じて状況報告をと階下に降りれば、マティルデと名乗るメイドがいた。
念には念をいれたいのか、それとも眠っている子どもへの配慮か、
「工房でビアンカ様がお待ちです」
と工房に案内された。
昨晩車を降りた時に説明された反対側の家屋だ。
「おはようございます。イーダ先生」
工房内に入れば、ビアンカ様がソファに座って何か書類を読んでいた。
傍らにはエルンストと名乗る使用人が立ち控えている。
私は椅子に座る形状ではない。
マティルデが席を用意しようとしたので断りを入れ、ビアンカ様の前まで移動して声をかけた。
「おはようございます。お時間をいただきありがとうございます」
ビアンカ様は読んでいた書類をエルンストに渡すと、にこやかにこちらを見る。
「こちらこそですわ。イーダ先生はわが国にも多大な貢献をしてくださっていますもの」
私の素性は確認済みの様だ。
もっとも雲族の地形学者は世界で私一人。
五年に一度は中央国を訪れて研究結果を収めているのだから、調べるのも容易だろう。
「恐縮です」
追放されたとはいえ王族の血縁。名前からキベン領領主のご息女だろうか? 国の西側、水の国と隣接する領地だ。余計な事は口にしない方がいい。
短く返事をする私に、ビアンカ様はそのまま会話を続ける。
「訪問を予定していた錬金術師はマクシミリアン・ジュニアですか?」
私がイブキを連れていく予定だった錬金術師の名前だった。
顔が無い私には見た目で動揺を悟られることはないが、それでも声を震わせぬ様に一呼吸おいてから返事をする。
「ええ。懇意にしておりますので」
「忘れ形見ですものね」
言葉を重ねて遮った。
「地形学者ほどではございませんけれど、錬金術師の世界も狭いのです。マクシミリアンは優秀な錬金術師でした。残念でしたわ」
知人であった様な物言いだが、少なくとも私がマクシミリアンとともにあった時、ビアンカ様の名前は耳にしていない。
亡くなってからの噂話か、ジュニアとは交流があるのか、そこまで考えて本題前の世間話だと頭を切り替える。
「はい。私も残念に思います」
「マクシミリアン・ジュニアは生命が専門でしょう? 通訳機の製造であれば人工物専門の私の方が精度も高く作業も早いです。そこはご安心くださいませ」
ビアンカ様はこのまま私に担当させろと言いたいのだろう。
堕ちて来た人間の保護は王族案件だった。
塔で隔離された時に聞かされている。
個人の能力値が低くとも、世界を発展させる様な有益な情報を得る事が可能、らしい。
イブキはまだ学びの途中で、彼自身になにかができるとも思えないが、実際に覗き見た彼の世界は、知らない世界だった。
教科書は興味深い記述が多く、その点に異論はない。
王族か、王族を追放された目の前の人間か、私がどちらかを選ばねばならないのか?
否。
一度引いてビアンカ様の真意を確かめよう。
出会ってすぐ、躊躇なく雲族の私に繋げてくれと言ったのだ。
見られて困ることはないと告げている様なものだ。
「……人間については秘匿されている情報も多いかと存じます。イブキにとってもビアンカ様との出会いは僥倖でしょう。イブキには情報と引き換えに当面の生活に困らない金銭を渡しております。不躾な願いではございますが、このままイブキをお願いしても宜しいでしょうか?」
王族には教科書の情報を渡し、後はビアンカ様が庇護していると報告すればいい。
私の保護下よりは安全だろう。
王族に情報を献上した後、イブキがどういう扱いを受けるかわからないのだ。
本当にビアンカ様が追放されているなら、イブキが飼い殺される確率は減る。
「手放すみたいにおっしゃいますのね?」
嫌な確認だ。
イブキはここまでなにをするにもこちらを確認し、疑いもせずに従っている。
感情が破損してしまったのか頻繁に涙を零し、空腹や温度変化による体調不良にも鈍感になっていた。
守らなければと思った。
手を貸さなければすぐに死ぬとも思える。
実際本人の気付かぬところで三度は死にかけていた。
一度目は堕ちて来た時。
