第五話③ 利害関係
「わあっ、すごい!」
森の中に現れた温泉を見て私は声を上げた。白い湯気が立ち込め、別世界に来たかのような感覚に陥る。黄金色に輝く水面に思わずため息をついた。
私の名前は優香。今の職業は学生兼ダンジョンサポーターである。
「おお、広いし綺麗じゃのぉ。早く入ろうぞよ」
ダンジョンモンスターのお凛さんもウキウキとした様子だ。早速スルスルと着物を脱ぎ出した。
「あれ? 誰か先に入ってるみたい」
獣人のユーリンが目を細めた。彼女の視線の先を見ると、たしかに人影がある。人影もこちらに気がついたらしく、のそのそとこちらに歩いてきた。
「あ、アンゴリーさん!」
現れたのはゴリラ型獣人のアンゴリー。一度タイバスとともにダンジョンを訪れたことがある。
「ユーリン。案内してやってるのか」
「うん!」
「くつろいでいたところ悪いの。邪魔するぞよ」
「構わない。ゆっくりしていけ」
アンゴリーさんはすっぽんぽんになったお凛さんに素っ気なく返事した。
そう、すっぽんぽんのお凛さんに。
「ちょ、ちょ、ちょっと! お凛さん隠して!」
私は両手で彼女の胸を押さえつける。
「何しとるんじゃ?」
「何って……アンゴリーさんが見てるんですから!」
私の訴えに不思議そうな顔をするお凛さんとユーリン。まるで何か私がおかしな行動を取っているかのように……。
「なるほど、そう言うことか」
アンゴリーさんが気まずそうに切り出した。
「勘違いさせたようだな。……私は女だ」
「なるほど」
私は土下座した。
●◯
「いや〜いいお湯じゃのぅ。疲れが取れるわぁ」
お凛さんは大きく伸びをした。きめ細かい彼女の肌は次の光に照らされ光っているかのように綺麗だった。日本人らしくスレンダーな体つきだから色白な肌は息を呑むほど美しい。
「でしょ! おじいちゃんの話では傷の治癒にも効くんだって!」
ユーリンさんの褐色肌は水を弾いて艶々としている。まだまだ子供の証拠だろう。……私より年齢ははるかに歳下のようだが……どうしてそんな女性らしい体躯をしているのか。
「私達獣人族は水浴びをしないと体に虫が湧いてしまう。だからこういった温泉というものは何よりありがたい」
目をつむったままアンゴリーさんが独り言のように言った。丸太のように太い腕から生えた黒い毛が、お湯の中でゆらゆら揺れている。
「アンゴリーさん、ほんとにさっきは大変失礼しました」
「大丈夫だ。間違われることはよくある。私のように獣の割合が高いと雌雄を見分けるのは困難だからな」
「もーゴリちゃん!落ち込まないで」
「落ち込んでいない。ゴリちゃんと呼ぶな」
ユーリンさんがアンゴリーさんのそばに寄ってくる。アンゴリーさんは煩わしそうに目を瞑った。
「ゴリちゃんは恋する乙女だもんねーー!」
「…そんなことはない。ゴリちゃんと呼ぶな」
ピクリとアンゴリーさんの眉が動いた気がした。
「なんじゃアンゴリー。お前さん、恋をしておるのか?」
「してない」
「そーなのぉ!? ダンジョン調査の連絡が回ってきた時、1週間かかる任務を2日で終わらせて戻ってきたって聞いたけどぉ!?」
いたずらっ子のような笑みを浮かべるユーリンさん。対してアンゴリーさんはポーカーフェイスを崩さない。
「ダンジョン調査って……もしかしてタイバスさんですか?」
「あららーバレちゃったねぇ。いつかタイバスにタイマンで勝って、告白する夢もバレちゃうかもね!」
アンゴリーさんが硬い表情で立ち上がり、ユーリンさんの体を掴んだ。
「ひょええええ!!??」
次の瞬間、ユーリンさんは小石のように空へ飛んで行った。
「おー」
「たーまやー」
ボチャーーン
ユーリンさんが水しぶきをあげて温泉に戻ってくる。
「びっくりした!びっくりした!」
「ユーリン!!貴様またベラベラと秘密を喋りおって!その口、縫い付けてやる!!」
「ちよ、ちよ、ちょっとタイムタイム! ゴリちゃん、待って!」
「ゴリちゃんと呼ぶなぁぁぁぁ!!」
びしゃびしゃと水しぶきをあげながら追いかけっこをする2人を見て、私とお凛さんは声を立てて笑った。
●◯
