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おいしいさかなが食べたい

凡人はまず異世界に慣れられないし馴染めない。

 腹が減っては戦はできぬ。なんて言うが、腹が減っていても減っていなくても戦いたくはない。戦っていつの時代だよ。

 平成のぺーぺーからすると、戦なんぞ過去のもの、もしくは遠い国の話でしかない。テレビ越しの情景を観ながら他人事のように「大変そうだ」と同情するだけ。


 そんな俺が腹が減って出来なくなることと言えば、まともな判断である。


「ン゛グぅ……」


 まともな判断ができなかった俺は木になったりんごのような実をとり、食べられるか確認もせず、火も通さないまま齧りついた。

 結果?今とても後悔している。即効性の毒こそなかったものの、りんごのような見た目とは裏腹にとても美味しくなかった。例えるならば渋柿だ。

 見るからに硬そうな果実だったので虫の心配はしていなかったが、とにかく美味しくなかった。

 ばあちゃんちにある柿の木になったそいつを、いつも剥いてくれる甘いやつだと勘違いして齧りついたときのアレだ。渋い。


 干し柿は皮を剥き、長期間風通りの良い場所で吊るすことにより保存性を高めるいわば保存食と呼ばれる部類の食べ物だ。が、詳しいメカニズムは知らない。だって講義で乾物系はやらなかったので。

 メカニズムを知らないということはつまり、適切な手順も知らないということである。そもそも果物は熟成後はとくに腐りやすい。

 水分含量や糖度によってはカビが生えたりすることもあるだろうし、初心者がやるにはチャレンジが過ぎるのだ。

 というか包丁がない。カッターは持っているし使ったが、それ以外に持っている刃物はハサミくらいだ。

 包丁やピーラーならまだしも、果物を剥くにはカッターでは力不足だ。技術面においても不安が残る。ついでに言えば果物を剥いたとしても吊るす場所がないし、時間だってなかった。

 干し柿ができるまでは1か月以上かかる筈だし、そもそもそんな長期間山の中で暮らす気はない。


「マズい……」


 渋みの元はタンニンだったはずだ。お茶と同じやつだし、そう毒性があるものじゃないだろう。そうアタリをつけるが、見た目はりんごで味は渋柿となると、渋みの原因も違うかもしれない。

 野生生物に食べられていないところを見るに、渋みで実を守るタイプだと思われる。ということはまあ、そんなに危なくない。筈だ。

 美味しくない実をガリガリと齧りつつ眉を歪めるしかなかった。


 それはそうと、果物の味といい、昨日感じた違和感といい、本格的に日本じゃない可能性が出てきている。というか、今なお俺の後ろでソファよろしく背もたれになって寛いでいる青いオオカミとか、現実にいない。

 自然界に存在する青色というのは限られていて、花や果実といった草木であればまあ納得ができるが、青い毛並み持ったオオカミは聞いたことがない。

 

 空想、ファンタジー、もしくは動物実験などの科学によるもの。出てくる可能性なんて限られていた。

 可能性。なんて言ったものの、あくまで青い毛並みのオオカミが存在しても違和感がない場合の可能性であって、現在置かれた可能性として挙げたかと言えばNOだ。

 現代の科学技術であれば人工的に青色の毛並みを持ったオオカミを作り出せる。後天的なものなら毛染めするだけでいいし、先天的なものならDNA上の毛色に関する情報を書き換えればいい。遺伝子操作である。

 遺伝子操作はちょっと光る大腸菌を作ったくらいなので若干畑が違うので詳しいことはよくわからないのだが。

 問題があるとすれば、動物実験なんてものは倫理的にアウトになる可能性が大きいことだろう。講義ではマウスもカエルも解体するが、それだって傍から見れば動物虐殺でしかない。


 つまり何が言いたいかと言うと、科学だって現代倫理の前ではファンタジーと同等の奇妙さを持つということだ。現実にありえるはずがない。ありえてはならない。そういうもの。

 わかってはいるのに、温かくて青い毛並みをした大きなオオカミは否応なく自己の存在を現実だと知らしめてくる。そして完全にオオカミの庇護下に置かれた俺は拒否できないままありがたく暖を取らせていただいていた。

 そも、野生生物なんて確実にダニとかついているし、本当は近づきたくはない。が、もう時すでに遅しと言うやつだ。山と言えばマダニの住処なので、もしこの樹海がマダニの生息地帯なら手遅れ。遅かれ早かれマダニに吸血されるのがオチなのである。

