01 落ちた先は異世界でした
身長百七十センチ、体重六十キロ。
黒髪黒目、加工なし。
俺、高橋伊吹は平凡な日本の男子高校生だ。
努力家の優等生でもなければ、人気者のイケメンでもなく、陽キャでもなければ、陰キャでもない。
高校生になったので髪型こそちょっと気を遣って、フロント長めのツーブロック。
という呪文を母親から教わって言っただけなので、出来上がりが正しいのかもよく分からない。
セットとかしないから、切った日からはなんかちょっと違う仕上がり。
平日は遅刻ギリギリに学校に到着し、授業中に飯を食い、休み時間に眠り、放課後はアルバイトをする。
休日は友人と出かける日もあるが、大体はネットで動画を見ては寝ている。
休日もアルバイトをすればいいって?
一年生の時に初バイトに浮かれて物凄く働き、扶養範囲を超えるんじゃないと親に怒られ、休日のアルバイトを禁止されたのだ。
だから日曜の夜は寝すぎで寝むれない。
明け方にようやくウラウラしたところで目覚ましが鳴るのである。
すなわち月曜日の朝は遅刻ギリギリどころではなく、すでに遅刻な時間帯に猛ダッシュだ。
しないけど。
疲れるし。体力が持たないし。危ないし。
ノイズキャンセリング機能付きのカナル型イヤホンで、流行りの配信曲を流し聞きしながら、そのテンポでなんとなく歩く。
スローテンポな曲からアップテンポな曲に切り替わったタイミング。
信号が点滅したからちょっと走る。
外音が聞こえないから車と歩行者の確認は怠らない。
だから確かに足元は見ていなかった。
だって普通見ないよな?
工事の看板も、迂回誘導員も、安全太朗くんもいないのだ。
下ろした足は階段を踏み外したみたいにぐんと下がる。
俺はなんだか分からないが、落ちた。
これは死ぬなって思える程度には落ちている。
でも全然着地しない。
最初こそジェットコースターみたいな浮遊感だったけれど、今はそうでもなくて、滑空している気分だった。
アスリートとか事故の瞬間に入るとかいうゾーンてヤツなのかな。
時間の感覚が変わっちゃうとか、そういうの。
ああ、このままだと頭から着地しちゃうね。
五点着地? 接地? 動画で見たパラシュート降下訓練を思い出す。
着地の衝撃を分散させて飛び降りても怪我をしない着地方法。
足の裏からふくらはぎとももの横を通って尻。尻からの背中?
五点あった? あるか。
体をひねるんだよな?
膝とか肩とか、関節を避けて転がるはず。
足を揃えてひざは少し曲げて前傾姿勢。
スカイダイビングの動画で、空中でクルクル回るのも見たんだからできるはず。
落下しつつ回ってみたらちゃんと回れた。
空気抵抗があるからかな?
五点接地を練習した手応えみたいのは感じない。
それより背負ったカバンに入っているスマホが壊れるかもしれない。それが気がかりだ。
画面が割れてもデータが無事ならいいんだけど。
俺はクルクル回りながら、背中で教科書が上下しているのを感じていた。
不意に空気が冷たくなった気がして回るのを止める。
「あ、地面」
視界に入った地面を見ながら反芻する。
足裏が付いたら体をひねりながら転がる。
足裏が付いたら体をひねりながら転がる。
足裏が付いたら体をひねりながら転がる。
「トッ」
衝撃を感じて無我夢中で転がった。
動画みたいにスタッと起き上がれるわけもなく、惰性でゴロゴロ転がって止まる。
よっしゃ! どこも痛くない!
一体どこまで落ちたのか? 見上げれば夜空だった。
さっきまで朝で、俺は学校に向かっていたのに。
そういえばいつからか流していた音楽も止まっている。
カバンからスマホを取り出して現状確認。
十月七日月曜日九時二分。キャリアもWi-Fiも電波なし。
音情報がほしいからイヤホンは外してケースに入れた。
スマホのライトで周辺を照らしたら地面が白い。
雪?
さわり心地も冷たさも雪。なのに手のひらで溶けない。
遠くから森の葉音みたいな音は聞こえた。
じゃあここは雪原?
街灯も見当たらず、月の光で薄っすらと地形が見える程度。
月の光?
俺はもう一度空を見上げた。
これは月なんだろうか?
大きな青い丸と、半分サイズの小さな山吹色の丸が、並んで空に浮かんでいる。
「プロジェクションマッピング?」
声に出したのは誰かが返事をしてくれないかって期待半分。
もちろん誰からの返事もない。
それから、そんな確め方は絶対にしないと常々思っていた頬っぺたをつねる行為。
ちゃんと痛かった。
マンホールのフタが開いてて落下して頭部強打からの夢オチを期待してたのに。
なら地下シェルター?
地球を捨てて火星に移住とかのがありそうだけど。落ちたし。
人類は地底人になる道を選んだんだろうか。
あとは異世界転移とか?
神との遭遇とかなかったけど。
どっちみち、今は寒さを感じないけど足元は冷たい。
体が冷え切るのも時間の問題かも。
耳を澄まして、目を凝らす。音は相変わらず葉音だけ。
ずっと向こうに光が見えた気がした。
一瞬で消えたので、気のせいかも知れないが、向かうしかない。
それで歩き出したんだけれど、一時間位で泣きそうになった。
雪原は抜けたけど、ぽつぽつ木が生えている程度。
やっぱり冬なのか葉っぱはなし。
葉音だと思っていたのは枝の音だったのかな。
しかも動物や虫もいない。
昼飯や飲み物は購買で買うからカバンの中で唯一の食べ物がミントタブレット。
二粒を口に放り込んで小休止。
これはヤバい。
ここでは夜かもしれないが、俺にはまだ朝の十時。
眠気もないのだからとにかく歩いて、水場か人を探すべきだろう。
気付いてもらいたくて、大声で歌いながら歩く。
木が増えて、林っぽくなり、森になり。
緩やかに上った気もするし、下った気もする。
いつの間にか薄っすらと明るくなってきたので空を見上げたら、青い丸と山吹色の丸がほとんど同じ大きさになっていた。
月と太陽?
いくら考えても分からない。
明るくなってきたので、登りやすそうな木を見つけて登ってみる。
体力を使っただけで無意味だった。
他の木に邪魔されて遠くが見えるわけじゃなし。
一番上まで登る度胸もない。
スマホの時間で十五時になった頃、ようやく人の痕跡を発見した。
横倒しの木と切り株だ。
植林地帯だったのかな?
道や人を探してウロウロしていたら、大斧を持った小人と遭遇した。
自分でも何を言っているか分からない。
あ、大斧と思ったけど俺が持てば普通サイズなのかな?
身長百メートル、胴回り百メートルみたいな、物凄く毛深いその人は、
「♭!▲○%:×&☆□!!」
とか言っている。
全然わからない。
やっぱり異世界転移?
地下シェルターじゃなくて?