転生転移装置(仮)
トラックにひかれるから異世界転生するのか、それとも異世界転生するためにトラックにひかれるのか。
これはなかなかな厄介な問題だ、と思う。
ぽつねんと駅のホームで、そんな考え至った。
まぁ、ヒマなの?言われそうな予想はつくので先に言っておく「暇です」と。
「トラックにひかれて異世界転生多くね?」という心の中の叫びによって特殊召還された疑問を守備表示にして、ターンエンド。ずっと俺のターン並に、疑問がもやもや状態。
簡単に言えば、トラックでなくてもええやん、と思ったのだ。
異世界転生なんぞ知らん!という方もおられるかもしれないので、おおよそ定番の物語序盤を記しておく。
トラックにひかれる(なんらかでの死:わりと理不尽な死)→神様に会う(たまに省略される)→異世界に転移もしくは転生→俺tueee始まる成り上がり劇、もしくは危機的状況な悪役令嬢からの逆転劇
実はと言うか、当たり前の話だけれど古の時代から転生転移モノは存在していて、驚くことに何故か脈々と人気がある。何度も流行というのは周回するもので、そして、ここ数年の流行でもある。前は、1980年代に流行りましたシランケド(適当鼻ホジ)。
そもそも異世界に転生するのは、物語のそれなので仕方なしとして、私が気になりましたのは、何故、車なんならトラックにひかれるのか?だったりしまする。
近年、この国の車産業というか交通事情というかその辺りの界隈は、なかなか厳しいモノがある気がしますね。
端的に申しますと、自動車離れという奴ですね。
そんなこの国の現状でトラックにひかれる確率ってどうなの?
と、ひねくれねじ曲がった思考が働いたわけです。とある地下鉄のホームで最終電車を待っているときに。暇人ですか?はい暇人です。
そもそも人生で車にひれる確率は0.2%前後だそうな。この国にある 自動車のその中で、トラックの車種別割合はだいたい30%程度。
いや待て待て、この時点でも、数字上的には稀……すでに劇的ではないだろうか……。
何せ、車の総数の中でも30%程度のトラックにひかれるのだ。ならば死亡事故の中では、一体全体どれほどなのだろう、と考えたけれど流石に……と思うのだけれども……。
まぁ、稀な事件事故で主人公をどうにかするのは、物語構造上では定石なのかもしれない。一人称の小説で、「俺/私の名前は、○○」と述べたあとで、理由はともかくトラックにひかれるのだ。
なるほど、小説の冒頭としては衝撃的な展開ではある。
衝撃な冒頭というのは、確かに読まれる小説の特徴の一つ。メタだけれど掴みとしては、読者を引き込みやすい、……のではないだろうか。ここまで普及すると、別の意味を生み出しかねないと思うけれども。
そういえば、異世界転移、異世界転生という奴が増えて流行っているのは、今世に望みがないという大衆の集団潜在意識もしくは間主観ではないか、という説があるけれど、単純に流行っているから便乗して真似して量産されただけな気はする。
論文も証拠もないけれど、一考としては面白し。
個人的に思うに、「トラックにひかれる」とは、奇跡的に生き残るという可能性を否定する事象ではないだろうか。一般的な死よりも想像以上の死に方なのではないだろうか。
デカい物体にぶつかられるという自然界にない現象は、“死”の概念からは確かに異例で、異質だ。まぁ、高いところから飛んで、地球にぶつかるという神視点だと異例でもないと思うけれど。
老死、病死、戦死、凍死etc.
