赤い結晶
「私は、アンネローゼです」
「なるほど、アンネローゼというのか」
男はそれほど興味もなさそうに繰り返すとほど近くにあったテーブルの椅子を引き出し、腰掛ける。
「クローネ、アレを」
「かしこまりました」
男はクローネに顎で促す。クローネは私達が入って来た扉とは別の扉に消えると手に装飾の施された小箱を持って戻ってきた。
私のそばまで歩いてきたクローネが小箱の蓋を開ける。
?
小箱の中には親指大の透明な球体が収められていた。
「命令だ、それを手に取れ」
男の言われるがまま、私はその透明な球体を手に取る。
「ふむ、問題は無いようだな」
男は顎に手をやり、軽く首を傾ける。
いったいなんなのだろう。
私はわけもわからず、クローネに促され球体を小箱の元あった位置に置いた。
パタンと小箱を閉めたクローネは足早に先ほどの扉の向こうにいってしまった。
「口答を許可する、命令解除」
男がそういうと私の口はいうことを聞くようになった。
「私を一体どうする気ですか」
ここまでの流れで、とりあえずすぐに殺すつもりが無いのは分かっていた。
私は目の前にいる男に今一番聞きたい事を問う。
「いや何、貴様に一つチャンスをやろうと思ってな」
「チャンス?」
チャンスとは一体なんだろう。
「貴様は重罪を犯して捕まり、死を待つのみの終身奴隷に落とされた」
「それを無かった事にしてやろう」
一瞬頭の中でこの男の言っていることが理解できなかった。
罪を帳消しにする? そんなことが本当にできるのだろうか。
「ただ、一つ私の願いを聞けば、だがな」
そうでしょうと思いましたよ。
「私に何をさせるというのですか」
「うむ、瘴気問題の解決に力を貸して欲しいのだ」
男は続ける
「4,5年前になるか、北方の王国で突如として瘴気溜まりが発生したのを皮切りに今も尚、大陸中で新たな瘴気溜まりが発生している」
「知らぬかもしれぬが、瘴気に当たると人も動物も植物でさえ、狂ったように変貌する」
「おぬしも見たであろう」
男は伏していた目を片方だけ開け、私を見る。
「まさか、あの森は……」
数日前、私の目の前で起こった惨状が頭をよぎる。と同時に気が付く
「だったとして、ではなぜ私は狂わなかったのですか!」
あまりの仕打ちに語気を荒げてしまった。
男はそんな私を冷ややかな目で見ながら続ける
「そこだ。実はこれはまだ公表されていないが、瘴気に当たっても狂わない人間が少数ながらいることがわかった、貴様のようにな」
「なっ!?」
「そこでだ、貴様には瘴気溜まりの奥地へ赴き、瘴気が発生した原因を探してきて欲しいのだ」
確かにもしこの男がいうように私に瘴気に対する性質があるのだとしたら……私のような人間を派遣するのが正しいのだろう。
「原因の究明に力を貸せば終身奴隷の身分から解放してやろう。そして原因の特定に有益な情報を持ち帰る事が出来れば、恩賞を出そうではないか」
「もちろん危険は付きまとうだろう、だが我々が最大限の援助もしてやる、どうじゃ悪い話ではなかろう」
男の言葉に、明日にも死ぬ運命で、それを享受していた私の中に小さな希望が芽生えたように感じてしまった。
私は気が付いていなかった、この問いかけの意味を。
「ここまで話したのだ、やってくれるよな。もし断るというのであれば、誠に残念だが、この場で死んでもらう」
「!」
突きつけられる【死】の宣告、ここで断ればさっき見えた小さな希望は今ここで潰える。
希望を見出してしまった私には、選択の余地はなかった。
「わかりました。お引き受けします」
「物分かり良くて助かる」
「かの地に赴くのにその枷は邪魔だろう、外してやろう」
「いいのですか?」
この枷が無くなれば、あの痛みに襲われることはなくなる。ただ、そんな美味い話が無い事は私にでもわかった。
「もちろん、違う形の鎖を付けさせて貰うがな」
