嫉妬する相手
嶋田先輩に連れられて、僕達は教室を後にした。遠くから様々な音色、校庭からはサッカー部の叫び声が聞こえる中、僕は嶋田先輩の後に続いた。
「あの、先輩」
「ん?」
「どこ行く気ですか?」
嶋田先輩に続くこと数十分、トランペットを持ったまま彼に続くのも嫌気が差し始めていて、僕は尋ねた。
「……と言うか、着いてきてたんだな」
カチンとしそうになった。そっちが連れ出しておいて、よくそんなことを宣えたものだ。
「ああいや、ごめんごめん。言葉足らずだった。お前、個人行動好きそうだから。静かだったし、どっか行ったのかもなって。後ろ伺うのも怖かったんだわー」
アハハと笑う嶋田先輩の笑みは、どことなく夏菜さんを連想させた。彼らが兄妹であることを知ったからか、はたまた本当に血が似通っているからだろうか。
怒る気が引けたのは、多分それが理由だった。
ただこのまま態度を翻すのも癪だったから、僕は口をすぼめてそっぽを向いた。
「先輩指示に従うのは、後輩の役目でしょ」
「そんなこと考えなさそうなのに、意外と色々考えてんだな」
「馬鹿にしてます?」
「少しだけ」
嶋田先輩を睨むも、どうやら効力は皆無らしかった。
僕は再び、そっぽを向いた。
「お前、クールな雰囲気に対して態度に出るよな」
「……どうも」
「褒めてはいない。ただそうだな。怖いと思ってた後輩が結構人並みで、安心していないと言えば嘘になる」
「先輩に好かれても、嬉しくない」
「態度だけでなく、言葉でも出るんだな。まあ確かに、お前は謙遜しないよな」
「……接し方がわからないだけですよ」
「でも、あんまり怖い顔はしてるなよー? お前の同級生に怖がられてる」
同級生に怖がられている、と聞いて、心臓が鷲掴みにされた気分だった。真っ先に浮かんだ同級生の顔は、夏菜さんだった。
夏菜さんに怖がられている。
もしそんなことになれば、それほど辛いことはなかった。
「雨宮さんに、優しく接しろよ? それが紳士たる者の態度だ」
……なんだ、雨宮さんか。
彼女のことなんて、どうでも良かった。
「なんだよ、そんな安心しきった顔して。これでも今、俺お前を注意しているんだぞ?」
「興味ないので」
「それならまあ、仕方ないな」
拒絶を示しておいてなんだが、それは仕方のないことなのだろうか。まあ、興味のない話をわざわざ突っ込む必要もあるまい。
「先輩、いい加減練習をしましょうよ」
それなりに会話をして、ようやく僕は本題を思い出した。嶋田先輩との誰も得しない散歩。会話。こんなことに時間を浪費させる趣味は、僕にはありはしなかった。
「まあまあ、こうして数週間は一緒に練習する間柄になったんだから、もっと互いのことを知る必要があるだろう」
「別に。知らなくても練習は出来ますよね」
「冷たいなあ。少し辛いは良いじゃないか。これから少なくとも、二年間は一緒に部活楽しむわけだしさ」
僕は、何も言えなかった。
正直、嶋田先輩が卒業するまでこの部活に留まる自信はなかった。
「え、何? もしかしてもう練習キツイ? 辞めたくなってる?」
そう諭す先輩の顔は。
これまで数週間一緒に部活動をしてきて、見たこともないような焦り顔だった。
まるで僕の進退を心配しているような、そんな顔だった。
「……元々、部活動に興味がないだけです」
「それだけ吹けて?」
「……それは関係ないでしょ。僕は集団行動が苦手なんですよ」
「……それはあれだ。向き合う努力をしていないからなだけだろう」
……不服だった。
この人に一体僕の何がわかるというのか。かつて色んな人に嘲笑われ、イジメも受け、そうして一体どうして他人を信用なんて出来ようか。
「……いいから、練習しましょうよ」
この会話は無駄だ。時間の無駄だ。価値観の違う人とこれ以上話しても、意味はない。
面倒になり、手頃な教室に侵入してトランペットを構えた。先輩が呆れたため息の後、しばし背後で大人しくなったことに気が付いた。どうやら僕のお手並みを拝見する気らしい。
目に物見せてやる。
好いた少女の好意を、恐らく一心に受けるあの男へ。
僕の実力を拝ませてやる。
嶋田先輩は、恐らく部内でも一番のトランペット奏者だろう。
しかし、僕は自分が彼に一歩も引けを取っているとは思っていない。それを周囲に漏らすことはないが、周囲だって劣っているという評価は下していないだろう。
しかし、周囲は僕の演奏に共感は示さない。
暗い。
ジメジメしている。
もっと明るく吹けよ。
そんな他人の良し悪しでの評価なんて、興味ない。そんなの僕の外見的見た目と合わせた故の総評じゃないか。
だから僕は、他人に僕の演奏を聞かれることは大嫌いだった。
ためにならない総評を言われるのが、大嫌いだった。
窓際で、演奏をしていた。
校庭に僕の音色が響いていった。
外で部活動に勤しむ連中は、まるで僕の演奏を意に介している様子はなかった。
好いた少女に相手にされていない。
恋敵に説教される。
そして、誰も僕を見ていない。
無性に腹が立った。
一通り吹き終わって、大きく息を吐いた。
「いいじゃん」
背後から聞こえた嶋田先輩の声に、目を丸めた。
「え?」
「お前の気持ちが伝わる演奏、嫌いじゃない。なんとなく、今お前が何考えているのかわかって。すぐ顔に出る実にお前らしい演奏だと思った」
「……それ、褒めてない」
だって、今嶋田先輩が言ったことはつまり、気持ちを隠すことが下手な僕のことを茶化したようなものだから。
茶化されお世辞を言われたと思っても、何ら不思議ではなかったから。
……しかし。
不思議と、頬が綻んだ。