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恋敵でありお目付け役

 放課後、ペア練習の時間がやってきた。僕は苛立っていた。

 理由は様々。

 さっきまで校庭でダンス練習をさせられたこと。

 そのダンス練習の中で名も知らない少女に叱られたこと。

 そして、嶋田先輩に敵わないと悟らされたこと。


 自分の人生が自分の思惑通りに行ったことなんて滅多にない。だから、一々腹を立てても仕方ない。仕方ないと流すべき。

 そう思っているのだが、どうにも苛立ちは収まる様子はなかった。


 トランペットのパートメンバーがいる教室に向かうと、既に僕以外の面子は揃っていた。


「おう、遠藤遅かったな」


 僕に気付いたのは、嶋田先輩だった。どうやら直前まで、皆で談笑をしていたらしい。


「聞いたぞ。ダンス練習居残りだったみたいだな」


「……えらい目に遭いました」


 まったく、あの少女ときたら自分の練習だってある癖に僕を捕まえて離さないのだから困った。文句を言われた回数も、それにムッとした回数も最早数えるだけ時間の無駄だった。


「ペア練習、行こうぜ。道中どんなことがあったか教えてくれよ」


「嫌ですよ」


 そう言いながら、鞄だけを置いて僕はそそくさと廊下に出た。


「おうい、待てよ」


 嶋田先輩は、そんな僕を見て教室を後にしたらしかった。


 足早に廊下を歩いた。

 本当、しょうもない。


 こんなことに時間を取られ、やりたいことをする時間を取られるだなんて。

 

 ……こんなことなら、吹奏楽部になんて入らなければ良かった。


 そう思った故に、僕は思った。


 どうして僕はまだ、吹奏楽部を続けているのだろう。

 ふと考えて、答えにはすぐに行き着いた。


 ここには、吹奏楽部には……僕の好きな人がいるからだ。


 しかしその僕の想い人には、恋敵がいる。まるで太刀打ち出来ないでいる、恋敵がいる。


 どうして僕は……ここまで夏菜さんに執着しているのだろう。恋敵に敵うはずもない。夏菜さんにわかってもらえない。

 夏菜さんに、自分の気持ちを吐露出来る気配もない。


 恋敵に嫉妬ばかりする気持ちに。

 想い人にヤキモキする気持ちに。


 一歩を踏み出せない自分に。


 本当に、イライラする。とても惨めな気持ちだった。

 

 こんな惨めな思いをしてまで、どうして僕は夏菜さんに執着し続けているのだろう。




 考えてみて出た答えは、あまりにもシンプルだった。




 まるで向日葵のような微笑みを浮かべる彼女。

 真剣にトランペットを吹く彼女。

 僕の健康を心配してくれた、彼女。


 惨めな気持ちなんてどうでも良い。

 そう思えるくらい、僕は夏菜さんのことが好きなんだろう。

 たった数か月の関係なのに、それくらい好きになってしまったのだろう。


 人間が卑しい生き物であることを、僕は知っていた。

 自分よりも上と判断すれば、取り入るべく媚びへつらう。

 下だと判断すれば、自分の承認欲求を満たすためだけに、貶めようと画策する。

 