 オオカミに関しても毛づくろいよろしくダニの確認をしたが、気持ちよさそうに目を細めるだけで特に何も居なかった。むしろめちゃくちゃキレイだった。どこかでシャンプー視点じゃないかと疑った程度には。


 オオカミに追いかけられていた理由は一切わからないが、とりあえず仲間になってくれるらしい。俺がちょっと木に登ろうとすればスッと通せんぼされるし、転けそうになると服を噛んで止めてくれるので案外いいコンビなのかもしれない。


「なぁ、お前お腹すかねぇの?」


 耳の後ろをザリザリと擦ってやれば、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らすオオカミ。控えめに言って怖い。手を止めると睨まれるので止めないが。

 毛づくろいしてやったときのように目を細めていたそいつがぱちりと何度か瞬きをし、ゆっくりと起き上がった。それから何かを探るようにフンフンと鼻を鳴らす。

 お?と首を傾げたのは一瞬で、ダンッと地を踏みしめる音を鳴らし、オオカミが目の前から居なくなった。素早さはチーター並らしい。


 オオカミに追いかけられて時間を浪費し、食料探しに勤しんでいたせいでもう日は傾き始めていた。

 これからもう少し歩いても良かったが、体力を使いすぎては今後に差し障りがある。今日はもうここらでストップするべきだろう。

 オオカミから逃げるために川を離れてしまったから水が心許ない。樹液から水分を取ることもできなくはないが、いかんせん面倒だ。それに俺は昆虫じゃないので却下。 

 

 辺りの木に燃え広がらないよう、少し開けた場所に移動した。あまり日差しが当たらない場所らしく、少し湿っている。

 昨日と同じように火をつけようとするが枯れ葉は柔らかく、煙を作るだけで炎にはなってくれない。仕方がないのでレポート用紙を1枚犠牲に火をつけた。

 なお何も書いてない白紙なので成績に差し障りはない。


 パチパチと燃え始めた炎を見ながら、ゆっくりと肩の力を抜いた。今はオオカミに追い掛け回されて減った体力を回復させる方が重要だ。それ以外を考えるべきじゃない。

 朽ちた木に背を預けるのは絶対汚いので普段ならやらないが、もう既にどこもかしこも土で汚れてしまっている。今更何も変わらないかと寄り掛かった。


「帰りたいなァ」


 走り回って酷使した足が痛い。

 草木を掻き分けてできた切り傷が痛い。

 温かいご飯が食べたい。

 誰かの声が聞きたい。


 怖い。


 2日だ。もう2日経っている。

 誰か俺がいないことを気にしてくれただろうか。連絡を取ろうと試みてくれただろうか。電波も届かない森の中じゃ何1つ役に立たないスマホを、性懲りもなく引っ張り出しては画面を眺めてしまう。

 誰からも連絡は来ていないし、アンテナマークは圏外を表示している。火を灯すことさえできなければ、きっと心細さで歩けすらしなかっただろう。

 人間というのは基本的に1人では生きられないものだ。俺も類に漏れず誰かと一緒にいたい方。

 大人数は煩わしいし、いつも誰かと一緒じゃないとダメな訳ではない。でも、誰とも出会えない現状が堪える程度には1人が嫌いだと思う。そうじゃなかったらきっと今膝を抱えてたりしないので。


「発狂しそう…」


 パキリと空気を孕んだ枝が火の中で折れる。

 少し眠くなって来たせいで回らない頭で、寝袋を出すかどうか考えた。地面がちょっと湿ってるのでやめておこう。

 こくり、こくりと船を漕ぎ始める。今日はもう眠ってしまおう。そう考えたところで、ガサガサと草木を踏み倒してこちらへと進む音が聞こえてきた。


「あ……?」


 緩慢な動きで顔を上げれば、魚を1匹咥えたオオカミがいた。


「なに、え?どゆこと…エッ!?」


 大きな前足が両手を差し出せと突くので手のひらをむければ、どう考えても川で獲れるサイズじゃない魚が落とされた。

 歯型はほとんどついていない。絶妙な力加減で運ばれて来たのだろうそれは、鯉に似ていた。鯉って食べられたっけか。


 オオカミの奇行に先程まで襲いかかってきていた眠気はどこかへ逃げてしまった。働かない頭でどうにかしなければと思うものの、そもそもどういう状況なのかわからないので意味はない。

 魚を獲ってきたオオカミはと言えば、伏せをした状態でじいっとこちらを見ている。食べろということだろうか。この、淡水魚を。


 カッターで腸を出しても水がなければ洗浄まではできない。とすると、そのまま丸焼きするしかないか。せめて塩とかあればよかったのにと思わないでもないが、それはきっと贅沢すぎる。