男はクローネの方に目をやる、するとクローネは男のそばまで歩み寄り、手に持っていた先ほどとは違う小さな箱を開け男に差し出した。
男は箱の中から小さな赤い結晶を取り出し私に見せる。
「これには特別な呪が掛けてあってな、いくつかの効果がある」
男の話によるとこの赤い結晶には、私が逃げられないようにするために、私の居場所を知らせる機能があるらしい。
「そして、この結晶からは少しずつじゃが毒が出ておっての、この薬を飲まねば遠からず死ぬ」
「もちろん、大願を果たした際には解毒の薬を用意してあるので、心配は無い。あくまで保険だ」
どうにかして居場所を特定出来ないようにすることが出来ても、逃げ出せばそのうち勝手にどこかで野垂れ死ぬということだ。
「それとな」
――ノックノックノック
「クローネ様、参りました」
「お入りなさい」
男の話を遮るように扉が叩かれ、クローネの言葉に続いて扉が開くと、アンリとリリーナの二人が部屋に入ってきた。
二人は私の前にいる男に気が付くと慌てて頭を下げる
「閣下、失礼いたしました」
リリーナが頭を下げたまま男に謝罪する、男は軽く手をあげるとよいよいと言った。
「旅には共回りが必要であろう、この者たちのうち一人を連れていくがよい。どちらでも好きな方を選べ」
男の言葉に二人の肩がビクリと震えたのを見た、まぁ終身奴隷の共回りなど嫌に決まっているだろう。
二人の為にも、共回りなど必要ないと言おうと思ったが、それを察したのか男が口を開く。
「もちろん、そのもの達にも貴様の監視役の任がある、どちらかは連れていって貰おう」
そういうことか。この男の執拗さにはあきれ果てるしか無い。
選ばないという選択肢が無くなった以上、どちらかを選ばなくてはならない。
少し悩んだが朝に良くしてくれたアンリさんにお願いしようと思った。
「では、アンリさんにお願いしたいと思います」
アンリさんはまたビクリと肩を引きつらせる。本当に申し訳ない。
「よしよし、ではアンリよ。このものはアンネローゼ、旅の道中このものの監視と共回りを命ずる」
「は、はい、謹んで拝命いたします」
「さて、クローネ」
男はクローネの方に向き直る、クローネは先ほどとは別に二つの赤い結晶を取り出して男に渡し、何か小声で伝える。
「そうそう、この結晶についての説明が途中だったな」
そういいながら男は二つのうち、片方の結晶を私に見えるように掲げる。
――結晶が砕ける音
「がはっ!!」
その声に私が振り向くとリリーナが膝から崩れ落ち、床に大量の血を吐き出していた。
私はリリーナに駆け寄ると倒れる彼女の身体を抱きかかえる。
「た……すけ……」
彼女の身体から力がさっと抜け落ちた。見開かれたままの瞳から血の混じった涙がこぼれる。
「このように、この結晶は対になった結晶を砕く事で、その者を殺すことができるのだよ」
もっと早く気が付くべきだった。この男の本性に。
私はリリーナのまぶたをそっと閉じさせると、男を睨みつける
「どうしてこんな! こんな酷い事ができるんですか!」
自分でも驚くくらい怒気の籠った声が出た。全身に痛みが走るがそれがなんだというのだ。
彼女がなぜ殺されなければならない。
「女中の一人や二人死んだところで、なんの不都合があるというのだ?」
男はさも当たり前のように言い放った。その言葉に私の中でどす黒い感情が沸騰するのを感じた次の瞬間。
――悲鳴
これまで感じた事のない程強烈な痛みが全身を襲った。
「さすが終身まで落ちた馬鹿な女だな」
男は吐き捨てるようにいう、私を見る目はあのクローネと同じ侮蔑の目だった。
しばらく床を転げて、やっと痛みは引いた。それを確認したのか男が言う。
「さて、アンネローゼ君。命令だ、こちらに来なさい」
痛みで脱力していたはずの身体が私の意思には関係無く動き出し、私は男の前に立たされた。
「命令だ。飲め」
男はそういいながら、あの結晶を私に握らせた。私の身体は私の意思を無視してその結晶を飲み込んだ。