はりねずみ
「ごめん。ちょっと」
そういって彼女の唇から、自分の唇を離す。
無意識に口を拭う。
その所作で、彼女の瞳が黒く沈んでいくことが分かった。
こんな所作だけで。
「どうしたの」
「んーわかんないけど」
時計の音がとても大きく聞こえる。
私に覆いかぶさる彼女の髪が、頬をくすぐる。
彼女は私の言葉を待っていて、私は言葉を選んでいた。
「わかんないけどさ」
言いよどむ私の主張を、聡明な彼女は大方察しているだろう。
察しがいいのも考え物だ。
芳香剤だろうか。部屋は柑橘系の匂いで満ちていた。
黒く沈んだ彼女の瞳が、にわかに明るくなる。
「ごめんごめん急にこんなことして驚いたよね。嫌がるあんたとやりたい訳じゃないから」
驚いてはいない。
彼女が私をそういう目でみていると、私は気づいていた。
気づいていて、彼女の家までついて来て、拒絶した。
「違うんだよ。嫌なわけじゃないんだけど、なんか体が」
「それ、嫌っていうんだよ」
私はどうしたかったんだろう。彼女とどうなりたかったんだろう。
「嫌じゃないんだけど、体が変で、ごめん」
「嫌じゃないの?」
「嫌じゃないよ。でも」
私の言葉の先には、どこまでいっても「でも」がくる。
それが何故か、私もわからない。
でも、だめなのだ。心がどれだけ求めていても、私の体は男も女も拒否をする。
袋小路に入り込んで、相手を困らせて、終わっていく。
そうでなければよかったのに。
「いっつもこうなんだ。誰が相手でも」
「男相手でも?」
「うん」
少しだけ彼女の顔が明るくなる。わかりやすいやつだ。
「そうだよね。あんたが誰かとやってるの、なんとなく想像できないもん」
「やりたくないわけじゃないんだけどね」
「でも拒絶反応出るんでしょ」
「うん」
「あんたの彼氏、大変だっただろうなあ」
「だいたい三か月もすれば別れるよ。やれない女って、あいつらからしたらそんなもん」
「そりゃそうだ」
こんな風に話せるのに、なんで私の体は拒否するんだろう。
私から見たらみんなはハリネズミみたいにちくちくしていて、近づくとこんなに痛くなる。
でもこれは私だけに見える針で、みんなはそんなもの気にせず体を寄せ合っている。
私にだけ見える針がなくなったら、
私は彼女とずっと一緒にいられるんだろうか。
でもそんな日はこないことも、もう私はわかっていた。