「……なんと、我らが、先祖スティフアンガーは、不運なことに、ビックファイアーベアーと、出会って、しまったんだ、めぇ。この、恐ろしさが、分かるかめぇ?」
「はぁ、」
「ビックファイアーベアーは、あのトルスメキ軍の、第3中隊を、壊滅させた、と噂されるほど、凶悪な、モンスター、なんだめぇ。スティフアンガーは、全身に、傷を、おっていったけれども……」
「ええ……」
正直、地獄。俺は途方に暮れていた。ダンジョンマスターとしての生活にも慣れ、近くの村の獣人族の村のお祭りに参加。と、思ったらかれこれ1時間近く村長の話を聞かされている。
アリアとお凛は温泉に行っちまったし、お供の妖怪たちは彼等なりにお祭りを楽しんでいるようだ。俺を差し置いて。
一つ目小僧vs獣人の子供によるサッカーらしき遊びは見物人ができるほど盛り上がっているし、鬼たちはいかつい獣人達と肩を組んで歌い出した。
もう、山賊でもいいから俺をここから連れ出して欲しいものである。
「村長! お話中、申し訳ありません」
「おお、どうしためぇ?」
話に割り込んできたのは幸いなことに野蛮な山賊ではなく聡明そうなシカ型の獣人だった。
「旅のものが来て今晩泊めて欲しいと」
「そうかそうか。困った時はお互い様じゃ。とりあえず、わしのところに通してくれ、だめぇ」
「かしこまりました」
シカの獣人は駆け足で立ち去った。
「申し訳ないめぇ、お話はここまでだめぇ。続きはまた今度」
俺は内心ガッツポーズをした。やっと解放される。
「本当に、先日は、お世話になっためぇ。我が村は、貧乏ですが、今日という日を、存分に、たのしんで、行ってくだされめぇ。また、今日に限らず、今後とも、隣人として……」
ヤギ村長の話はここからが長かった。俺は立ち去ることも座ることもできずなんともいえない宙ぶらりんな状態を強いられることになる。
「村長、旅の方をお連れしました」
ほーら。もう来ちまったみたいだ。シカの獣人に連れられてきたのはゲームの中の冒険者のような格好をしていた。
「おお、よく来てくださいました」
ヤギ村長が恭しく頭を下げる。完全に立ち去るタイミングを失った。
冒険者は全部で5人。大きな盾とロングソードを持った短髪の女。ガチャガチャとした鎧をつけている。
次にとんがり帽を被り、分厚いメガネをかけた少女。鎧の女と比べたら大人と子供ほどの身長差がある。
次に聖職者らしき女性。白と水色を基調とした神官服を着て、柔和な微笑みを浮かべていた。
さらに、金髪を1つ結びした美女。耳が尖っている。もしかするとエルフ族なのかもしれない。背中には弓矢を背負っている。
そんな女性達の真ん中にいるのは1人の太った男だった。黒髪に黒目と日本人のような顔だ。
「やあ、君がこの村の村長か」
「そうですめぇ」
太った男がにこやかに話しかける。
「僕はアルシオン王国から来た勇者、ケンタだ。魔王を倒すために旅をしている」
「ゆ、勇者様ですか」
ヤギ村長が少し戸惑ったような様子を見せる。
「アルシオン王国は大陸南部の小国です」
あシカの獣人が俺に囁いた。
「距離はあるのか?」
「ええ、ここに来るまで最低5.6カ国を通り抜けなければならないはずです」
「ほお、さすが、勇者様だな」
俺が真剣な顔をしてそう言うと、シカの獣人は険しい顔をして答えた。
「お戯れを。勇者など、子供の戯れのような話ですよ。魔王を倒すなんて……正気の沙汰じゃない」
そういえばタイバスに教わったことを思い出す。この世界に魔王は存在するが、決して邪悪な存在ではない。むしろ、知力の高い上級モンスターを統率しているため人間にとってはある意味心強い存在だとか。
「魔王の討伐ですか?」
自称勇者の一行に声をかけてきたのはタイバスだった。よく見れば周りの獣人達は不安そうに彼等を見つめている。
「どうしてそのようなことを?」
「それは俺が魔王を討伐することに疑問を持っていると言うことか?」
「え、ええ。申し訳ありません。なにぶん田舎者なもので、国際情勢には疎いのです」
「そんな大層なもんじゃないけどな」
自称勇者はぽりぽりと頭を書くと、口を開いた。