 そんな卑しく、愚かで醜い生き物であることを知っていた。


 だけどどうしてか、彼女は。彼女だけは……。


 夏菜さんだけは、違って見えた。

 だから、一目惚れした時よりも一層、僕は今夏菜さんに惹かれ始めていた。無駄だとわかっているのに、感情に振り回された末に告白だってしそうなことだってあった。


 ……彼女と結ばれたいと思ったのだろう。


 不思議と、さっきまでのイライラは吹き飛んでいた。

 自分の中に芽生え始めていた一途な思いを知り、むず痒くなり、されど今のままではどうにもならないことに絶望しかけた。




「今日はまた一層、機嫌が悪いな」




 そんな時、僕の背後から声をかけてきたのは嶋田先輩だった。


 無言で、僕は嶋田先輩の方を振り返った。


 嶋田先輩は、一瞬夏菜さんと重なって見えた。そう言えば、彼らは兄妹。どことなく風貌が似ていて、当然なのかもしれないと思った。


「そんなに嫌かい、ダンスは」


「……嫌です」


 言ってから、いつも一切心を開いていない相手だったのに。夏菜さんと重なった嶋田先輩に、気持ちを吐露してみたいという感情に駆られた。


「先輩にはないんですか。嫌なこと。したくないこと」


 駆られて、言って……。そうして僕は、後悔した。

 人にはしたくないことがあることは当然だった。


 しかしなんとなく、嶋田先輩に……。夏菜さんの兄に。夏菜さんの想い人に。これを聞くことを後悔した。

 彼女の憧れたこの人が言った言葉に、自分の程度を思い知らされ、心を折られると思ったのだ。


 思わず夏菜さんへの想いを諦めてしまうくらいに、心を折られると思ったのだ。


「あるよ、たくさん」


 嶋田先輩は、僕の気持ちなんて知らずに少しだけ可笑しそうに言った。




「勉強、マラソン、朝練。怒られることも嫌だし、殴られるのも嫌だなあ」




 ……あまりにも、等身大な回答に。


 僕は絶句した。

 何も言えなかった。

 そんな当然のことが、彼は嫌なのか。当然だから嫌なのか。わからない。


「なんだよその顔。子供みたいに駄々こねてるよって顔しやがって」


 嶋田先輩の苦笑に、僕は慌てて首を横に振った。


「……嫌なら、しなければいいじゃないか」


「嫌だからしないってのは、極端な考え方じゃないか?」


「でも、人間は嫌なことから逃げる生き物だ」


 嫌なことから逃げて、押し付けて。

 最終的に楽をする。楽をしようとする。断れなかった奴が泣きを見る。押し付けられた奴が大変な目に遭う。

 それは子供大人に限った話ではない。それは人として当然の醜悪な行動だ。


「むしろ、なんでそんなに嫌なことから逃げたがるんだよ」


 僕の価値観と相容れなかったのか、嶋田先輩は頭を掻いた。


 どうして嫌なことから逃げるのか。

 それは勿論、人間の底の浅さ、醜悪さを子供の頃から何度も見てきたからだ。それを見せたのは、父であり、同級生である。僕を嘲笑し虐めてきた、同級生である。惨めな思いを味わわせた父である。


「……そりゃあ、俺も嫌なことから逃げたい気持ちもある。好きなことだけして生きたいとも思う。

 だけどさあ、それだとメリハリがないじゃないか。生活に」


「メリハリなんて要らない。そんなものは要らない」


「……楽な道だけ進むのは、闘う力を奪っていく」


「だったら、闘わなければいい」




「でもそれだと、本当に望むものは手に入らなくなる」


 


 真っ先に浮かんだのは、夏菜さんの顔だった。

 確かに今、嫌なことから逃げる僕では……夏菜さんの心からの微笑みを、拝める日だって来る気配はない。


 夏菜さんを振り向かせるには。


 この恋敵に太刀打ちするには……。


 多分、今のままではいけない。


 でも……成功するとも限らない。失敗する可能性だって多いにある。失敗すれば、どうなるかなんてわからない。


「失敗は怖いよな。でも、失敗を恐れていたら成功はないんだよ。

 トランペットだってそうだろう。最初は失敗続きでも、失敗を恐れず立ち向かうから成功を掴める。上手くなれる。


 チャレンジしなきゃ、成長はしない」




「……チャレンジ?」


「そうだ」


 嶋田先輩は……夏菜さんのように、向日葵のような晴れやかな笑みを見せた。




「そうやって俺は、生きてきた。辛いことともなるべく立ち向かってきたんだ。だから、今の俺がいる」

 

 嶋田先輩は、照れくさそうに頬を掻いた。


「お前はトランペットのことに関しては、一切の妥協もないし謙遜もしないよな。正直、格好良いよ」


 そうして、思い出したようにそう言った。




「実力が伴った奴の言葉は、すげえ格好良い。

 だから、他のことでも自信を持てるよう、チャレンジしろよ。お前ならきっと出来るから、こんなこと言っているんだぜ?」




 そうして、照れなんてものはおくびにも見せず、そう言い切った。


 励ますように、僕の肩を叩いていた。


 ……太刀打ち出来ないことはわかっていた。

 夏菜さんが嶋田先輩のことを語る時にふと見せる眼差し。その正体を僕は知っていた。一時は僕もそれを受けていたから、知っていた。


 あれは、羨望の眼差しだ。


 羨望の眼差しを向けられた人は、眼差しを向けた人がなりたいと思っている人だと言うことを知っていた。しかし、一生なれるはずがない人であることを知っていた。その思いが一過性であるかもしれないことも知っていた。

 でも多分、夏菜さんの嶋田先輩へ抱く憧れは一過性なんかではないのだろう。


 夏菜さんを振り向かせたい。

 そう思うには、嶋田先輩は高く、高く、僕の前にそびえる、壁だった。


 今の僕では到底太刀打ち出来ない、巨大な壁だった。




 チャレンジする。


 


 成功だけでなく、失敗する可能性だってある。失敗することにより多大なリスクを背負う必要だってある。


 でも、それをしないと道は開けない。


 トランペットの音色は、その音色を紡ぐほどに美しくなる。軌跡を紡いで、深みを増す。


 夏菜さんを振り向かせたい。

 今の僕には、叶わない願い。

 

 もし叶えたいのならば、相応の覚悟がいるのだろう。


 チャレンジして打ち砕かれても折れない、鋼の精神がいるのだろう。




 僕は、それを……。




 恋敵であり僕のお目付け役である、彼から知らしめさせられた。

ヒロインより恋敵の方が出番多いと思うんや。

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何卒宜しくお願いします

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