青石魚石 「やまびこ」第7号
音訳の会の機関誌の事。
今月号の「エンターテインメント」は長崎の昔話からです。
「青石魚石」
こんばんは、
「やまびこ」第7号をおくります。
先日(7月1日)発行の音訳の会DVから抜粋しました。「青石魚石」です。
これ、「あおいしうおいし」と読むんです。
音訳の会DVは、毎月、12ジャンルの「話」があります。一話、3~4分ぐらいで、長くても5分止まりです。
12人が自分で原稿を書いて、自分で音訳しますので50分位になります。勿論、前後や途中に音楽も入れますので、60分止まりですね。毎月1回の発行ですが、長すぎてもいけないそうです。
7月号の中から「エンターテインメント」(長崎の昔話から)を転載しました。
私のアレンジも多少入っています。
「エンターテインメントってどういうのですか?なんか広すぎて、漠然としてて、、、」と尋ねましたら、法師丸会長さんは「なんでもいいのよ」でした。「そうね、楽しかったり、面白かったら何でもいいのよ」でした。私は、思いあぐねた結果、、、、、。
(テーマ音楽) 10秒流す。
長崎の昔話、、、、。「青石魚石」
むかし、館内の唐人屋敷に近い籠町に、伊勢屋という、けちん坊の旦那がいました。
あるとき、日ごろから仲良く付き合っていた、唐人屋敷の阿茶さん(中国人)が
「一年ほど、国に帰ってきますケン」と言って、別れのあいさつに来ました。
そして、もどり際に、裏の土蔵の石垣の中に一つの青い石を見つけて、立ったりしゃがんだりして見ていましたが、ふいに戻ってきて、
「わたし、あの石みつけた。大人、わたしに売る、ヨロシカ」
旦那は、たかが石垣の石一つくらいと思って、
「よかタイ。あのくらいの石やア、いくらもあるケン。やろうだい、、、、、ばってん。石垣の石けん、いっちょ取れば、あとがあぶなかけん。蔵普請ばするごとあったら、取っとくケン」と言いました。
でも阿茶さんは、
「大人、あの石、今買うアル。石垣なおすお金、わたしすぐ出す。今ここに百両、進上、進上。売るヨカ」と言って、ききません。
更に、阿茶さんが、三百両出すと言ったので、腰を抜かすほどびっくりしました。
「あんげん、言うところ見ると、あの石ヤ値打ちモンかも知れん、、、、、」
と考えて、欲のふかい旦那は、阿茶さんの頼みを聞き入れず、首をよこに振りました。
阿茶さんが、あきらめて国に帰ってから、伊勢屋の旦那は、その青い石を石垣からはずして、玉人(玉を磨く人)を呼んで、磨かせてみました。でもその石は、何の変哲もない石です。洗わせても、磨かせても、普通のどこにでもある石でした。そこで、今度は、タガネを当てて、割らせてみました。すると、中から水がこぼれて、赤い金魚が一匹飛び出しました。しばらく、バタバタ動いていましたが、やがて、死んでしまいました。旦那は肝をつぶして、
「あいや、、、、、もう、こら、しもうた。阿茶さんから、三百両取りそこのうた、、、、、」
と、死んだ金魚の前に座って、三日三晩、ご飯ものどに通りませんでした。
翌年になると、阿茶さんは、約束通りにやってきて、阿茶さんは、言いました。
「大人、あの石、名前魚石ちゅうアル。たくさんたくさん宝。わたし生まれて初めて見た。あの石少し磨く、水の見えるところでヤめる。金魚泳ぐ見える。朝晩それを見る。心だんだん綺麗になり、たくさんたくさん長生きする。わたし国へ持って帰る。王さま喜ぶ。わたし売る。王さま大金くれる。わたし一生心配ナカ。ここにある三千両で、あの石買うつもりで来た」
伊勢屋さんは、仕方ないので、舌打ちしながらみんな打ち明けました。すると、阿茶さんは、細い目から、涙をポロポロ流しながら言いました。
「あの石、魚石という不老長寿の石アルよ。もう仕方なか、、、、わたし運なかった」
と言って、その場にひろげた三千両入った、ひらいたん(風呂敷)を、直し(しまい)ました。
阿茶さんは気の抜けたようになって、唐に帰って行ってしまったそうです。
「絵本 長崎のむかし話」より 何でも、欲が深すぎてはいけませんね。
葉月太一でした。
音訳者㊟ 阿茶さん 「あちゃさん」と読みます。当時の長崎では中国人をこう呼びました。
大人 「たいじん」と読みます。当時の中国人は、日本人の偉い人や大旦那を
「たいじん」と呼びました。
(音楽) 10秒流す。
毎月12人が自作自演してDVを200枚作成します。更に、今でもテープレコダー用のテープも編集しなければなりません。そして、視覚障碍者の方に郵送します。
今回の音訳は、阿茶さんと大人の声音を使って音訳してあります。
音訳では、あまり「感情移入」してはいけない、という考えもありますが、
臨機応変にと考える人も多いです。