これは私の与り知らぬところではあるが、運が良かったとしか思えない。
二度目は水の国で個人タクシーを利用した時。
あれはまともに呼吸ができない移動方法なのだ。
私の体と水魔法でイブキを包む様にして空気抵抗を最小限に抑えていた。
なにもしていなければ窒息死していただろう。
三度目は地中住人の住居に堕ちそうになった時。
通りかかった住人の助けがあったが、堕ちていれば殺されていた。
住居に堕ちて来た者は食べてもよい、そんな暗黙のルールを得た種族の住処だったのだ。
あの時は命が助かり安堵したが、まさかあの程度で怪我を負うとは思わなかった。
塔でロッテ医師やティモ審査官から指摘されて猛省した。
私の落ち度だ。
「私にとっては不要な存在でしょう」
ビアンカ様は私を見たまま黙っている。
「けれどイブキにとっての私はまだ必要かと」
付け加えた言葉に、にこりと笑顔を貼りなおしてビアンカ様が頷いた。
「私もそう思いますわ。どうぞイーダ先生も当家へご滞在くださいませ。そうそう、私からもイーダ先生にお願いしたいことがございますの」
人差し指と親指で口を閉じている。
他言無用と言いたいのだろう。
「私で出来る事でしたら」
そう答えた。
「難しい話ではございませんのよ? 私、それはもう王族から嫌われておりましてね? けれども領民には好かれておりますの」
そこで言葉を止めて、緩く首を振った。
「いけませんね。これでは王族と同じになってしまいますもの」
囁いてから改めて言葉を紡ぐ。
「先生はイブキより先に王宮に呼ばれると思います。もしも先生の意にそぐわない提案をされたら……その時はどうぞ私にご相談ください」
一体何を危惧しているのだろうか?
強引にでも繋げてしまえば分かるが、マティルデとエルンストから魔力の揺らぎを感じて動けない。
「マクシミリアン・ジュニアにはすでに監視がついたそうです。先生を思い通りに動かすための準備としか思えませんわ」
ぶわりと体が霧散しそうになった。
今すぐマクシミリアン・ジュニアの元に飛び立ちたくなる衝動だ。
「差別や恐怖政治は中央のお家芸みたいなものです。今更でしょう?」
ビアンカ様は顔から表情を消して言う。
「私は失敗して師匠を失いましたけれど……二度目はありませんわ」
師匠、と言うのだから錬金術師だろう。
緊張に床が濡れる。
「……手に負えぬ時はご相談させていただきます」
ようやく絞り出した言葉に、ビアンカ様は少し困った顔をする。
「ごめんなさいね。選択の一つとして心に留めていただければ嬉しいです。先生から見れば私も中央の人間に違いありませんから」
今はまだ分からないが、中央国民特有の、それなりに苛烈な部分もあるのだろう。
それは私が中央に籍を置かない理由にもある。
ウーヴェも中央の差別には嫌悪感を持ち、中央の作った交通機関に近付くことさえ嫌がっていた。
この国に生まれ育ってしまい逃れられぬ者の苦労はどれほどだろうか?
「それから、ロッテは王族側、ティモは私側ですわね。判断のお一つに」
これからロッテ医師がイブキの診察にやってくるので、その前に伝えておきたかった様だ。
「貴重な情報に感謝申し上げます」
ビアンカ様はエルンストに手を差し出して再び書類を受け取っている。
話したかった部分は終わったのだろう。
今はまだ注意喚起といったところか。
「イブキは……出会った人物全員を信頼する性質なのかしら? 心配になるわ……」
雑談に移行し、ビアンカ様の口調が変えられた。
信頼よりは。
「疑うことを知らないのでは?」
私自身イブキのそういう部分を守らなくてはと思わせられている。
「ある意味羨ましいわ。では先生も騙す側にまわってくださいね。汚い部分を見せる必要はないでしょう?」
騙すとは人聞きが悪いが、言いたいことはよく分かった。
ーああ、はい。まだ死にたくはないです。
生きる希望もあんまりないけど。
希望、できるかもしれないし。
そんな心の声を聞いている。
「ええ。希望を持てるまでは騙しましょう」