それぞれに脳味噌と想像を働かせ、どんな死であるかを空想できるも、デカい物にぶつかるというは、なかなか難しい。……あえて例をあげるとしたら、象やマンモスの足で吹き飛ばされるとか、野生の牛や闘牛にひかれるとかになるだろう。
つまり死のジャンルとしてもなかなかに、稀な死というものになるのである。この場合は、圧迫死になるのだろうか。
そして何故、事故をおこす車種が「トラック」なのかと想像すれば、乗用車、もしくは軽自動車にひかれるになると軽傷ですむ可能性があるという、歩行者意識の潜在ではないだろうか。そして運転する視点からいえば、乗用車はそんな事故は起こさないという潜在的な傲りではないだろうか。無論過言だとは思うが。
では次の観点は、何故「トラックでひかれる」なのかではなく、次に「トラックでひかれないとならない」理由を考えてみたい。
端的にいえば、トラックにひかれる需要性だ。
字面は恐ろしいのはさておいて、トラックにひかれると、異世界転生しやすい、という仮説を打ち立てようと思う。
勿論、戯言妄言の類なので、「んなわけあるかい!」というモノばかりであると、先んじて述べておく。
いつもの如く、ここからが「ナニイッテンダコイツ」な話である。既にそうだったととも思うけれども……。
実は乗用車よりもトラックの方が、魂の分離がうまくいくのではないだろうか。と考えた。
つまりトラックとは、現代に存在する肉体と魂を分離させる装置なのではないか。
いや、そもそも魂とは?という前提条件と説明が抜け落ちているので説明します。
転生するということは、次の世界に何らかの方法で「記憶」と「人格」を引き継がなくてはならない──でないと、因果性を保てないからね──。
そんな状況下を打破するために、文化人類学上から輸入品にして、人類の文学上画期的な発明の一つ、便利な単語「魂」である。
「魂」(格好いいね)
もともとは魂魄概念のわかりやすい部分を抜き出したとも思っているが、死ぬと二つのモノが分離するというわかりやすい、概念だ。
簡単に説明しておくと魂はソフト。魄はハード。魄は、肉体に関わるモノを司るとされていた。
人が死ぬと、「魂ぅぅぅ!」「魄ぁぁぁ!」と分かれていくのだ。ちなみに、本来パズーとシータはゆっくりと別れていくものであり、パズーは天に昇華して、シータは地へと消滅するとされていたことを此処に記しておこう。
そうして、導き出されたのが、
肉体と魂を離れやすくする形状を、トラックがしているのではないだろうか、
という仮説だ。
勿論、証拠は何もないし証明もできないのだが。
フィクション上にもおいて、人がひかれるという事象の場合、乗用車とトラックの違いは何であるか。
つまるところ当たる箇所と速度である。この観点で重要なのは人体側ではなく、あくまで車側の原因ではないかというところだ。
トラックは乗用車と違って、減速が難しいということの他にトラックのフロントの面積が乗用車よりも大きいという差があげられるだろう。
人と車の衝突面に対しての面積比率が大きいほど、魂が離れやすいということではないだろうかと考えた。
加えて、思考する材料として、トラックと乗用車のフロント形状にもさらに着目してみたい。
流線型よりも平面鈍体が魂にフィットしやすいのではないか、もしくは乗用車のような流線型だと人体の一部分に衝撃を与えてしまうものよりも、平面に一度に衝撃を与えるほうが、肉体から魂をはじき出しやすいのではないだろうかと考えた。
無論、検証はできない。
つか、したら犯罪だし色々な人たち様々な人たちに迷惑をかけること間違いなしの待ったなしなので、方法は一つ思いついたものの記さないでおこう。再現性が確保できないので、科学的ともいえない方法ですしお寿司。
ここからは妄想の類で、まったくの意味のない想像だ。
人と車両がぶつかった時、乗用車だと成人の場合多くは脚部にぶつかり始める。これは多くの事故シミュレーション映像で見られることがあるが、トラックの場合はどうだろうか。
少なくとも下半身からではないのだ。トラックのフロントは平面で乗用車とは接着面が段違いだろう、と容易に想像できるのだ。
肉体と魂を分離しやすくするとは、一度にかつ大きな面積で衝撃を与える、ではないだろうか、という仮説が導き出されたのだ。
──もしかすると、コメディジャンルのアニメーションでよく空を舞う表現をされるキャラクターたちは、強い衝撃により魂だけだけ飛び出して映されていて、本来の身体は地面にへたり込んでいるのかもしれない。
まぁ、結局のところ、作者はこの時(主人公を異世界に転生なり転移なりさせないといけない状況下で)は、主人公を絶対殺すマン(創造主)にならなければならないので──場面をなんとか異世界に移動しないといけない──、人ってこの事象に巻き込まれたら死にますよね、という事象をこれでもかと思考している。
そうして、行き着くのは確実な方法(例えば、殺人が絡む事件に巻き込まれた)か事故になるのではないだろうか。
事件性がある場合には、すでにそこで劇が開始してしまう。それでは転生する前に一つ物語を紡げてしまうので、簡略できそうな事故の方へ流れてしまうのではないだろうか。
確実に主人公に亡くなって欲しくて、かつ劇的でない事故。
よし、デカい物にぶつけよう。
身近にある大きいもの、且つぶつかってきそうなもの=トラックなのではないだろうか。
とりあえず、無理矢理納得することにしました。つかテンプレに疑問を持っている(難癖をつけているだけとも言う)だけなのでナニイッテンダオマエな話です。
ただ、「そのうちにトラックを神と誇称しだすのではないか」という懸念はあるイヤない。
単純に「人が吹っ飛ばされて、どこか遠くに行く」という暗喩じゃないの、とは思うけれど。
賢明な読者は解ると思うが、もちろんそんな事はない。