「俺が最初にこの世界に……いや、森を歩いていた時、スライムが襲ってきたんだ。知ってるか?手のひらサイズの水の塊みたいなやつ」
「ええ、存じております」
「俺はそいつを倒したが、話によるとそれはモンスターらしい。なんでも、モンスターは人に仇をなす存在だそうだ。
「……まあ、あながち間違いではありませんね」
「そう、だから俺はモンスターの親玉である魔王を倒しに行くんだ。そうすれば世界は平和になる!」
子供のような主張だ。俺も詳しいことは分からないが、魔王を倒したからといってモンスターが大人しくなるはずはないだろう。
タイバスも俺と同じように思ったらしい。勇者にその内容を問う。もちろん丁寧な言葉遣いで。
「たしかに確証はない。だが、損はないだろう。魔王という圧倒的脅威がなくなれば、つまりは魔王の国がなくなれば人々は今以上に豊かな生活を送れる」
「……あなたが負けたら……?」
「は?」
「あなたが負けたらどうするつもりだ?」
トラバスが勇者をにらんだ。
「貴様、勇者様に何を言う。勇者様が魔王ごときに負けるなど、万に一つもありえん!!」
鎧を着た女が勇者の前に立ちはだかった。
「よせ。確かに負ける可能性もゼロじゃない。が、俺が負けても誰にも迷惑をかけないだろう?身寄りのない男が魔物の国でくたばるだけだ」
「勇者様、そんな悲しいこと言わないで……」
聖職者らしき女が勇者の肩に寄り添う。
「ふざけるな! お前のやることは魔王の国に対する宣戦布告と同義だ!!」
「何を言う貴様!勇者様は危険を顧みずお前らのような者の為に戦ってくださっているのだぞ!!」
激昂するタイバスに鎧の女が怒鳴り返す。
「世界の命運のためだ……」
低く唸るタイバス。気がつけば大柄な獣人達が勇者の周りを取り囲んでいた。
カンガルー。テナガザル。イノシシ。サイ。ゾウ。オオカミ。
動物園では愛嬌のある生き物達も、二本足で立ち上がれば正真正銘の戦士だ。
「力づくで説得させてもらう!!」
タイバス達が大きく身構えたその時。
「我はすべての生命の源をそぎ落とす者。我はすべての命を溶かしつく者。我は神の怒りにより生まれ、神の涙により姿を消す者。我の前に立つものは一切の望みを捨てよ」
とんがり帽子を被った少女がブツブツと何かを唱え出した。
「タイバス!!逃げろ!!」
「【滅火の叫び】」
甲高い叫び声。身をよじるタイバス。少女のつぶやき。そしてーー
えぐられる地面。吹き飛ばされる家々。人々の叫び声。
数刻ののちに俺は全容を理解した。少女の持つ杖を中心に扇状に前方数十メートルに渡って地面がえぐり返されている。
幸いタイバスはえぐり返された地面のそばで尻餅をついていた。しかし。
「村が……」
村長が呟いた。タイバスの後方にあった家々は無残なほど吹き飛ばされていた。
「やれやれ。俺のことが好きなのはわかるがやりすぎだ」
自称勇者がとんがり帽子の少女の頭を撫でる。少女は赤面し恥ずかしそうに俯いた。
「悪いな、うちの仲間がやり過ぎちまって」
自称勇者はさっきまで俺が座っている椅子に腰掛けた。
「お腹が空いた。君、食べ物を取ってきてくれ」
そして男は近くにいた、たぬき型の獣人に声をかける。獣人の少女は勇者の顔と荒れ果てた村の様子を何度も見比べた後、ぎこちない笑顔を見せて、「喜んで」と、小さく言った。
モンスター豆知識コーナーNo.3【スライム】
「お兄ちゃんはスライムってモンスターは知ってる?」
「一応な。ゲームの中でよく倒してた」
「日本一有名なRPGのことだね」
「ああ。大体のモンスターはRPGゲームで有名になってるからな。前に紹介したサイクロプスもそうだ。だが、その中でもスライムは少し異色なモンスターだ」
「どういうこと?」
「簡単に言えば、歴史が浅いんだよ。ゴブリンにしても、オークにしても、その元ネタになった伝承はあるんだ」
「スライムにはそれがないと」
「ああ、19世紀に見つかった『アメーバ』って微生物をモデルにしてる……んだろうなって感じだ」
「へぇ、微生物をゲームの敵にするなんて、最初に考えついた人は天才だね」
「確かにな」