 ヒノキに似た木から枝を1本拝借し、カッターを使って適当に樹皮を剥ぐ。それから魚にぶっ刺した。

 多少どころではなく雑だが、こちとら魚を捌いたこともない一般人なので許される思う。


「淡水魚って寄生虫……あッちい!」


 魚をびっくり返すために伸ばした手へ、ぱちんと跳ねた火の粉が飛んできた。落ちた魚の肉汁が火力を上げるのを手助けしているのか、始めよりも随分と火力が良くなってしまっている。慌てて引っ込めたおかげか、火傷はしていないらしい。

 

 淡水魚には寄生虫がいる。これは割と一般的な知識だ。寄生虫がいるかどうかは知らなくとも、川魚は生で食べてはいけないと理解している人の方が多いと思う。俺はそうだった。

 ともかく、淡水魚を生で食べるのはよろしくないのだ。腹をくだす。腹痛で済めばいいが、消化器官は炎症を起こして使い物にならなくなってしまうのは必須である。

 病院の近い場所でならまだしも、樹海のど真ん中(推定)で寄生虫による食中毒になんてなったら死ぬしかない。死因は脱水症状か餓死。栄養失調も可能性はある。

 なお、寄生虫に有効なのは温度変化だ加熱以外にも冷凍することで死滅するので、案外簡単に死ぬ方だと思う。ここに冷凍庫はないが。

 ただ、鮭に存在するアニサキスは温度変化に強いので気をつけた方がいい。ピッと刺激を与えると死ぬが、だいたいそれ以外には強くできてる。刺激で死ぬなら温度変化でもくたばって欲しいところだ。


 いい感じに外側が焼けてきたのでちょっと突く。どうせお腹いっぱいになって途中で食べられなくなるだろうし、ここに住んでるオオカミがきつで弱るとも思えない。適当に外側だけ食べてお返ししよう。そう考えつつ、チラと青い毛並みの大きなオオカミを見遣った。


「……ほんとに食べていい感じ?」

「ガウ」

「エッ、ごめんごめん食うわ。イタダキマス」


 早よ食えと言わんばかりに尻尾を地面へとバシバシ叩きつけるので、慌てて口を開く。

 柔らかい身がホロリと解け、口の中に落ちる。焼いているときから気づいてはいたが、随分と油が乗った魚らしかった。


「うん、スパイスの重要性を感じるな。でもうまい」


 美味しくはあるものの、物足りなさを感じてしまうのは現代人の性だろう。もっとも今は水が心許ないし、喉が渇くようなものは好ましくないのだが。

 自分魚が獲れるとは思っていないし、山で得られる貴重なタンパク質だ。オオカミの意図は一切わからないが、施しはありがたくいただくことにする。

 オオカミの方も魚を食べる俺の姿に満足したらしく、毛づくろいを始めていた。時折耳がぴこぴこと動くところを見るに、周囲の警戒までしてくれているらしい。

 なんだか申し訳なくなりながらも咀嚼し続ける。

 温かいご飯と守られている安心感からか、ゆるゆると肩の力が抜けていくのがわかった。

随分と緊張してしまっていたのか、色んなところの筋肉が悲鳴を上げている。


 大きな魚をちびちびと食べ続け、予想通り食べ切る前に腹がいっぱいになってしまった。


「ごちそうさま。腹いっぱいだよ、ありがとな」


 オオカミが前足を舐めて毛づくろいしていたのを止め、じいっとこちらを見つめる。それからそろりと近づいてきたかと思えば、鼻先をグイグイと頬に擦り付けてきた。

 抗議の声を上げようと口を開く前に、オオカミは俺が手に持ったままだった魚を咥えてぐるりと背中側へと回る。大きな体がのそりと伏せられ、さながら上質なソファへと役目を変えた。

 

「はは、いたれりつくせりじゃん」


 正直追い掛け回されたせいでオオカミのことは怖い。けれど、それよりもひとりぼっちの方が怖かったのだ。

 オオカミがまさか魚をとっ捕まえて帰ってくるとは思っていなかったし、そもそもまた戻ってくるとも思っていなかった。

 だからだろう。青色が見えたときは少しだけホッとしてしまった自分を、無視できそうにはない。


 どくり、どくり、と俺の心臓よりも強く、ゆっくりと鼓動を刻んでいるのがわかる。温かいその温度に、鳴りを潜めていた眠気が顔を出す。


 次第にまぶたを開けていられなくなり、そのまま意識を手放した。

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